全日本プロレス87年「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」最終戦、2月5日札幌中島体育センター(テレビ収録、観衆6,200人超満員発表)大会。ジャパンプロレス提携前の84年までは新日本プロレスの恒例だった「札幌雪まつり興行」を全日本プロレスが「横取り」した形で開催して3回目、全日本としては前86年11月28日の「世界最強タッグ決定リーグ戦」以来2シリーズ連続開催となり、前回が4,900人満員発表ですから、主催者発表で1,300人上回りました。
メインイベントはインターナショナル・タッグ選手権試合、全日本対ジャパンタッグ頂上決戦二番勝負第2戦、王者チーム、長州力&谷津嘉章組にジャンボ鶴田&天龍源一郎組が4度目のリターンマッチを挑みました。1月24日、横浜文化体育館での同一カードによる第1戦はレフェリーのタイガー服部の「横切り」に視界を遮られた天龍が17分56秒、リキラリアットからの片エビ固めで長州に敗れ、王座奪回に失敗。
ちょうど1年前の同日、86年2月5日、同所で長州&谷津組にベルトを奪われて以来366日の歳月が流れており、全日本プロレスを代表する鶴田&天龍組は背水の陣で挑みました。
天龍が谷津にパワーボムを決めたところへ長州が入りロープに飛んでのリキラリアットでカット。そこへ鶴田も入って長州を場外に投げ捨て、自ら場外に追いかけていき長州を押さえ、勝負を天龍に託しました。天龍は谷津のバックを取ると後方に投げつけると、そのまま離さず、ブリッジしてジャーマン・スープレックスホールドを決めフォール。大相撲出身であり、後ろに反るブリッジが苦手で、やや不細工なのは仕方ないですが気力のブリッジ、17分5秒、カウント3が入り、鶴田&天龍組が1年ぶりに王座奪還を果たしています。
長州は場外で鶴田を振り切ってリング内に入りましたが、カットに入る前に勝敗が決してしまいました。カウント3が入った時、長州がふっ切れたような今までリングで見せたことのないような笑顔を見せた時、私は「ああ、これで長州は新日本に戻るのだな」と予想がつきました。私だけではなく、多くの人がそう思ったでしょう。
1月17日、徳山市体育館における「藤波と(も)闘ってみたい」との長州発言に速攻で反応した藤波辰巳はこの日の同日同時刻に行われていた新日本プロレス「ニューイヤー・ダッシュ87」最終戦、両国国技館の最前列に「長州の席を用意する」と発言。長州の為にVIP席を用意しました。
長州が全日本プロレスの札幌大会をボイコットして両国に姿を現すのでは?という噂も流されましたが、流石にそれはなかったです。
セミファイナルは輪島大士とタイガー・ジェット・シンの3度めのシングルマッチ(45分1本勝負)
輪島がシンへ2段式ネックブリーカードロップ(ラリアットを決めてからそのまま離さず相手の頭部を揺さぶって叩きつける)を決めたところで、シンのセコンドであるア・シークがエプロンに上がり輪島に対し何やらアピール。
輪島はシンへの攻撃をやめてア・シークを捕まえてすくい投げを決めてリング内に入れましたがア・シークからシンへ何かが渡され、シンは輪島の顔面へ包みの中に入っていた白い粉を投げつけた為3分36秒、シンの反則負けとなりました。
タイガーマスク&ザ・グレート・カブキ組とカート・ヘニング&フランク・ランカスター組は5分24秒カブキがバックドロップからランカスターを体固め。天龍のUNヘビー級王座に挑戦するまでは負けなしだったランカスター、阿修羅・原の代打でタイガーマスク猛虎七番勝負第2戦の相手を務めましたが、その2つが終わればこの扱い。元々の本来のポジションはこの位の実力だったのでしょう。
全日本対国際血盟軍6人タッグマッチ、ジャイアント馬場&石川敬士&ハル薗田組とラッシャー木村&原&鶴見五郎組の一戦は原が13分20秒、ヒットマン・ラリアットから薗田を体固めに降し、この日は「純血チーム」で臨んだ国際血盟軍に軍配が上がりました。
キラー・カーン&ヒロ斉藤組はジャパンのアニマル浜口&栗栖正伸組と対戦。11分45秒、Kカーンがダイビング・ダブル・ニードロップからの体固めで栗栖をフォール。ジャパンに反逆したKカーンとスーパー・ストロング・マシンの体調不良による欠場、高野俊二のアメリカ遠征で一人カルガリー・ハリケーンズとなったH斉藤はこのシリーズ、ヒールということでひと括りにされてしまい、国際血盟軍や外国人選手と組まされることも多かったですが、試合の組み立て方は基本新日本プロレスであり、国際血盟軍とはやっぱり合わないと感じました。
全日本対ジャパン、渕正信&マイティ井上組vs小林邦昭&寺西勇組は10分2秒両チームリングアウトの引き分け。大熊元司&佐藤昭雄組という全日本プロレス旗揚げメンバーチームが実現、ア・シーク&ネルソン・ロイヤル組と対戦、7分、首固めで大熊がロイヤルを降しました。
今シリーズ、シンのパートナー、輪島要員として来日したア・シークはテレビ登場の機会も多く、アラビアンギミックへの変身は成功。前86年10月にマスクマンのミスター・オリンピアとして初来日した時よりはいい仕事をしました。大ベテランのロイヤルは51歳という年齢とリタイアしていたブランクは如何ともし難く、ポール・ジョーンズとの「牧童コンビ」を知る世代にとっては寂しい限り。
全日本対ジャパン、川田利明と保永昇男のシングルマッチは8分13秒、両者リングアウトの引き分け。仲野信市はマーク・レーガンに3分58秒、逆さ押さえ込みで勝利。レーガンは1月2日、後楽園ホールの開幕戦では師匠のザ・デストロイヤーと組んで、鶴田&天龍組と対戦、テレビにも登場しましたが、デストロイヤー帰国後は前座外国人に甘んじ、日本のレベルには到達していませんでした。
第1試合のジャパン若手対決、笹崎伸司と佐々木健介のシングルマッチは、10分47秒逆エビ固めでギブアップ勝ち。
新日本プロレスとの興行合戦はこのシリーズはバッティングが少なく、初の1月2、3日後楽園ホール昼夜興行(昼全日本、夜新日本)は2日が全日本昼3,300人(超満員)、新日本夜が2,100人(超満員)、3日が全日本昼が3,000人(超満員)、新日本夜が2,100人(超満員)発表。
1,000人もの開きがあるとはどう考えてもあり得ず、4大会全て生観戦した私の見た感じでは4大会ともよく入っていました。ただ立見の数では全日本が上回った印象。新日本はIWGPタッグ王座を共に保持していた藤波と木村健吾が仲間割れした抗争が売りでした。
後楽園2連戦はノーコンテスト、藤波の反則勝ちと不透明決着に終わり、新日本プロレスは急遽当初予定になかった1月14日に後楽園ホールを押さえ、異例の藤波vs木村健のワンマッチ興行を開催、前売り券なし、当日券のみで2,200人(超満員札止め)の観客を動員。この日は水曜日で、私は仕事を終えて後楽園ホールに駆け付けましたがチケットはソールドアウトで買えず。全日本プロレスは1月25日にも後楽園ホール大会を開催、1月には両団体で3回ずつ後楽園ホールを使用しました。
古舘伊知郎がテレビ番組で喋り、今でもYou Tubeなどで取り上げられ都市伝説となった熊本・水俣旅館破壊事件が起きたのもこのシリーズです。
新日本プロレスは両国国技館は猪木vsクラッシャー・バンバン・ビガロ、藤波&武藤敬司組vs前田日明&藤原喜明組、越中詩郎vs高田延彦のIWGPジュニア・ヘビー級選手権試合で11,020人(超満員発表)の観客を動員しましたが、それ以外の中核都市でのビッグマッチはなし。
全日本プロレスはジャパン参戦以降85、86年と開催して来た東京体育館大会は開催なし。1月10日大阪城ホール(9,100人発表)、1月24日、横浜文化体育館(4,350人満員発表)、札幌中島体育センターと中核都市でのビッグマッチを開催、これを考えるとコンスタントにビッグマッチを開催した全日本&ジャパン連合が興行合戦では新日本に勝利したと言えます。
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