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2026年02月27日07:08

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【特別編】マイティ井上さん追悼(203)

87年4月10日(現地時間)メリーランド州ボルチモア・アリーナで行われた「第2回タッグ五輪」ジム・クロケット・シニア・メモリアルカップ・レスリング・トーナメント初日の続きです。

1回戦第5試合、デニス・ブラウン&トッド・チャンピオン組vsランディ& ジョーのマルキー・ブラザーズの一戦。

ブラウンはこの時点では未来日。フロリダではNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を保持し86年2月14日、フロリダ州オークランドでアメリカ修行中のホワイト・ニンジャ(武藤敬司)の挑戦を受け、ニンジャのムーンサルト・プレスを浴びましたがフォール負けは逃れ、最後はニンジャのオーバーザ・トップロープによる反則負けで防衛し、その名前を日本のファンに知られることになりました。この年の7月に全日本プロレスに初来日しています。チャンピオンもこの時点で未来日、これより7年後の89年8月に全日本プロレスに初来日します。

相手のマルキー・ブラザーズは来日はありませんでしたが、おそらくミッドアトランティック地区のジョバーでしょう。試合は3分21秒、チャンピオンが片エビ固めでランディを破り、ブラウン&チャンピオン組の勝利、2回戦で第5シードの馬場&高木功組との対戦が決定。

1回戦第6試合、ベテランチーム、ネルソン・ロイヤル&マイク・グラハム組とスタン・レーン&スティーブ・カーンのザ・ファビラス・ワンズと対戦。ロイヤルは1〜2月の「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」に来日したばかり。Mグラハムはこの2年前の85年にピストル時自殺を遂げたフロリダのプロモーター、元NWA会長エディ・グラハムの息子、エディと共に74年2月に全日本プロレスに初来日、77年2月にも全日本に再来日。80年2月15日、フロリダ州オーランドで新日本プロレスの藤波辰巳を破ってNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座を獲得。その流れで同年3月に新日本に参戦、藤波にリターンマッチで敗れました。

ファビュラス・ワンズのSレーンはスタンリー・レーンとして81年7月に新日本プロレスに1度だけ来日し藤波のWWFジュニア・ヘビー級王座に2度挑戦。Sカーンは初来日は75年4月の全日本プロレスでしたが80年1月に前出のNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者として新日本プロレスに参戦し藤波と激闘を展開、4人中3人が藤波と因縁があり、ロイヤルも新日本には上がっていませんがオクラホマ版の正統NWA世界ジュニア・ヘビー級王者に長く君臨していました。試合は19分2秒、両チーム反則裁定となり決着つかずルールにより両チーム失格となりました。

1回戦第7試合はボブ&ブラッドのアームストロング親子vsイワン・コロフ&ブラジミア・ピエトロフ組。大ベテランボブ・アームストロングは初来日は68年8月の日本プロレス、馬場、猪木と対戦した古豪。72年3月の新日本プロレス「旗揚げオープニング・シリーズ」にはジム・ドランゴの変名(カール・ゴッチのブッキングで参戦したが、日本プロレスから『猪木の団体に行ったレスラーは日本プロレスに呼ばないばかりかNWAのテリトリーで仕事が出来ないようにしてやる』と脅しをかけた為)で来日。息子のスコット、ブラッド、スティーブ、ブライアンもプロレスラー。

ブラッドは次男に当たり、前86年7月に全日本プロレスに初来日、ヒロ斉藤と新設された初代世界ジュニア・ヘビー級王座決定戦で対戦して敗れました。

イワン・コロフは言わずと知れた元WWWF世界ヘビー級王者、日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレスに参戦。クロケット・プロではニキタ・コロフ&クラッシャー・クルスチェフ組のザ・ロシアンズのプレーイングマネージャーとして活躍していましたが、87年に入りクルスチェフのWWF移籍(クラッシュ・デモリッションへの変身)でロシアンズは解散。ニキタはベビーターンしていました。

イワンの新しいパートナー、ブラジミア・ピエトロフはロシアンギミックの新人、後の92年にW☆INGにブラジミア・コロフのリングネームで来日します。試合は、11分25秒アームストロング親子が反則勝ち。2回戦で第7シードのケビン・サリバン&アーン・アンダーソン組との対戦が決定しました。

1回戦最終第8試合、大ベテランチームワフー・マクダニエル&バロン・フォン・ラシク組とスパイク&バッシャーのマッド・スクワットが対戦。日本でもお馴染みの「狼酋長」ワフーは国際プロレス、全日本プロレス、新日本プロレスに参戦、82年1月に新日本に参戦してからは来日が途絶えていました。ラシクも国際、全日本に参戦、81年11月にキラー・カール・クラップとの「爪コンビ」で世界最強タッグ決定リーグ戦に参加したのが最後の来日、84年にはAWA世界ヘビー級王者として北米サーキットを行った鶴田に挑戦しました。70年代には両者はAWA地区で対戦しています。ラシクが齢を取ってベビーターンし、このタッグが実現しています。

相手チームのマッド・スクワットは未来日ですが前86年12月、カリフォルニア州ロサンゼルス・ザ・フォーラムで馬場&輪島組と対戦し、その名前が日本にも知られることになりました。会場人気の高いワフー&ラシク組でしたが、寄る年波には勝てず10分9秒、バッシャーがラシクを体固めに降してマッド・スクワットが2回戦進出で第8シードのタリー・ブランチャード&レックス・ルガー組と対戦です。



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