87年3月25日長州力がマサ齋藤の代理人として大阪のホテル南海で行われた「INOKI闘魂LIVEパート2」の前夜祭及び調印式に姿を現すこと2日前の3月23日、午後1時から世田谷区池尻大橋のジャパンプロレス本社で長州力社長と大塚直樹取締役副会長が記者会見を行っています。
内容は「3月末日で切れる全日本プロレスとの契約は更新せず完全自主独立し、自主興行を主体に全日本プロレスと新日本プロレスの両団体に上がる」という方針を発表した、というもので前回、ジャパンの全体会議で長州が明かした構想でしたが、選手全員の合意が得られぬまま、見切り発車で発表されました。また3月28日、後楽園ホールで開幕する全日本プロレスの「創立15周年記念チャンピオン・カーニバル」には、出場する事もあわせて発表されました。
同日夕方、ジャイアント馬場は所用で来ていた永田町のキャピタル東急ホテルに集まってきた記者の質問に答え、「事前にジャパンプロレスからの話はなく、契約については3月末日で切れるのは選手との契約のみで、会社間の契約と長州については専属契約があり、これをクリアしなければ独立は不可能」と回答しています。
波乱の中で開幕する87年「創立15周年記念チャンピオン・カーニバル」にはスタン・ハンセン、テッド・デビアス、ドリー・ファンク・ジュニア、トミー・リッチ、ピート・ロバーツ、ジェリー・オーツの外国人選手がシリーズ全戦参加、カルロス・コロンが前半戦特別参加。
PWF世界タッグ王者チーム、スタン・ハンセン&テッド・デビアス組は前86年11〜12月の「創立15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」以来、3か月ぶりの来日。前回はリーグ戦最多得点の10点を挙げるも、同点のジャンボ鶴田&天龍源一郎組との史上初となる優勝決定戦でリングアウト負けを喫し、惜しくも2連覇を逃しました。
今回はそのリベンジとして4月7日大田区体育館で鶴田&天龍組の挑戦を受けてPWF世界タッグ王座の防衛戦を行います。2月5日札幌中島体育センターで長州&谷津嘉章組を破り1年ぶりに至宝インターナショナル・タッグ王座奪回を果たした鶴龍コンビですが、3月12日日本武道館でアニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズにリングアウト負けで初防衛に失敗しており、王者組が精神的には優位に立つか?
ドリー・ファンク・ジュニアも前86年11〜12月の「創立15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」以来3か月ぶりの来日、今回は単独参戦。日本陣営として鶴田、天龍の援護射撃に回る他、輪島大士の実戦コーチとしての側面も期待されます。
「野生の炎」第59代NWA世界ヘビー級王者、トミー・リッチは83年2〜3月の「エキサイト・シリーズ」以来4年ぶり2度目の来日。
81年4月27日ジョージア州オーガスタでハーリー・レイスを破りNWA世界ヘビー級王者となりましたが、その4日後の5月1日ジョージア州マリエッタでレイスにタイトルを奪還されています。この記録はNWA世界王座史上の最短命記録であり、当時24歳9か月でのベルト獲得は1948年のNWA発足以降史上最年少での王座戴冠記録でもありました。(ルー・テーズが37年にエベレット・マーシャルを破って世界王者になったのはNWAの発足前。リッチの記録は84年5月6日にリック・フレアーを破って24歳3か月で王者となったケリー・フォン・エリックにより更新されている。)
来日以前の82年3月7日ノースカロライナ州シャーロッテで鶴田のUNヘビー級王座に挑戦、11分25秒、両者リングアウトで引き分けていますが、初来日した83年2月25日愛知県体育館での再挑戦では19分41秒にバックドロップからの体固めに敗れています。
来日間隔の空いた4年の間にはジョージア、ノースカロライナ、テネシーでトップとして活躍、今回は4月2日、2年間に亘る改築工事によりこの年の大相撲春場所から新装オープンした大阪府立体育会館で鶴田のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦が決定、4年越しのリベンジとなるか注目です。
2度目の全日本プロレス参戦となるピート・ロバーツは前86年7月の「サマー・アクション・シリーズ」以来8か月ぶりの来日。74年1月の新日本プロレス「新春黄金シリーズ」にカール・ゴッチのブッキングで初来日。新日本プロレスの常連外国人としてアントニオ猪木、坂口征二、ストロング小林、藤波辰巳、タイガーマスクと好試合を展開したイギリスのビリー・ライレージム出身の実力者。
ハンセンが新日本プロレスに初参戦した77年1月の「新春黄金シリーズ」に一緒に来日しており、何くれとなくハンセンの面倒を見ており、ハンセンはロバーツに尊敬の念を抱いていました。新日本プロレスに83年7月まで参戦した後、84年11月にはUWFに来日、ハンセンの口利きで全日本プロレスに登場となりました。今回は4月5日、後楽園ホールで渕正信の保持する世界ジュニア・ヘビー級王座に挑戦が決定。全日本では生え抜きでは唯一、ゴッチの指導を受けている渕との対決はロバーツの本領が発揮されそうです
「カンザスの山猫」ジェリー・オーツもトミー・リッチ同様久々の参戦、83年7〜8月の「グランド・チャンピオン・カーニバルPART�掘廾瞥茖廓�7か月ぶりの来日。45年ジョージア州コロンバス出身の42歳の大ベテラン。
72年1月、国際プロレスの「新春パイオニア・シリーズ」にジェリー・オーティス表記で初来日、全日本プロレスには76年9〜10月の「ジャイアント・シリーズ」に実弟テッドとのオーツ・ブラザーズとして初参戦し、10月2日、後楽園ホールではグレート小鹿&大熊元司組の極道コンビを破りアジア・タッグ王座を獲得。(10月21日福島市体育館で高千穂明久&サムソン・クツワダ組に敗れ転落)テッドがセミリタイア状態となってからはシングルプレーヤーとして活躍。
81年7〜8月の国際プロレス最後のシリーズとなった「ビッグ・サマー・シリーズ」に約5年ぶりに来日、8月8日北海道・根室市青少年体育センターではテリー・ギブスと組んで阿修羅・原&マイティ井上組のIWA世界タッグ王座に金網デスマッチで挑んでいますが敗戦。国際プロレス崩壊後は82年7月、翌83年7月と連続して全日本プロレスに来ていますが、来日が途絶えていました。中堅選手としては実力者。今回はタイトル挑戦の機会はありませんが、原、M井上、大熊、高千穂(ザ・グレート・カブキ)ら因縁の相手もおり、また国際血盟軍との共闘があるかも楽しみです。
3月28日後楽園ホールの開幕戦〜4月10日、日岡山県笠岡シーサイド・モール大会まで特別参加が「プエルトリコの帝王」カルロス・コロン。コロンも久々の来日で79年8〜9月の「ブラック・パワー・シリーズ」以来実に7年半ぶりの来日となりました。
48年プエルトリコ出身、71年7月、国際プロレスにインディアンギミックのチーフ・ブラック・イーグルのリングネームで初来日。(余談ですが79年1月にも国際に同名のチーフ・ブラック・イーグルが来ていますがこちらは別人)、73年にゴリラ・モンスーン、ビクター・ジョビカらと共に地元プエルトリコでプロモーター活動を開始、WWC(ワールド・レスリング・カウンセル)のオーナー兼トップレスラーとなります。
76年2月に国際プロレスにカルロス・コーランの表記で再来日し、この時は2番手扱い、3月13日の茨城県境町民体育館ではキラー・トーア・カマタと組んでグレート草津&M井上組のIWA世界タッグ王座に挑戦も2−1で敗れています。プロモーターとしても国際プロレスに選手をブッキングしていましたが、NWA加盟を機に78年から日本でのビジネスパートナーを全日本プロレスに鞍替え。
79年8月の来日ではアブドーラ・ザ・ブッチャー、ボボ・ブラジルと「黒い軍団」を結成、8月24日、帯広市総合体育館ではブラジルと組んで小鹿&大熊組のアジア・タッグ王座に挑戦し引き分け。8月31日、大阪府立体育会館ではこのシリーズ日本陣営で闘っていたミル・マスカラスとシングルマッチで対戦し反則負け。
NWAの中でも徐々に発言力を強め、82年にはプエルトリコのサンファンにNWA総会を招致、84年には第2副会長に就任しています。今回は全日本プロレスとのパイプをより強固なものにする為の来日でしょう。
3月28日後楽園ホールでのシリーズ開幕戦に会場に現れたのは谷津嘉章、永源遙、栗栖正伸、仲野信市、笹崎伸司(笹崎は結局、長州と行動を共にする)の5人。
長州力、小林邦昭、寺西勇、保永昇男、新人の佐々木健介、それにジャパンプロレスのルートで全日本プロレスに参戦していたスーパー・ストロング・マシン、ヒロ斉藤のカルガリー・ハリケーンズがジャパンプロレスの事務所に籠ったまま会場には現れず試合をボイコットしています。
中立派だったアニマル浜口も会場には現れず…。
同日午後6時より後楽園ホールで来日していたロード・ブレアースPWF会長が記者会見を行い、シリーズを欠場した長州力のPWFヘビー級王座を剥奪、このシリーズ中にドリー・ファンク・ジュニアとスタン・ハンセンで王座決定戦を行うと発表しました。
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