ペドロ・モラレスが初参戦した76年「第3回ワールド・リーグ戦」は4月2日川崎市体育館で開幕。詳しくは別連載「昭和プロレス年史外伝�γ�木抜きの春の本場所、第3回ワールド・リーグ戦」で詳しく書いてありますので、ここでは軽く触れておきたいと思います。
前年、キラー・カール・クラップ、スーパー・デストロイヤー(ネイル・グアイ)位しか優勝戦線に絡める外国人選手がいない中、アントニオ猪木、坂口征二、ストロング小林、大木金太郎、マサ齋藤と言った日本人同士の総当たりリーグ戦で大きな盛り上がり方を見せました。
課題は外国人選手の充実と当時盛んにマスコミに書かれましたが、その部分はクリアされたものの、第1、2回大会を連続優勝した猪木がシード参加となり、リーグ戦本戦には加わらず。
猪木は5月7日高松市民文化センターのテレビ生中継で星野勘太郎と組んでビクター・リベラ&ラウル・マタ組と対戦した猪木は角材を持って乱入してきたクラップに襲撃され、左肩を負傷。優勝決定戦の出場を辞退することになりました。
リーグ戦はモラレスが13戦全勝で早々と決勝進出を決めています。第2位には坂口、クラップ、リベラの3人が10勝3敗の同点で並びました。
序盤戦好調だったS小林はリベラ、クラップ、モラレス、坂口に負けて9勝4敗で脱落。
5月10日仙台・宮城県スポーツセンターで2位の3選手による巴戦が行われました。(2勝した選手が勝ち)
第1試合はクラップがリベラを12分6秒、ブレーンクローで撃破、第2試合は坂口が8分57秒、リベラを逆片エビ固めでギブアップさせ2敗のリベラは脱落。
第3試合、こちらが事実上の決定戦となり坂口がクラップに流血戦の末、6分12秒、ブレーンバスターでフォール勝ち。坂口はクラップを苦手としており、これまで第1〜3回の公式戦では1反則勝ち3フォール負けとなっています。
4月2日の開幕戦でも公式戦で対戦し5分10秒、カウンターの凶器攻撃から体固めで敗れました。ゴング誌76年4月号には「何故坂口はクラップに勝てないのか?」という特集が組まれたほどでした。
苦手のクラップを打ち破り、5月11日東京体育館での優勝決定戦では25分38秒、モラレスにリングアウト勝ちし坂口は初優勝。
「どうせなら、猪木さんと闘って優勝したかった。」とのコメントは本音だったでしょう。
猪木はこの日、セミファイナルでリベラを9分20秒、バックドロップからの体固めで破っていますが、猪木が都内大会場での興行でセミに回ったのは初めて。
猪木が決勝に出なかったことでこの日の観客は5,200人発表と満員とは成らず厳しい動員となりましたがこの辺はモハメド・アリとの対戦を控えており、今考えれば仕方ない面はありますが、やはり決勝に出てきてモラレスと勝負して欲しかったです。
猪木はワールド・リーグ戦が終わると再びアリ戦のクローズド・サーキットの営業活動を兼ねて渡米。
5月17日(海外日付はいずれも現地時間)ニューヨークMSGのリングに上がりファンに挨拶、この大会の1つ前のMSG定期戦(4月26日)では、WWWFヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノがテキサスから来たスタン・ハンセンとの試合で首の第六頸椎を骨折するというアクシデントがあり、試合には出られず。
ハンセンはイワン・プトスキーとのシングルマッチを行い13分50秒にリングアウト勝ちしています。
5月19日にはイリノイ州シカゴに飛び、インターナショナル・アンフィシアターで行われたAWAの試合会場に出現。これまで接点がなかったバーン・ガニアと会談、アリ戦へ向けてのアドバイスを受けています。
アメリカでの宣伝活動を終えた猪木は5月28日、後楽園ホールで開幕の「ゴールデン・ファイト・シリーズ」に出場。
開幕戦ではピート・ロバーツを8分22秒、バックドロップからの体固めで破っていますが、アリ戦へ向けての特訓の為、第4戦の6月1日秋田県五城目町広域体育館でのジェフ・ポーツとの試合(8分16秒、コブラツイストで勝利)を最後に試合を欠場に入りました。
ログインしてコメントを確認・投稿する