79年「サマー・ファイト・シリーズ」が終わるとアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳の3人はアメリカ、カナダへ遠征を行いました。
8月10日(現地時間)ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでは猪木がタイガー・ジェット・シンと7分3秒両者リングアウトの引き分けでNWFヘビー級王座23度目の防衛。日本とは違い場外カウントが10であり、猪木vsシンの中で最も淡泊な試合内容だったと思います。
坂口はアレン・コージ(バッドニュース・アレン)と北米ヘビー級王座の防衛戦。アレンは77年10月25日、日本武道館での坂口との柔道ジャケットマッチに敗れ、新日本プロレスの留学生となりました。
WWEスーパースターを輩出した実績を持つ新日・野毛道場初のアメリカ国籍の留学生となりバッファロー・アレンのリングネームで同年闘魂シリーズ第2弾からレスラーデビュー。
78年3月の「ビッグ・ファイト・シリーズ」まで前座試合に出場した後アメリカに帰国、ニューヨーク、ロサンゼルスで試合を行い、新日本に参戦していたレロイ・ブラウンとの黒人コンビでアメリカス・タッグ王座を獲得。ヒールとして早くもトップで大活躍していました。
柔道メダリストのプロレス入りと言うと全日本のアントン・ヘーシンク、新日本のウィリエム・ルスカら金メダリストがいますが、プロレスの動きに対してはぎこちなさが感じられました。
アレンはフィラデルフィア在住の日本人柔道家、米塚義定の売り込みにより新日本入りを果たしましたが、一番ハングリーで飲み込みも早く、センスも秀でていました。
試合は凶器を使用したアレンでしたが坂口がアレンの凶器を奪って反撃。制止に入ったレフェリーを突き飛ばして14分26秒反則負け。ルールによりベルト移動はなく坂口が不本意ながら4度目の防衛を果たしました。
坂口は柔道出身のアレンに目をかけていて自分のライバルになる様、翌80年からは新日本のレギュラーとして毎回呼んでメインイベンターに引き上げていくことになります。
藤波は未来日だったスキップ・ヤングとWWFジュニア・ヘビー級王座の防衛戦を行い2-1で23度目の防衛に成功しています。
猪木、坂口、藤波は8月17日(現地時間)にはカナダ・アルバータ州カルガリー・スタンビート・ビクトリア・パビリオンのスチュ・ハートの興行に出場。
猪木のNWFヘビー級王座に挑んだのはスタン・ハンセンで、9分15秒延髄斬りからの体固めで猪木が勝利を収め、24度目の防衛。ハンセンはこの時は日本で見せたような凄みのあるブルファイトは存分に見せず、大人しめの「アメリカ仕様」のハンセンでした。
坂口の北米ヘビー級王座にはシンが挑戦。坂口にとっては最強の挑戦者出現となりました。
試合は場外乱闘となり、11分31秒にリングアウト負け。リングアウトではベルトは移動せず、坂口は屈辱の2連続敗戦で5度目の防衛となりました。
藤波は7月に国際プロレスに初来日し阿修羅・原と激しい試合を展開して高い評価を得たダイナマイト・キッドとWWF&英連邦両ジュニア・ヘビー級ダブルタイトルマッチを行い20分33秒両者リングアウトの引き分けで共にタイトル防衛に成功。
日本ではカルガリー在住の国際プロレスの大剛鉄之介がブッカーを勤めていた関係で国際と密接なつながりのあったスチュ・ハートでしたが遠征に帯同していた新間寿営業本部長はスチュに好条件を提示して国際との提携はやめて、新日本とビジネスを始めるよう交渉。
スチュはこれを受けて日本でのビジネスパートナーを国際から新日本へ鞍替えしています。
8月26日には日本武道館で東京スポーツ新聞社創立20周年記念事業として新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスの3団体が集結した「プロレス夢のオールスター戦」が開催されました。
メインはジャイアント馬場&猪木のBI砲が7年8か月ぶりに復活、対戦チームを決めるファン投票で1位となったアブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シン組と対戦、13分3秒猪木が逆さ押さえ込みでシンに勝利。
セミでは国際のエース、ラッシャー木村が元国際エースのストロング小林に12分4秒リングアウト勝ち。
ジャンボ鶴田&藤波&ミル・マスカラス組vsマサ齊藤&高千穂明久&タイガー戸口組は14分56秒、マスカラスがダイビング・ボディプレスで齊藤をフォール。
坂口は全日本のロッキー羽田とシングルで対戦、6分34秒、アトミック・ドロップからの体固めで完勝しています。
北米タッグ王者長州はIWA世界タッグ王者アニマル浜口と初タッグを結成、全日本のアジア・タッグ王者チームであるグレート小鹿&大熊元司組の極道コンビと対戦し11分8秒、反則勝ちとなりました。
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