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2017年04月22日21:31

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(11)

76年新春黄金シリーズ最終戦の2月6日に新日本プロレスは初の日本武道館大会の開催を発表しました。

64年東京五輪の柔道の試合場として開館した日本武道館ですが、11年半の歴史の中でプロレス興行の開催は2回のみ。

初回は66年12月3日、日本プロレス。馬場のインターナショナル王座に初来日だった鉄の爪フリッツ・フォン・エリックが挑戦、14000人(超満員)の大観衆を動員しました。

この年の7月、ザ・ビートルズが来日して日本公演を行った会場としてイベントホールとしてのステータスが上がった日本武道館での興行開催はプロレス界においても画期的な出来事でした。

その背景にはこの年の10月に旗揚げした豊登、猪木の東京プロレスを強く意識していたと思われ、また、日本プロレス取締役だった吉原功が退職しヒロ・マツダと旗揚げ準備をしていた国際プロレスに対する牽制だったと思われます。

従来、蔵前国技館、東京体育館、日大講堂、田園コロシアム(夏期)がビッグマッチ会場だったところ、敢えてワンランク上の試合会場である武道館で興行を打つことで、東京プロレスとの力の差を世間に誇示することが最大の目的でした。

それから9年間、プロレスの興行の開催はなく、隆盛を誇っていた日本プロレスが分裂、活動停止していたこともあってプロレス人気は停滞し、日本武道館は手が届かない会場になっていました。

75年12月11日、力道山13回忌追善記念興行が百田家(力道山家)主催、全日本プロレス、国際プロレス、日本プロレス(団体は活動停止しており、名前だけ)が協力と言う形で行われましたが、実際に大会の開催に携わったのは馬場の全日本プロレスでした。

この大会にまつわる新日本プロレスの猪木vsビル・ロビンソンのNWF世界ヘビー級選手権試合の同日同時刻興行開催を巡っての新日本と全日本の確執については既に何回も書いて来ているので本件では割愛致しますが、豪華外国人メンバーを持ってしても日本武道館での単独開催は慎重居士と言われた馬場だけに回避しあのような形式の興行にしたかと思います。

メインイベントは師弟混戦タッグマッチ、馬場、ザ・デストロイヤー組vsドリー・ファンク・ジュニア、鶴田組。

大木金太郎vsアブドーラ・ザ・ブッチャー、ヒロ・マツダvsマイティ井上のNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権試合などのラインナップで14500人(超満員)発表の観客を集めました。

これまで2度に亘る日本武道館で行われた興行に猪木は出場しておらず、新間寿営業本部長としては何とか猪木を武道館のメインイベントのリングに立たせて会場を超満員にしてみせたかったことでしょう。

前75年、プロボクシングWBA、WBC統一世界ヘビー級王者モハメド・アリが「次は東洋人とやりたい、誰か俺とやる勇気のある東洋人はいないのか、柔道でも空手でもいいから挑戦して来い!」とアピール。

アリからすれば単なるリップサービスでしたがこれに猪木が反応、「アリよ、俺と闘え!」と挑戦表明。

6月9日、マレーシアのクアラルンプールでジョー・バクナーと防衛戦を行う途中、トランジットの為に日本に立ち寄ったアリに新日本プロレスの杉田浩久渉外担当が猪木の代理人としてアリに「挑戦状」を手交しています。

この時のアリの反応は「イノキ、フー?」という感じでしたが、この後も新日本プロレス側はアリ側と水面下で試合実現に向けて折衝を行っていたのです。

ウィリエム・ルスカの猪木への挑戦はこのタイミングで持ち上がった案件であり、東京五輪の柔道場として開館した靖国神社から程近い九段下の北の丸、日本武道館で猪木とルスカがプロレス対柔道の異種格闘技戦で対戦するということは、まさに桜井さんの小説「実録・プロレス対柔道」の世界そのもののロマン溢れる大会だと言っていいでしょう。
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