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2025年12月07日07:48

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【特別編】マイティ井上さん追悼(177)

84年9月、「一枚岩」を誓って新日本プロレスから長州力以下13人のレスラー、レフェリーを引き抜き、全日本プロレスに参戦を表明した新日本プロレス興行(ジャパンプロレス)でしたが、年月が経つにつれ、やはり、そうはいかなくなって来るのがプロレスラーの世界の常。

85年編でも書きましたが、同年6月19日、東京・世田谷区の池尻大橋にジャパンプロレスの本社兼練習場、合宿所がオープン、約400人の関係者が出席して落成記念のお披露目レセプションが行われ、盛況ぶりを見せました。

また、同席上で大塚直樹代表はジャパンプロレスと新日本プロレスの間に起きていた契約関係、テレビ放映といった諸問題は全てクリアされたと発表しています。実際はジャパンプロレスのオーナー、竹田勝司会長が違約金を肩代わりして新日本プロレスに支払われています。

団体として活動を開始してから半年での新社屋完成はジャパンプロレス、長州力の勢いを証明するものでしたが、物件の所有者はジャパンプロレスのタニマチであった竹田会長であり、ジャパンプロレスから毎月賃料が竹田会長に支払われていたことが後々選手達の間で問題となり、分裂の一因となりますが、この時点ではジャパンプロレスは前途洋々、日の出の勢いにあったと言えます。

6月27日、東京・品川のホテルパシフィックで記者会見が行われ、長州のジャパンプロレス社長就任(取締役社長)が発表されています。現役レスラーの社長は全日本プロレス会長のジャイアント馬場(この時は日本テレビから出向の松根光雄氏が社長)、新日本プロレスのアントニオ猪木に次いで3人目。ジャパンプロレスは竹田勝司がオーナー兼代表取締役会長、大塚は代表権はそのままで取締役になっています。

86年に入ると「不動産バブル」が本格的にスタート、竹田会長は他にも物件を所有していましたが、軒並み地価が上がり、竹田会長の個人資産は急騰。そんな中、池尻大橋のジャパン本社に対し、ジャパンプロレスは毎月200万円の家賃を竹田会長に支払っていました。新日本プロレス離脱のツケを竹田会長に支払ってもらっていましたし、竹田会長とジャパンプロレスとの間で不動産賃貸借契約がかわされていましたので当然と言えば当然なのですが、

長州にすればそれは面白くなく、また、ジャパンの選手間でも「竹田会長は土地転がしで儲けている上に、我々がリングで血と汗を流して手に入れた会社の金から家賃を受け取っている」と言う風評が立ちました。自分達は新日本プロレスを離脱する時に竹田会長から一人数百万円から数千万円という「支度金」を貰っているにも関わらず、です。

もう一つが85年末に発覚したジャパンプロレスの「完全独立計画」。水面下で全日本プロレスからの独立を画策。TBSのレギュラー放送を取り付けるべく動いて来ました。

芸能プロダクションであるソウマオフィスと番組レギュラー放送制作に関する契約を結び、85年12月15日、午後7時30分から長州の特番を90分枠で放送する予定でしたが、放送は翌週の12月22日からのドキュメンタリー番組「ザ・スペシャル」(60分枠)での「燃えろ!闘え!長州力」に変更。

当初、大晦日に紅白歌合戦の裏番組としてジャパンプロレスの試合中継「格闘技大戦争」を放送、翌86年3月にも90分枠の特番を放送し4月からのレギュラー放送開始という構想でしたが、TBSの上層部が国際プロレスを放送した「TWWAプロレス中継」(68年1月〜74年3月)の失敗があったことから「プロレスは二度と放送したくない」と拒否反応を示し、放送開始には至らずに終わりました。 

長州らジャパンプロレスの全日本プロレスからの完全独立はTBSの支援なくして実現は出来ず、ここで頓挫してしまいました。

さらにこの年の12月15日、大田区池上本門寺で行われた力道山23回忌追善法要で馬場と猪木が公の場で再開したことを契機に、12月19日に馬場、猪木、坂口征二の三者会談が行われ、「引き抜き防止協定」が締結され、互いに引き抜きしない選手(日本人、外国人)のリストを交換し合い、馬場はその中にジャパンプロレス所属選手の名前も入れていました。

これにより長州らが新日本プロレスに復帰するのは契約上は絶対に無理で、そうなった時には莫大なペナルティーを長州とジャパンプロレスは全日本プロレスに対して支払わなくてはならなくなっていました。

そんな中、長州は馬場の至宝だったPWFヘビー級王座、谷津嘉章と組んでのインターナショナル・タッグ王座の二冠のベルトを巻き、扱いとしてはジャンボ鶴田と同格。しかし、馬場としてみれば外様の長州に対してはここまで気を使うのが限界だったでしょう。

全日本とジャパンの抗争も最初のうちは目新しく「全日本対新日本の代理戦争」と注目されましたが、2年目に入るとマンネリ化、ジャパンのエース、長州はスタン・ハンセン、テリー・ゴディ、ニキタ・コロフら大型外国人選手相手のPWFヘビー級王座防衛戦で思ったような試合が出来ずフラストレーションが溜まり、前86年秋頃から雑誌のインタビューで「青山」(前の新日本プロレス事務所のあった港区南青山)という言葉をよく出して、古巣への郷愁を匂わせるようになっていました。

また、ジャパンプロレスが来て大所帯に膨れ上がった全日本プロレスもゴールデンタイム復帰で日本テレビからの放映件料は上がったものの興行収益が倍になった訳ではなく、苦戦しており、松根社長が興行には素人に近く、業績は思うように上がりませんでした。
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