第399戦、7月16日発売号●【予想】旗揚げ10周年の新日本を襲った危機、猪木が体調不良でシリーズを全休、藤波辰巳&タイガー戸口&谷津嘉章組vsアドリアン・アドニス&グレッグ・バレンタイン&リック・マグロー組(82年新日本プロレス福岡県中間市体育文化センター)【正解】剛腕ジン・ラベールが“影の主役"として大活躍、アントニオ猪木vsシン・リーガン(73年新日本プロレス福島市体育館)
【参考】 2014年7月16日発売号は、「第3勢力」UWF、「無限大記念日」を控え本格始動!旧UWF道場開き(84年UWF世田谷区大蔵)
【予想解説】新日本プロレス82年「サマー・ファイト・シリーズ第2弾」は7月16日福岡県中間市体育文化センターで開幕しています。
第1弾の最終戦が7月8日の横須賀市総合体育館ですから、1週間しかオフがなかったのが当時の新日本プロレスの興行人気の高さを物語っていますが、開幕戦からいきなり猪木が「内臓疾患」でシリーズを全休しました。
後になってから、糖尿病であった事が猪木自身の口から公にされ、闘病生活を書いた本も出されていますがこの時は公表されていません。
高カロリーの食事を摂るプロレスラーは糖尿病になりやすく、最近はスポーツ選手の食事もきちんとカロリー計算されたものが大半ですが、昭和のレスラーは若い頃ひたすら暴飲暴食して身体を大きくしており、そのツケが40歳前後に回ってきて猪木に限らずジャイアント馬場、大木金太郎も糖尿病に悩まされていました。
4月のビッグ・ファイト・シリーズに次ぐ猪木のこの年2度目の長期欠場はファンを心配させました。
参加外国人はエース格に初来日のアドリアン・アドニス、ディック・マードック、グレッグ・バレンタイン、ダイナマイト・キッド、ブレッド・ハート、リック・マグロー、ザ・グラップラー(リン・デントン)が全戦出場。
シリーズ最終戦8月5日蔵前国技館のみWWFヘビー級王者ボブ・バックランドが特別参加しています。
日本側は第5回MSGシリーズ以来の参加となるタイガー戸口が参戦、前シリーズに続きヒロ・マツダが特別参加。
初来日のアドニスはキース・フランクスのリングネームでAWA地区でデビュー、ジェシー・ベンチュラとのタッグで売り出しAWA世界タッグ王座を獲得。1月にWWF入りしてバックランドの王座に挑戦した当時28歳の新鋭でした。
マードックは2シリーズ連続出場、バレンタインは79年10月以来2年半ぶりの参戦でWWFではもちろん、NWAのノースカロライナでもトップクラスになっていました。キッドとハートのカルガリー勢は1月に次いで半年ぶり参戦、マグローは81年4月以来の来日。
マスクマンのグラップラーはこの時が初来日で後にオレゴン州でPNWヘビー級王者となり88年には藤波とタイトルを賭けて争うことになりますが、この時はまだ若手でした。
開幕戦のメインは藤波&戸口&谷津組vsアドニス&バレンタイン&マグロー組。
1本目は谷津が7分54秒、ワンダー・スープレックスからマグローを体固め、2本目は2分8秒、アドニスがブルドッキング・ヘッドロックから谷津を片エビ固め、決勝の3本目は4分45秒、フェンスアウトで藤波がアドニスに反則勝ちし2-1で日本組が辛勝。
黒の皮ジャンを着て入場してきたアドニスはカッコ良かったですが、コスチュームを脱ぐと肥満気味の体型でした。しかし動きはスピードがありいいレスラーでした。
【正解解説】2022年8月9日柔道家でありプロレスラーで、日本プロレス、新日本プロレスと親密関係にあったロサンゼルスのプロモーター、マイク・ラーベルの実兄、ジン・ラーベル(ラベール表記の文献も有り)さんが89歳で永眠されました。
ラーベルは76年6月26日日本武道館で行われたモハメド・アリvs猪木の「格闘技世界一決定戦」のレフェリーを務めたことはよく知られていますがそれより3年前、73年新日本プロレス「サマー・ビッグ・ファイト・シリーズ」に特別レフェリーとして来日し、巡業について回っています。
このシリーズの参加外国人はシン・リーガン、ロニー・メイン、ターザン・ジャコブス、ジョン・Lサリバン(ジョニー・バリアント)、シスコ・グリマルド、デニス・ホールが来日、パワー、ラフファイターが多く、ヨーロッパの正統派キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの流れを組むテクニシャンのリーガンがエースとなりました。
リーガンは1936年(生月日不詳)北アイルランド出身、学生時代はレスリング、ラグビー、ボクシングに熱中し兵役を終えた後、教員免許を持っていたところから一度は教職に就くもイギリスに渡りロンドンでプロレス入り。
60年代はダニー・リンチ、ケンドー・ナガサキ(ミスター・ギロチン、桜田一男とは别人)、アルバート・ウォールら地元のイギリス勢をはじめ、ドイツのホースト・ホフマン、スイスのジャック・デ・ラサルテス、ベルギーのイワン・ストロゴフ、南アフリカ共和国のジャン・ウィルキンスなど欧州各国のトップと対戦しキャリアを積みました。
71年3月「第3回IWAワールド・シリーズ」にモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)、ビル・ロビンソン、カール・ゴッチらと共に初来日するも公式戦は予選落ち。
72年9月ゴッチのブッキングでノーテレビ時代の新日本プロレス「ニュー・ゴールデン・シリーズ」に来日し猪木と初対戦、この時が新日本プロレス2度目の参戦となりました。
猪木とリーガンはノーテレビの7月16日福島県体育館でシングルマッチで対戦、19分32秒、アバラ折り(コブラツイスト)で猪木のギブアップ勝ちで決着はついていましたがシリーズ最終戦、8月16日、足立区体育館大会メインイベント、シングルマッチ60分1本勝負で再戦。当時の新日本プロレスはNETの放送はついたものの、まだ興行の看板となるタイトルはありません。
試合はジックリとしたグラウンドの攻防から23分25秒、鮮やかなジャーマン・スープレックスホールドで猪木がフォール勝ち。この試合は映像が残っていない為、リアルタイムで観た人しか目に触れる機会はありませんが、猪木の「隠れ名勝負」として高く評価されています。
※対戦成績は399戦63勝336敗、勝率158。
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