全日本プロレス86年「サマー・アクション・シリーズ2」を終えたジャイアント馬場は(と言っても9月3日大阪城ホールから最終戦の9月11日後楽園ホールまで実質1週間しか出ておらず、このあたり、タイトル戦線から外されて身軽になったか、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、タイガーマスク、長州力を全面に押し出す松根光雄社長及び日本テレビ主導体制にへそを曲げたか?)シリーズを終えるとアメリカに直ぐに渡り、次期「創立15周年記念ジャイアント・シリーズ」で国内デビューが予定されている輪島大士と共にプエルトリコ入り。
今度は8月でWWFのサーキットを終えたドリー・ファンク・ジュニアも合流。ドリーはWWFでは何故か「ホス・ファンク」とリングネームを変えさせられ、テリー・ファンク、「3人目のファンク兄弟」ジミー・ジャック・ファンク(ジェシー・バー)とのザ・ファンクスとしてヒールで活躍していました。
プエルトリコ第1戦は9月17日ポンセ・コリセオ・バチンビエント(観衆8,000人発表)では輪島はウラカン・カステロ・ジュニア(父はフィデル・カステロのリングネームで弟ラウルとのカステロ・ブラザーズで71年に日本プロレス、75年に新日本プロレスに来日、単独では78年7月に全日本プロレスに来日、来日当時の表記は「ヒューラン・カステロ」)と対戦し1分14秒、ゴールデン・アームボンバーから体固めで勝利。
馬場は、81年に新日本プロレスに移籍したアブドーラ・ザ・ブッチャーとユニバーサル(WWC認定)王座決定トーナメントで実に5年5か月ぶりに対戦。ブッチャーは馬場に凶器攻撃、馬場はブッチャーの凶器を奪い取って反撃、場外に逃げるブッチャー、追いかける馬場。ブッチャーは本部席にあったマイクで馬場の頭部を一撃、素早くリングに駆け上がり、馬場も戻ろうとしましたがカウント内にリングに入れず、ブッチャーのリングアウト勝ちとなりました。(タイム不明)
ブッチャーは85年1月の「新春黄金シリーズ」以来新日本プロレスからは声がかからず、1年9か月来日がなく、完全に干されていました。ブッチャーの移籍直後に新日本から全日本プロレスに移ったタイガー・ジェット・シンがコンスタントに呼ばれているのとはえらい違う扱いです。
ブッチャーが新日本プロレスに移籍した時の約束が3年契約で年間15週間以上呼ぶことでしたが実際は…。
1981年
創立10周年記念特別興行(ワンナイト興行)1試合(6月24日)
サマー・ファイト・シリーズ(フル参戦)5週間(7月3日〜8月6日)
闘魂シリーズ(フル参戦)4週間(10月9日〜11月5日)
※9週間プラス1日、だが5月8日川崎市体育館の参戦表明、10月8日
蔵前国技館の来場挨拶も含まれ2日加算。
1982年
新春黄金シリーズ(フル参戦)5週間(1月8日〜2月11日)
難民義援金募集興行(ワンナイト興行)1試合(4月21日)+「ビッグ・ファイト・シリーズ」(フル参戦)5週間(4月23日〜5月27日)
闘魂シリーズ(フル参戦)4週間(10月8日〜11月4日)
※14週間プラス1日
1983年
サマー・ファイト・シリーズ(特別参加)3週間(7月1日〜21日)
※3週間
1984年
新春黄金シリーズ(特別参加)4週間(1月1日〜28日)
ブラディ・ファイト・シリーズ(特別参加)1週間(9月7日〜12日)
※5週間
1985年
新春黄金シリーズ(特別参加)3週間(1月8日〜30日)
※3週間
5年間で34週間プラス3日
対するタイガー・ジェット・シンはどうだったか?(シンの場合はこの時点ではまだ全日本プロレスに継続参戦中であり、86年9月までを掲載)
1981年
サマー・アクション・シリーズ(特別参加)4日間(7月3日〜6日、開幕前の熊谷の乱入含む)
創立10周年記念ジャイアント・シリーズ(特別参加)4週間(10月9日〜11月5日)
世界最強タッグ決定リーグ戦(フル参戦)2週間+3日(11月27日〜12月13日)
※6週間+7日
1982年
エキサイト・シリーズ(フル参戦)4週間(5月14日〜6月10日)
サマー・アクション・シリーズ(フル参戦)4週間+3日(7月2日〜8月1日)
※8週間+3日
1983年
新春ジャイアント・シリーズ(特別参加)3週間(1月9日〜22日)
エキサイト・シリーズ(フル参戦)3週間(2月11日〜3月3日)
グランド・チャンピオン・カーニバルPART��(フル参戦)4週間(7月8日〜8月4日)
世界最強タッグ決定リーグ戦(フル参戦)2週間+4日(11月25日〜12月12日)
12週間+4日
1984年
グランド・チャンピオン・カーニバルPART��(フル参戦)4週間(5月18日〜6月14日)
世界最強タッグ決定リーグ戦(フル参戦)3週間(11月22日〜12月12日)
※7週間
1985年
激突!オールスター・ウォーズ(フル参戦)5週間(1月2日〜2月5日)
激震!サンダー・ウォーズ(フル参戦)4週間(5月18日〜6月13日)
決戦!ダイナマイト・ウォーズ(シン側の都合で途中帰国)2週間(8月23日〜9月7日)
※11週間
1986年
エキサイティング・ウォーズ(フル参戦)3週間(2月22日〜3月14日)
スーパー・パワー・シリーズ(3戦目からフル参戦)4週間(5月18日〜6月12日)
サマー・アクション・シリーズ2(特別参加)2週間(8月16日〜29日)
※9週間
6年1か月間で53週+14日。
週給建ての外国人レスラーのギャラについては超過日数分についてはシンだけの話ではなく、馬場のことだからキチンと週給で払っているだろう、ということは4週間分加算されて57週間。どちらが得をしたかはもはや明白です。
久しぶりのリングでの再会。
馬場「おい、猪木のところはちゃんと約束守らんだろ?」
ブッチャー「ボス、酷い目に遭ったぜ、またボスのところで使ってくれ」
馬場「今ウチもジャパンだ何だと大変だから直ぐには無理だが、呼べるようになったら声かける」
ブッチャー「頼むよ」
などと言う会話があったかどうかは不明ですが…。
この試合が行われたことは当時日本では報じられてはいませんが、近年You Tubeにアップロードされており現在も視聴可能です。馬場が日本では滅多に履かない青タイツで試合しています。
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