全日本プロレス87年「創立15周年記念チャンピオン・カーニバル」4月2日大阪府立体育会館(テレビ収録、観衆4,100人発表)大会。この興行はジャパンプロレスへの売り興行。
老朽化の為、85年3月の大相撲春場所を最後に一旦閉館、同じ難波に2年ぶりに改築、リニューアルオープンした府立のプロレスこけら落としは両国国技館同様、全日本プロレスとなりました。府立が使えない2年間、空席の目立つ大阪城ホールで興行を開催して来ましたが、ようやく手頃(収容人員6,000〜最大7,500人弱迄可能)な府立での興行が再開。しかし、長州力が出場しないことで観客は4,100人と不入りに終わりました。
メインイベントはインターナショナル・ヘビー級選手権試合、王者ジャンボ鶴田にトミー・リッチが挑戦。鶴田はリッチがフィニッシュに多用しているフライング・ボディシザース・ドロップを受け止めるとトップロープにリッチの首を打ちつけ、ダウンしたリッチにロープの反動を利用したジャンボ・ラリアットを決め10分、片エビ固めでフォール勝ち。バックドロップを出すまでもなく呆気なく試合が終わり、鶴田が前86年10月21日、両国国技館でスタン・ハンセンから王座を奪回して以来初防衛に成功しました。
長州らの欠場でセミファイナルとして発表されていた天龍源一郎&輪島大士組vs長州&アニマル浜口組、輪島と長州の刺激的な初顔合わせという目玉カードがなくなり、輪島は石川敬士と組んでハンセン&テッド・デビアス組と対戦、12分17秒、ハンセンが石川をウェスタン・ラリアットから体固めで降し、ハンセン&デビアス組の勝利。
ジャパンプロレス残留組で首の怪我で開幕戦から欠場していた仲野信市がこの日から戦列復帰。これでジャパン残留組が全員揃いました。谷津嘉章とのタッグで全日本の天龍&タイガーマスク組と対戦、13分39秒、タイガーマスクと仲野が両者リングアウトとなりました。仲野は分裂騒動によりジャパン内では谷津のパートナーとしてポジションが上がったことになります。
今回のゴタゴタに嫌気が差し、ビンス・マクマホンと契約し、WWFのサーキットに入ることになったキラー・カーンは、ジャパン主催興行ということでこの日のみ出場。国際血盟軍の阿修羅・原とタッグを結成しザ・グレート・カブキ&大熊元司組と対戦、6分34秒、原がヒットマン・ラリアットからの体固めで大熊をフォールしていますが、この日が全日本プロレス、そして日本での最後の試合となりました。
3月31日、富山県魚津市総合体育館でデビュー戦を行った元十両卓越山の高木功がデビュー3戦目にして早くも師匠の御大、ジャイアント馬場と初タッグを結成、国際血盟軍のラッシャー木村&鶴見五郎組と対戦。
130kgの巨体でありながら高木は鶴見にドロップキックを浴びせ、場外に落ちた鶴見を高木が追いかけて場外乱闘となり7分30秒、高木と鶴見が両者リングアウト。馬場&高木組はアメリカでの「第2回タッグ五輪」出場に向けて試運転に成功しています。
全日本プロレスは馬場自身が読売巨人軍からの転向あることから、鶴田、アントン・ヘーシンク(日本テレビ、キョードー東京ライン主導)、天龍、プリンス・トンガ(キング・ハク)、輪島、これより先にデビューするジョン・テンタなど他スポーツでの「キャリア組」を所謂「飛び級」でデビューさせており、高木もその部類に入ります。石川も相次ぐ大相撲からの入団があり、日本相撲協会の目を誤魔化す為に当初はフリーとしてプロレス転向していますが、海外修行を経て一定期間が過ぎて全日本プロレスに入団するのは既定路線でした。
後々書きますが、この年に大相撲からプロレス転向する田上明(玉麒麟)は最初ジャパンプロレスの所属にされていました。結果としてノンキャリアの練習生上がりの「入門組」がなかなか入って来ないし育たない傾向にありました。
ドリー・ファンク・ジュニアとジェリー・オーツの古き良き時代のセントラルステーツ地区の匂いのするマニア向けのシングルマッチは17分38秒、ドリーがエビ固めでフォール勝ち。
渕正信&川田利明組vsピート・ロバーツ&カルロス・コロン組の一戦は4月5日、後楽園ホールで行われる世界ジュニア・ヘビー級選手権試合の前哨戦となりましたが10分29秒、挑戦者のロバーツがエビ固めで王者渕から直接フォール勝ち。
第1、2試合は全日本対ジャパン、かつての国際プロレスの黄金カード、マイティ井上と寺西勇のシングルマッチは8分21秒、両者リングアウトの引き分け。百田光雄と栗栖正伸のシングルマッチは8分53秒、首固めで栗栖が勝っています。全日本は小川良成が欠場中、ジャパンは笹崎伸司、佐々木健介が離脱した為、全日本のリングは若手不在となっていました。
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