翌77年に開催された「第5回チャンピオン・カーニバル」は、似たようなメンバーを集めたものの、面白さでは前年とかなり差がついたように思います。
前年度優勝者のアブドーラ・ザ・ブッチャーは変わらずでしたが、ザ・バラクーダのところにスーパー・デストロイヤー(ドン・ジャーデン)、キング・イヤウケアのところにブル・ラモスが入りましたが、これが全くの期待外れ。
Sデストロイヤーはザ・デストロイヤーの覆面世界一決定戦十番勝負最終戦(PWF認定USヘビー級選手権試合、76年8月28日日大講堂)の対戦相手で明らかにザ・バラクーダより格上。この時も「全米であまりに売れっ子である」ことを理由に2大会のみ特別参加、という破格の扱いでした。
6週間に亘る長期リーグ戦でボロが出たか、4月15日、松江市総合体育館で行われたザ・デストロイヤーとの公式戦でショルダー・バスター1発からダブルニースタンプでフォール負けしてしまったのを皮切りに馬場、鶴田、ブッチャー、大木金太郎の上位陣に全敗、ラモスとは両者リングアウトで16点という覇気のない成績に終わりました。
ラモスはジャイアント馬場、ジャンボ鶴田に負け、ザ・デストロイヤー、ブッチャー、Sデストロイヤー、大木と両者リングアウトで同じく16点。
この年は5月14日全日本プロレス初の単独開催となった日本武道館(観衆10,500人発表)で1位と2位による優勝決定戦が行われることとなり、1位通過が失点7で21点を獲得した鶴田が初の決勝進出。
2位には失点8の馬場とブッチャーが20点で並びました。
まずは馬場とブッチャーが決勝進出者決定戦で対戦し馬場の反則勝ち。
優勝決定戦は2試合目の馬場と鶴田の師弟対決。公式戦では5月4日秋田市立体育館で初の30分時間切れ引き分けとなっている両者でしたが、10分25秒、馬場が伝家の宝刀ランニング・ネックブリーカードロップからの体固めで鶴田を破り、2年ぶり4度目の優勝。
前年、UNヘビー級王座を獲得し若き二冠王となった鶴田の決勝進出はサプライズでもなく、極めて順当であり、これで鶴田が優勝すれば話は別ですが、大きな波乱もなく、前年ほどの盛り上がりには欠けました。
リーグ戦をつまらなくしたのは外国人側ではSデストロイヤーとラモス、加えてザ・デストロイヤーと大木の責任であったと思います。(実際はマッチメークを馬場の責任)
Sデストロイヤーは全然「スーパー」ではなく、単にリングネームだけで覆面十番勝負の最終戦に当てられたに過ぎず、ラモスはイヤウケアとのザ・タイクーンズ(大君の意)で75年8月、78年1月に一緒に来日、扱いはイヤウケアと同格でしたが、迫力や華の有無、フライング・ボディプレスの破壊力、どこを取ってもイヤウケアの方が数段上でした。
「チャンピオン・カーニバル」は第10回大会を除き、必ず1人はザ・デストロイヤーを除き外国人側にマスクマンが参加しています。
第1回がカリプス・ハリケーン(サイクロン・ニグロ)、第2、3回がミスター・レスリング(ティム・ウッズ)、第4回がバラクーダ、第5回がSデストロイヤー、第6回がブラック・テラー(タンク・パットン)、第7回がドスカラス、第8回がミステリアス・アサシン(ボビー・ジャガーズ)、第9回がジ・アベンジャー(ムース・モロウスキー)。
Mレスリングとドスカラスはベビーフェイス。このうち第8回のMアサシン、第9回のアベンジャーが馬場にいずれもリングアウト勝ちしています。
82年第10回大会を区切りとして翌83、84年はタイトルマッチラッシュとなる「グランド・チャンピオン・カーニバル」を�機銑靴泙�(3月〜7月位迄)を開催。
長州力らジャパンプロレス勢が来た85年は春には「激烈!スーパー・パワー・ウォーズ」を開催。10月に「ワールド・チャンピオン・カーニバル」を開催しています。
86年からは春にチャンピオン・カーニバルの名称が復活し、91年からは公式戦形式が9年ぶりに再開。
リーグ戦形式中止の最大の原因となった公式戦の消化試合(馬場vs大熊元司、ブッチャーvsウェイン・ファリス等勝敗の分かりきったカードを組まれたプロモーターから苦情が来た為)はABブロック分けで工夫されました。
四天王時代は「世界一過酷なリーグ戦」と言われハードな試合内容を展開、唯一、三沢光晴が代表を務めていた馬場没後の00年〜ノア勢大量離脱の01年まではトーナメント、02年以降武藤敬司体制となってからはブロック別リーグ戦が復活し、現在まで続いています。
よって、グランドとかワールドとか頭に何かは付いているものの「チャンピオン・カーニバル」という名称が全日本プロレスから消えた年は73年以降53年間、54回1度もありません。
マリオ・ミラノは「第5回チャンピオン・カーニバル」の次に開催された「NWAチャンピオン・シリーズ」に素顔では初めて全日本のシリーズに参加していますが、次回からはバラクーダ以外に素顔で来日した時のミラノの日本での功績を振り返りたいと思います。
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