第401戦、7月30日発売号●【予想】流血パワーズ暴走、猪木反則勝ちで王座防衛、NWF世界ヘビー級選手権試合、アントニオ猪木vsジョニー・パワーズ(74年新日本プロレス名古屋市吹上ホール)【正解】馬場が「生涯、一番苦しかった試合」と述懐した防衛戦、インターナショナル選手権試合、ジャイアント馬場vsドリー・ファンク・ジュニア(70年日本プロレス大阪府立体育会館)
【参考】 2014年7月30日発売号は「破れかぶれ」が吉と出た天龍渾身の「出世試合」インターナショナル・タッグ選手権試合、馬場&ジャンボ鶴田組vsビル・ロビンソン&天龍源一郎組(81年全日本プロレス後楽園ホール)
【予想解説】NWFはプロモーターのペドロ・マルティネスと、選手兼プロモーターのジョニー・パワーズを中心に設立、運営されニューヨーク州バファロー、オハイオ州クリーブランドを拠点に、アメリカ北東部、五大湖地区およびカナダを主要エリアとして活動したアメリカ北部のアウトサイダープロモーション的団体。
70年11月17日パワーズはロサンゼルスにおいてフレッド・ブラッシーに勝利したとして初代世界ヘビー級王者に認定されその後、ワルドー・フォン・エリック、ドン・デヌーチなど目まぐるしく王座が移動しました。
最盛期にはミシガン州、メリーランド州、カナダのトロント、モントリオールへとテリトリーを拡大、弱小団体とは呼び難い勢力を持つに至った。ボボ・ブラジル、ジョニー・バレンタイン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク、アーニー・ラッドら一流選手が多数集結、パワーズとバレンタイン、ラッドとブッチャーとの抗争などの名物カードも生み、アメリカのプロレス誌上では、NWA、AWA、WWWFに次ぐ世界4大団体と認知されていた時期もありました。
73年に入ると勢力は衰退、縮小していき、パワーズはNWFをクローズしようと決意、新日本プロレスとベルト売買の契約をする事に。
同年12月10日東京体育館で猪木がパワーズのNWF世界ヘビー級王座に挑戦。1本目は20分47秒、猪木がコブラツイスト(アバラ折り)で先制、2本目は5分49秒、パワーズが足8の字固め(パワーズロック)で返し1−1、決勝の3本目は5分10秒、猪木が卍固めでパワーズからギブアップを奪い2−1で王座獲得。
世界タイトルを得た猪木の新日本プロレスは74年に大躍進、ストロング小林、ラッド、タイガー・ジェット・シン(2回)を相手に4度の防衛に成功。
5度目の防衛戦の挑戦者としてパワーズが来日、7月30日名古屋市吹上ホールで猪木にリターンマッチを挑みました。1本目は8分28秒、猪木がコブラツイスト(アバラ折り)、2本目は5分45秒、パワーズが足8の字固め、決勝の3本目は猪木が「猫手チョップ」でパワーズの額を割り、パワーズは大流血、逆上したパワーズは猪木を倒してチョーク攻撃、レフェリーの制止を無視して首絞めを続け、4分28秒に反則負けを取られ、2−1で猪木が5度目のタイトル防衛を果たしています。
【正解解説】日本プロレス「NWAワールド・チャンピオン・シリーズ」7月30日大阪大会メインイベントは馬場の持つインターナショナルヘビー級王座に、当時第46代NWA世界ヘビー級王座に就いていたドリー・ファンク・ジュニアが挑戦。
ドリーは前回の初来日時の69年12月3日東京体育館で自身の持つNWA世界ヘビー級のベルトに馬場を挑戦させるも1−1から時間切れ引き分け。この時は挑戦者に甘んじていた馬場でしたが、今度はインター王者として、ドリーの挑戦を受けて立ちました。
しかし、この日は空調の効かないことで有名だった大阪府立体育館が会場ということと、テレビ照明用のライトが設置されたことで、40度を超す灼熱地獄となっていました。
試合は60分3本勝負で行われ、まずはドリーが17分20秒、ダブルアーム・スープレックスからの体固めで1本目を先取。後がない馬場は2本目の開始のゴングと共に一気に攻めるも、ドリーは執拗に粘りに粘り簡単にフォールを許さない。ようやく必殺の32文ドロップキックを出し28分20秒、体固め。
これでタイスコアとなるも3本目を迎えた時点で既に試合開始から45分以上経過していた。このまま3本目は前回のシングル同様に時間切れになるかと思いきや、40度を超す暑さに馬場のスタミナは完全に限界を迎えていました。
猛暑の中、馬場は時間切れの作戦を練っていたと思われましが、残り5分となったところで限界だったのか、自ら場外戦を仕掛けるとそのまま意図的に両者リングアウトに持ち込み、引き分け防衛を果たしたのでした(6分55秒)。
馬場は後にこの3本目時の辛さを「これまで随分、ハードな戦いをやってきたけど、あれほど苦しい試合は無かった。頭がボーッとして心の中で『お母さん助けて』と叫んだもんな。試合中に逃げたいと思ったのは、あの試合だけだよ。」
試合を終えた馬場が控え室に帰る途中の機械室の中で脱水症状で倒れ、若手選手がバケツの水を何杯も馬場の体にかけていました。馬場の意思で両者リングアウトに持ち込んだのは、後にも先にもこの試合だけだったそうです。
※対戦成績は401戦63勝338敗、勝率157。
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