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2026年02月21日07:41

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週プロ流智美あの日あの時予想2025年総括(46)

第417戦、11月26日発売号●【予想】聖地後楽園ホールで初のプロレス興行、ジャイアント馬場vsルイス・ヘルナンデス(66年11月25日日本プロレス後楽園ホール)【正解】看板タイトルマッチ報道と長嶋茂雄婚約発表の苦しい折衷、アジア・タッグ選手権試合、豊登&馬場組vsビル・ドロモ&クルト・フォン・ストロハイム組(64年日本プロレス高知県民ホール)

【参考】 2014年11月26日発売号は4通りの初対決が実現!スミスが“意中の男”に遭遇、世界最強タッグ決定リーグ戦公式戦、ジャンボ鶴田&天龍源一郎組vsダイナマイト・キッド&デービーボーイ・スミス組(84年全日本プロレス新潟市体育館)

【予想解説】日本プロレスは61年に渋谷区道玄坂にプロレスの殿堂「リキ・スポーツパレス」を設立、ハワイ・ホノルル・インターナショナルセンターをモデルに設計した建物は3,000人が収容出来るアリーナで、力道山死後も日本プロレスの常打ち会場としてファンに親しまれて来ました。

当時で15億円を投入して建てられたプロレスの常設会場であるリキパレスは完成を見たが、力道山はプロレスだけでなく、自身の野望も詰め込み、1階はボウリング場、2階は芸能人ご用達の高級レストランや喫茶店、裏には当時トルコ風呂と言われたサウナ「リキトルコ」(風俗店となるソープランドとは別)、3〜5階は吹き抜けの常設会場、4、5階は観光開発部門のリキエンタープライズ、6階は力道山の社長室とトレーニングルーム、7階はクリニックや美容室、8階はボディビルと力道山の事業の全てが集約されました。

力道山はこの頃から、プロレスで受けたダメージと過度の飲酒による自身の衰えを痛感しはじめており、いずれ引退しリキパレスを拠点として実業家へ転身することを考え始め、リキパレスのある渋谷を拠点に力道山王国を作り上げようとしていました。

力道山の付き人をしていた猪木の事業に対する執着心が限りなく強いのは、ブラジル時代の貧困な移民生活と力道山の事業家としての姿を直近で見ていたからです。

ところが63年12月15日力道山が暴力団員に刺された傷が元で、腸閉塞の為に急死してしまいます。力道山の事業はほとんどが借入金で賄われており、ワンマン経営であった力道山が同時に走らせていた複数の事業は頓挫、リキパレスにも債権者による抵当権が設定され、債務不履行により物件を手放さなくてはならなくなりました。

リキパレスの所有者は力道山の個人会社リキエンタープライズであり、日本プロレスの所有ではありませんでしたが、日プロ取締役営業部長だった吉原功はリキパレスを日本プロレスリング興業株式で買い取るべきと主張、反対派の芳の里社長、遠藤幸吉らと対立し、結果は日プロがリキパレスを買取する話はなくなり、吉原は日プロを退職、在米フリーのヒロ・マツダと共に新会社国際プロレスの設立に向けて動き出します。

リキパレスは西山興業に売却され、跡地にはキャバレー「エンパイア」がオープン。常打ち会場がなくなった日プロはボクシング用の試合場として62年に建てられた水道橋の後楽園ホール(旧後楽園ジムアナジム)へ常打ち会場を変更。

記念すべきプロレス初興行開催は66年11月25日で、メインイベントでは馬場がルイス・ヘルナンデス(ジノの父親、72年2月1日、心臓発作の為日本で客死)と60分3本勝負で対戦、1本目は10分39秒に片エビ固め、2本目は3分44秒に背骨折りで2−0のストレート勝ちを収めています。

以来、今年2026年で60年間、後楽園ホールは現在もプロレス、格闘技の聖地として多くの興行を開催しています。

【正解解説】昨日「2月20日生まれの昭和のスーパースター」としてX上でアントニオ猪木、長嶋茂雄、志村けんの御三方への追悼メッセージが溢れかえりました。

長嶋茂雄さんは昨2025年6月3日に89歳で亡くなり、「昭和100年」の昨年で昭和は遥か彼方に行ってしまった感があります。

本稿では長嶋さんの婚約発表という国民的関心事のニュースと「プロレス新聞」だった当時の「東京スポーツ」がプロレスのビッグマッチの試合詳報をどのように扱ったか?というテーマでした。

長嶋さんが64年東京五輪コンパニオンだった西村亜希子さんとホテルニューオータニで婚約発表記者会見を行ったのが11月26日。

同日日本プロレスは高知県民ホールで豊登&馬場組の「TB砲」がドロモ&クルト組の挑戦を受けてアジア・タッグ王座防衛戦を行なっています。64年当時は力道山が急逝してまだ1年経っておらず、生前保持していたインターナショナル王座、アジア・ヘビー級王座はまだ封印されており、インターナショナル・タッグ王座はまだ出来ておらず、アジア・タッグ王座が唯一の国内メジャータイトルでした。

1本目は13分21秒、ドロモが馬場を体固め、2本目は2分20秒、馬場がドロモを片エビ固め、決勝の3本目は5分53秒、豊登がクルトを体固めで破り2−1でアジア・タッグ王座5度目の防衛に成功しています。

当時の東スポといえば、世間でどんな大事件が起きようが「馬場血ダルマで防衛」とか「殺し屋達が羽田に集結!」(シリーズ参加の外国人レスラーの羽田空港会見)などおどろおどろしい見出しを貫き通し、プロレス新聞としての本領を発揮していましたが、さすがにスポーツ紙として発売している以上、国民的スーパースターの婚約会見を1面に載せない、というのは読売巨人軍との関係構築の為にも難しいところ。

そこで苦肉の策として1面を長嶋婚約とアジア・タッグ選手権試合詳報に「分割」して掲載する折衷案で何とか両方の顔を立てたというところです。

※対戦成績は417戦64勝353敗、勝率153。
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