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2026年08月02日08:11

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【配信連動企画】昭和プロレス年史外伝��1975年、逆襲!ジャイアント馬場(1)

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75年新日本プロレス「闘魂シリーズ」が行われている間に、ジャイアント馬場と全日本プロレスは前74年、猪木にマスコミを使って「馬場、挑戦を受けろ!」と派手に挑発され、12月13日には「興行権、テレビ放映権も全部くれてやる、立ち給え馬場君、我々は力道山先生の門下生として切磋琢磨してきた仲ではないか、正々堂々と勝負しよう」と内容証明郵便を発送しました。

馬場は一連の日本選手権関連の問題に関して「猪木がNWAのメンバーでなければ闘えない」と無視を決め込んでいましたが、75年8月のNWA総会で新日本プロレスが条件付きながらNWAのメンバーになったこと(メンバーは坂口征二、新間寿)もあり、その論法がもはや通用しなくなったことから作成を変えて74年に猪木に受けた屈辱を晴らすべく反転攻勢に出ました。

全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ2」は「闘魂シリーズ」より6日早い8月16日世田谷区立総合体育館で開幕、キング・イヤウケア、ブル・ラモス、ブラック・デビル、テッド・オーツ、ジョニー・スターの外国人選手が参加。

5月27日、「ブラック・パワー・シリーズ」広島県立体育館でのザ・デストロイヤーとの覆面世界一決定戦十番勝負第7戦(PWF認定USヘビー級選手権試合)で敗れたBデビルはマスクを剥がされ、正体がマヌエル・ソトであることが判明しましたが、馬場が「中身が違う、偽物だ!」とアピールし第7戦は無効に。

第7戦は「サマー・アクション・シリーズ」中にザ・スピリット(キラー・カール・コックス)と改めて行われましたが、こちらもスッキリした判定に成らず再戦してデストロイヤーが辛くも勝利。

今回は「PWF本部から送られてきた本物のBデビルが来た」と言うことでしたが、実際に来たのは身長2mを超す大型レスラー、当初のBデビルの身長、体重公式発表が187cm、112kgという発表でしたので、馬場の前回の言い分をそのまま適用すれば今回来たBデビルも「偽物」です。なのでマスクマンに本物も偽物もなく「Bデビル偽物事件(または替え玉事件とも言われる)」は覆面十番勝負がマンネリ化した為のテコ入れ策だったと言えます。

デストロイヤーとBデビルの覆面十番勝負第8戦(PWF認定USヘビー級選手権試合)は8月19日、札幌中島スポーツセンターで行われ、2−1でデストロイヤーが勝ちました。

Bデビルはシリーズ終了までマスクは剥がされることなく帰国していますが、正体はカナダ出身の未来日の新鋭、ランディ・リー・モースで、1年後の76年8月、新日本プロレスの「闘魂シリーズ」に素顔でブラックジャック・モースのリングネームで再来日を果たします。

全日本プロレスの「サマー・アクション・シリーズ2」はデストロイヤーvsBデビルのUSヘビー級選手権試合以外はタイトルマッチやビッグマッチはなく、イヤウケアとラモスはタッグチーム「ザ・タイクーンズ」を結成しての来日でしたが、馬場&鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦する機会はなく、大会場の興行もないシリーズで、東京大会は9月11日後楽園ホール、シリーズ最終戦は9月12日、茨城県笠間市民体育館大会で行われ、閉幕。

事件はシリーズ終了後に起きました。9月21日大韓プロレス協会、権五台会長の招きで馬場が韓国マット視察に訪韓、グレート小鹿、大熊元司の極道コンビも随行しました。

21日深夜、ソウル市内のロイヤルホテルのレストランで食事をしていた馬場達のところへ、5月まで新日本プロレスのリングに上がっていた大木金太郎が突然姿を現し、馬場に挑戦を表明。

大木は「馬場さん、ここまで来て無視するんですか、3年間も待たせておいて…。俺の挑戦を受けてくれませんか!」と詰め寄りました。同じ日本プロレスの残党だった小鹿が立ち上がり「大木さん、場所をわきまえて下さい!」と止めに入りましたが、大木は聞く耳を持たず。

馬場は「今、挑戦だの言われても…」と困惑の表情を見せながらも、「向こう(新日本プロレス)とは何もないのか?」と確認。大木は「あぁ、何もない!」と新日本プロレスとは切れたと発言。馬場は「とにかく、今日はこんな時間だから、明日また改めて話を聞く。」と回答し、大木は退出しました。

翌22日午前10時からソウル市内のパシフィック・ホテルのレストラン特別室で、報道関係者立会いのもと馬場と大木の話し合いが行われ、大木が改めて馬場に対戦を表明。

大木は「私の方から挑戦するのだから、日時、場所、試合方法のすべてを全日本プロレスに任せる」とまで発言。また、5月まで新日本プロレスのリングへ上がっていたことから新日本プロレスとの契約問題に関して再度馬場に聞かれた大木は、「新日本プロレスとは猪木、坂口と闘いたいからそのシリーズの契約で出ただけで、私は韓国のレスラーでフリーだ。」と強調。これを受けて馬場は大木の挑戦を受諾しました。

馬場は「私は決して大木君の挑戦を今まで逃げていたわけではない。筋道を通してくれば受けるつもりだった。昨夜はカッとなったが、こうなったらやらざるを得ないでしょう。まぁ詳しい事は、日本に帰って正式に発表します。」と淡々と語り、大木は興奮気味に「昨夜ロイヤルホテルに馬場さんがいるという話を聞き、矢も楯もたまらず飛んで行った。今度は逃げないで受けてくれたので、自分としては今非常にうれしい。東京でも大阪でもどこでもいい。どこでやっても馬場さんに勝つ自信はある。」とコメント。

9月23日馬場は、大韓プロレス協会の権五台会長と会談し、全面協力を約束。同夜、ソウル市奨忠体育館で行われた大韓プロレス協会の試合を観戦、メインイベントはパク・ソンナン(朴松男)にボボ・ブラジルが挑戦したWWA認定USヘビー級選手権試合で、ブラジルのココバットに額から大流血させられたパクでしたが、リング中央で足4の字固めを決め、ブラジルはギブアップはしませんでしたが16分26秒、レフェリーストップ勝ちでパクが王座防衛。

また、新日本プロレスの「闘魂シリーズ」を途中欠場して星野勘太郎がこの大会に参加しており(詳細は不詳)、韓国名である呂建夫(ヨ・コンブ)としてファイトしています。

これは新日本プロレスの「第2回ワールド・リーグ戦」を搔き回し、面白くした立役者の大木の人気に目をつけた馬場、全日本プロレスが大木を「外敵」として引き抜きにかかったものでした。馬場からの密命で交渉にあたったのは小鹿と言われており、時期的にははっきりしませんが、「第2回ワールド・リーグ戦」参戦時にはコンタクトがあったと思われます。

また、大木は突如6月に来日し極真空手の大山倍達総裁に挑戦を表面したことがありました。事の発端は75年6月9日発行の毎日新聞の大山館長のコラムにアメリカでプロレス修行をした時の話が載ったことで「日本プロレス界の王者だった力道山さえ勝てなかったタム・ライスを含め270勝した」という箇所に噛みつき、「力道山先生はライスにはその後勝っている。先生を侮辱するとは許さない」と6月17日渋谷の喫茶店「MIO」で記者会見を行い、大山館長に挑戦を表明したものでした。

この大木の大山館長ヘの挑戦問題は暗礁に乗り上げてしまい先へ進みませんでしたが、新日本プロレスは「ゴールデン・ファイト・シリーズ」の巡業中、全日本プロレスは「ブラック・パワー・シリーズ」東京体育館大会があった日で、その前後数日間は大木は日本に滞在していたと考えるのが普通。このあたりで大木と小鹿が接触したと考えられます。

新日本プロレスは秋の「闘魂シリーズ」あたりで、「第2回ワールド・リーグ戦」開幕戦の4月4日蔵前国技館での公式戦で猪木が大木の頭突きの奇襲攻撃の前に僅か1分16秒、リングアウト負けし対戦成績が1勝1敗1分の五分となっていたところから大木と猪木の決着戦をと考えていたと思われ、大木の全日本プロレスヘの移籍は、興行的にダメージを受けた格好となりました。馬場の攻勢はまだまだ続きます…。

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