第405戦、9月3日発売号●【予想】4人全員がパワーファイター、力対力の激突、北米タッグ選手権試合、坂口征二&ストロング小林組vsスーパースター・ビリー・グラハム&イワン・コロフ組(76年新日本プロレス愛知県体育館)【正解】猪木の大抜擢を受けた28歳ハンセンが初のタイトル挑戦、NWFヘビー級選手権試合、アントニオ猪木vsスタン・ハンセン(77年9月2日新日本プロレス愛知県体育館)
【参考】 2014年9月3日発売号は「革命終期」の長州と「革命前年」天龍が一騎打ち!天龍源一郎vs長州力(86年全日本プロレス大阪城ホール)
【予想解説】76年新日本プロレス秋の陣「闘魂シリーズ」は8月27日、後楽園ホールで開幕。
前半戦特別参加が新日本プロレス初参戦となる「鉄腕」スーパースター・ビリー・グラハム、2度目の新日本プロレス参戦となる「ロシアの怪豪」イワン・コロフ。後半戦特別参加が「大巨人」アンドレ・ザ・ジャイアント、ビル・ドロモ。
シリーズ全戦参加がクルト&カールのフォン・スタイガー兄弟、ブラックジャック・モース、テリー・ルージと豪華メンバーが集結。先の「アジア・リーグ戦」は興行的にも盛り上がらず、「アリショック」と言われ地方の売り興行のキャンセルが発生するなど盛り上がりを欠いたシリーズになってしまいました。
この「闘魂シリーズ」も一部その余波を引きずった部分はありましたが、WWWFからの大物招聘で反転攻勢に出るべく勝負を賭けています。
注目は新日本プロレス初参戦のグラハム。本名エルドリッジ・ウェイン・コールマン。1943年9月10日、アリゾナ州パラダイスバレー出身の当時32歳(来日中に33歳となった)193cm、125kg。猪木と同い年。
70年代を代表するスーパースター。80年代以降続々と全米で活躍ようになるハルク・ホーガン、ジェシー・ベンチュラ、ランディ・サベージ、アルティメット・ウォリアー、レックス・ルガー、リック・ルードなどのボディビルダー系、マッチョマン系と称されるタイプのレスラーたちのモデルとなった人物で業界を代表するアイコンでもあります。もう少し広義に見れば、アニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズもこのカテゴリに属します。
怪力と反則を駆使したスタイルでテクニックには乏しかったが、観客とのやり取りやマイクパフォーマンスには抜群の才能を発揮し、ヒールでありながら脅威的な人気を誇り。ホーガンやベンチュラらは元々はグラハムのファンであり、熱心なフォロワーでもありました。
世界の頂点に立ったリック・フレアーも、マイクパフォーマンスでの毒舌はグラハムの話術をコピーしたとカミングアウトしています。サイケデリックな色彩の絞り染めのロングタイツとバンダナのリングコスチューム、丸い透明なサングラスをつけて入場。「入場だけでお金の取れる男」と言われました。
同年夏、NWAのロサンゼルス地区にてドクター・ジェリー・グラハムと出会い、長男ジェリー、次男エディ、三男ルークからなるグラハム兄弟の「末弟」としてスーパースター・ビリー・グラハムのリングネームを名乗りました。
スーパースターは当時大ヒットしていたミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」から、ビリーはキリスト教伝道師のビリー・グラハムからそれぞれ付けられたとされる。その後はサンフランシスコ地区に転戦。71年1月7日に同地区のカウ・パレスにてパット・パターソンと組み、レイ・スティーブンス&ピーター・メイビア組を破り同地区認定のNWA世界タッグ王座を獲得。
72年10月よりAWAに参戦。ワフー・マクダニエルとの抗争で名を売り、74年8月16日にはコロラド州デンバーでビル・ロビンソンを2−1で破ったとして、AWAと当時業務提携をしていた国際プロレスのIWA世界ヘビー級王座を獲得。(本連載記述の通り、実際にはこの試合は行われていない可能性が強い)
同年9月、第8代IWA世界ヘビー級王者として国際プロレスの「スーパー・ワイド・シリーズ」に初来日。9月15日の後楽園ホールでの開幕戦ではアニマル浜口を降し、試合後には「ハマグチなんて若僧は口ほどでもない。日本で俺に勝てる奴なんていないだろう」などと豪語しました。
この日は東京12チャンネルの「国際プロレスアワー」のレギュラー「収録」第1回(放送は1週後の9月23日日大講堂からの生中継が初回)であり、同局が選曲した日本初のレスラー個人に対しての入場テーマ曲として映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」からメインテーマ曲「スーパースター」で入場しています。グラハムは日本において「個人のテーマ曲で入場してくるプロレスラー第1号」として歴史に残る選手となりました。また、開幕戦では試合前に同じボディビル出身である浜口とのベンチプレス対決など数々の話題を残しています。
東京12チャンネルのレギュラー放送第1回となる9月23日、日大講堂ではバロン・フォン・ラシクと組んでラッシャー木村&グレート草津組の保持するIWA世界タッグ王座に挑戦し1−1から反則負け。
IWA世界ヘビー級王者のグラハムの前に挑戦者として立ち上がったのはマイティ井上。井上との同タイトル戦はシリーズ中に3回行われ、10月1日、大分県営体育館では2−1でグラハムの勝ち、10月5日、愛知県体育館では1−1から両者リングアウトの引き分け、10月7日、埼玉県越谷市体育館では井上が2−1で勝ってベルト移動、グラハムは王座を明け渡しています。
75年にはAWAを離れ、フリッツ・フォン・エリックのテリトリーであるテキサス東部のダラス地区に転戦、4月4日にブラックジャック・ランザ、8月5日にマッドドッグ・バションから同地区のブラスナックル王座を2度に亘り獲得。その後、ノースカロライナを中心としたNWAミッドアトランティック地区を経て、10月よりグラン・ウィザードをマネージャーに迎えてWWWFに初参戦。
11月29日、マサチューセッツ州ボストン・ガーデンで早くもブルーノ・サンマルチノのWWWFヘビー級王座に挑戦し互角の攻防を展開し引き分けて見せました。
猪木も初出場した12月15日ニューヨークのMSGに初登場し、ドン・デヌーチを9秒でベアハッグでギブアップさせてセンセーショナルなMSGデビューを飾っています。
翌76年1月12日のMSG定期戦では、サンマルチWWWFヘビー級王座に挑戦してリングアウト勝ちを収めています。(タイトルは移動せず)、2月2日、同所での再戦はサンマルチノがレフェリーストップ勝ちを果たしてリベンジに成功していますが、サンマルチノとは互角の対戦成績でした)
新日本プロレス2度目の来日となる元WWWF世界ヘビー級王者、「ロシアの怪豪」イワン・コロフ。42年8月25日カナダ・オンタリオ州出身、生年には36年説もあるがこれは「逆サバ」でした。67年9月にレッド・マックナティのリングネームで日本プロレスに初来日。
68年より頭をスキンヘッドに剃り上げてロシアン・ギミックのコロフに変身。WWWF地区に登場、71年1月18日にはニューヨークMSGでブルーノ・サンマルチノをフライング・ニードロップからの体固めで破りWWWF世界ヘビー級王座を獲得。7年8か月に亘る第一次サンマルチノ政権を終わらせました。2月8日、同所でペドロ・モラレスに敗れ短命王者となりましたが、コロフは全米のビッグネームとなった訳です。
その年の6月にコロフとして日本プロレスに再来日を果たし、6月29日、東京体育館で馬場のインターナショナル王座に挑戦し2−1で敗退。また、7月1日には大阪府立体育会館でダッチ・サベージと組んで馬場&猪木組のBI砲のインターナショナル・タッグ王座にも挑戦、こちらも2−1で敗れましたが、エース外国人として活躍しました。
AWAでファイトしていた73年4月、国際プロレスの「ダイナマイト・シリーズ」に登場、ストロング小林とはここで対戦。これまで「闘魂シリーズ第2弾」で紹介してきた参加外国人の中では初来日のベアキャット・ライトを初め、S小林と内外問わず対戦経験のないレスラーばかりでしたが、コロフはS小林と激闘を展開。
4月18日茨城県土浦スポーツセンターでマッドドッグ・バションとのタッグでS小林&グレート草津組を破りIWA世界タッグ王座を獲得。4月30日、足立区体育館でラッシャー木村&草津組を相手に2−0のストレート勝ちで初防衛。
5月14日千葉県船橋ヘルスセンターローラースケート場でR木村&草津組の再挑戦の前にベルトを落としました。5月15日埼玉県大宮スケートセンターでS小林のIWA世界ヘビー級王座に挑戦、2−1でS小林敗れました。
その後はWWWFに戻り、試合をしていましたが、この75年に米国版IWAに引き抜かれ移籍、7月10日、ニュージャージー州ジャージーシティ・ルーズベルト・スタジアムでミル・マスカラスの米国版IWA世界ヘビー級王座に超戦し1−1から両者リングアウトの引き分け。
22,000人の大観衆を動員しWWWFの屋台骨を揺るがしましたが、ビンス・マクマホン・シニアはヒールの要であるコロフを引き抜き返しました。これで形勢逆転、米IWAは撤退となりましたが、他にも要因はありました。
ルーズベルト・スタジアムはWWWFの本拠地ニューヨークとはハドソン川を渡ってすぐのところにありますが、地下鉄のマンハッタン駅から直結して行くことができたMSGと違い来場には車が必要だったこと。マスカラスvsコロフ戦の行われた初回の大会は無料送迎バスが出ましたが、第2弾以降は出なかったこと、またマスカラスの脇を固めるベビーフェイスの大物としてWWWFから移籍が確実視されていたビクター・リベラが両団体を天秤にかけた結果、WWWF残留を決めたことなどがあげられます。
WWWFに復帰したコロフは10月13日MSGでサンマルチノと因縁の対決が組まれ、これが人気爆発。前売チケットはソールドアウトし、地下の劇場でのクローズドサーキット(今で言う有料のライブビューイング)までぎっしり埋まる超満員。コロフはサンマルチノの額を鉄柱に叩きつけて流血させ大荒れの末ノーコンテスト、サンマルチノを追い込みました。
新日本プロレス初参加直前となる11月17日MSGでの再戦ではサンマルチノの反則勝ちとなりまたも決着つかず、75年11月の「闘魂シリーズ第2弾」に特別参加。
12月4日大阪府立体育会館ではグレッグ・バレンタインと組んで猪木&坂口組の北米タッグ王座に挑戦、1本目は16分8秒、両チームリングアウトで1−1、決勝の2本目は8分1秒、坂口がGバレンタインを体固めで破り2−1で猪木&坂口組が初防衛に成功しています。
帰国後、グラハム初登場、猪木も出場した12月15日MSGでケージマッチでサンマルチノと3度目の対戦、11分35秒、サンマルチノが場外エスケープによる勝利でようやく決着がつきました。
76年新日本プロレス「闘魂シリーズ」開幕戦、8月27日後楽園ホール大会メインイベントは次週9月3日愛知県体育館で北米タッグ王座を賭けて対戦する坂口&S小林組とグラハム&イワン・コロフ組による同一カードでの前哨戦。北米タッグを争うチーム同士が、1週間前の開幕戦で同一カードで対戦。
1本目は13分32秒、コロフがS小林を体固め、2本目は3分34秒、S小林がコロフを逆エビ固めでギブアップさせて1−1。決勝の3本目は4分45秒、両チームリングアウトとなり、前哨戦は引き分けに終わっています。
9月3日愛知県体育館での本番のタイトルマッチでは1本目は6分12秒、S小林がコロフをブレーンバスターから体固め、2本目は15分59秒、コロフがS小林をフライング・ニードロップから体固め、決勝の3本目は2分28秒、4者入り乱れての場外乱闘となり、坂口のアシストを受けたS小林がリングに上がってリングアウト勝ちを拾い、辛うじて2−1で坂口&S小林組が4度目の防衛を果たしました。
【正解解説】25年前の01年1月28日、全日本プロレス東京ドーム大会で引退セレモニーを行った「不沈艦」スタン・ハンセン。来日外国人レスラーの最多記録を誇り、日本のファンに長く愛されたハンセンですが、ハンセンをスターダムに押し上げたのはやはり77年に新日本プロレスに初登場してからの猪木との一連の激闘です。
前76年、WWWF入りしたハンセンは4月26日、ニューヨークMSGでブルーノ・サンマルチノのWWWFヘビー級王座に挑戦、ボディスラムのミスでサンマルチノの首の骨(第六頸椎損傷)を骨折させるアクシデントを起こしてしまい、年内でWWWFをリリースされることが決まっていましたが、ビンス・マクマホン・シニアはハンセンを新日本プロレスにブッキング。
「新春黄金シリーズ」開幕戦の1月7日越谷市体育館のメインイベントで猪木といきなりシングルマッチを行い、タイガー・ジェット・シンと上田馬之助の乱入もあり、11分13秒に反則勝ち。翌週の1月14日、福岡九電記念体育館での再戦ではまたもシンと上田が入って来て12分22秒に反則勝ち、シンと上田は猪木を押さえ付け、そこへハンセンがウェスタン・ラリアット。猪木は首を負傷し救急車で福岡市内の病院に搬送され頸椎挫傷により2週間の欠場。
テレビ復帰第1戦となった2月2日大阪府立体育会館でハンセンのシリーズ3度目のシングルマッチを行った猪木は12分49秒、ハンセンのラリアットをかわしてのバックドロップからの体固めで初のフォール勝ち。この後も2月6日岩手・久慈市民体育館、2月9日横浜文化体育館で両者はシングルで対戦、猪木がいずれも逆さ押さえ込みで勝利。
2月7日一関市体育文化会館でのテレビ収録マッチで猪木&坂口征二組の黄金コンビvsシン&ハンセン組という頂上対決が実現、1本目は日本組の反則勝ち、2本目はハンセンのラリアットがシンに誤爆、猪木がシンから体固めでフォール勝ち。この大会はシリーズ最終戦の2月10日、日本武道館大会の後の2月25日に放送されていますが、武道館で猪木のNWFヘビー級王座に挑戦するシンが取られた、というのはやはり新日本プロレス側にハンセンを今後売り出していこうとする意図があったと言えます。
ハンセンは8月26日桐生市民体育館で開幕した「闘魂シリーズ」に再来日、当初、同シリーズのエースは新日本プロレス初参戦となる元WWWF、AWA世界タッグ王者のブラックジャック・マリガンでしたが、猪木はハンセンの可能性を信じて9月2日、愛知県体育館でNWFヘビー級王座の挑戦者に抜擢。
この試合、マリガンがハンセンのセコンドに付いて試合にて介入、場外でマリガンがアシストしてハンセンがラリアットをみまってリングに上がり、猪木は場外でダウンしたまま立てずに一旦は猪木のリングアウト負けの裁定が降りました。
しかしリングサイドにいたサブレフェリーの田中米太郎、柴田勝久がメインレフェリーのミスター高橋にアピール、マリガンの介入があったとして判定は覆り試合続行。25分13秒というロングマッチとなり、猪木がバックドロップからの体固めでハンセンを破り、10度目の防衛に成功しています。
これまでシン、ジョニー・パワーズ、アンドレ・ザ・ジャイアントだけで廻してきて、いささかマンネリ化していた猪木のNWFヘビー級王座防衛戦に新しい強敵が現れた記念すべき試合だったと思います。
※対戦成績は405戦63勝342敗、勝率156。
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