mixiユーザー(id:21258650)

2026年10月10日09:51

102 view

【配信連動企画】昭和プロレス年史外伝��1976年の新日本プロレス(10)

フォト

74年に新日本プロレスがWWWFと業務提携を開始して以来、元WWWF(世界)ヘビー級王者の新日本登場は74年4月「第1回ワールド・リーグ戦」のスタン・スタージャック、75年11月「闘魂シリーズ第2弾」のイワン・コロフに次いで3人目。

しかし、この2人はいずれもショートリリーフのヒールチャンプでした。ペドロ・モラレスは71年2月8日(海外の日付は現地時間)ニューヨークMSGでコロフを破って王座獲得、73年12月1日ペンシルバニア州フィラデルフィアでスタージャックに敗れるまで、2年10か月王座を保持した超大物。

1942年プエルトリコ・ボンス出身のモラレスはヒスパニック系人種のヒーローとなりアメリカ東部地区のスーパースターでした。

ジャイアント馬場がアメリカマット修行時代の帰国前の64年、21歳の若さながら既に5年のキャリアを持っていたモラレスは、馬場の決め技が16文キックであったことに着目。

「お前は片足で相手を蹴っても凄い威力なのだから、両足で蹴ったら大変なことになるぞ、やってみろ」と馬場にドロップキックを使ってみることをアドバイスしました。

モラレスはスクリュー式の美しいフォームのドロップキックを得意としており、馬場はモラレスに特訓を受けて32文ロケット砲と言われたドロップキックをマスターしたという有名なエピソードがあります。

日本へは66年5月、日本プロレス「の第8回ワールド・リーグ」戦に初来日、この時、アントニオ猪木は2年に及ぶアメリカ修行から帰国し同リーグ戦に参加の予定でしたが、前年暮れ、会社の資金を使い込んだとして日本プロレス社長の座を追われた豊登がハワイで調整に入っていた猪木をパゴダ・ホテルで説得にあたり、自分が作る新団体(東京プロレス)への参加を呼び掛けました。

「このまま日本に帰っても、永久に馬場の上には行けない」

という殺し文句で猪木を口説き落としたいわゆる太平洋上猪木略奪事件があり猪木は日本プロレスのリングには上がっておりません。

モラレス2度目の来日はそれから8年後の74年5月の全日本プロレス「MSGシリーズ」。

馬場はこの年、新日本プロレスとWWWFが急接近し、2月にアンドレ・ザ・ジャイアントが新日本に登場したことを知ると、新日本とWWWF代表のビンス・マクマホン・シニアの関係を妨害しようと画策。

馬場とは厚い友情で結ばれているブルーノ・サンマルチノを通じて、ビンス・シニアに接近。

WWWFの運営会社であるキャピタル・レスリング・コーポレーションはビンス・シニア以外にゴリラ・モンスーン、フィル・ザコ(フィラデルフィアのプロモーター)の共同オーナーがおり、モンスーン、サンマルチノと馬場の親交もあったことから、鶴田を74年4月1日、MSGのリングに上げています。(ジョニー・ロッズに11分56秒、ダブルアーム・スープレックスからの体固めで勝利)

5月8日、新日本プロレスの「第1回ワールド・リーグ戦」優勝決定戦が行われた東京体育館にビンス・シニアが立会人として来日、キラー・カール・クラップを弓矢固めで破って優勝した猪木と控室でツーショット写真に収まっています。

全日本の「MSGシリーズ」は同じ月の5月25日世田谷区立総合体育館で開幕。モラレスは途中からの参加でしたが、モンスーン、スパイロス・アリオン、ロッズ、ミスター・フジなどWWWF勢が来日。

モラレスは「MSG杯」なる優勝カップを持参(おそらく日本で用意されていたもの)、MSG杯争奪戦をシリーズ中に行い、ザ・デストロイヤーと両者リングアウトで引き分けた以外は鶴田にも勝ち、シリーズ最終戦6月13日、東京体育館では馬場のPWFヘビー級王座に挑戦するにあたり、自ら持参してきたMSG杯も賭けて対戦。

試合は馬場が2-1で勝ちPWFヘビー級王座を防衛すると同時にMSG杯も獲得しています。

この時モラレスはゴング誌のインタビューで「俺は馬場の団体以外に上がる気はない」とコメントしています。

シリーズ終了後の6月24日には馬場自らも10年ぶりにMSGのリングに参戦、モンスーンを撃破しております。

サンマルチノ同様、モラレスも馬場と厚い友情で結ばれている、とこの時は思いましたが、約2年の歳月を経て、モラレスは新日本プロレスのリングに初参戦、ついに待望の猪木との対戦が実現することになった訳です。

この他第「第3回ワールド・リーグ戦」には74年11月NWA世界ジュニア・ヘビー級王者として全日本プロレスのリングに登場し、12月5日、日大講堂で「減量して」挑戦した鶴田と1-1の引き分けで同王座を防衛したケン・マンテルが新日本初参戦。マンテルは前75年12月の全日本プロレス「オープン選手権」に来日しており、僅か4か月での新日本参加となった訳です。

また、来日は中止になりましたが75年1月の全日本「新春シリーズ」に日本側から出場したパク・ソンナン(朴松男)も一度は参加発表されました。

モラレスの新日本初参戦はもっと話題になっても良かったですが、モハメド・アリと猪木戦が決まった為にさほどビッグニュースにはなりませんでした。

3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年10月
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031