全日本プロレス86年「スーパー・パワー・シリーズ」最終戦、6月12日日本武道館大会、4大スペシャルマッチ、ジャンボ鶴田はタイガー・ジェット・シンとのシングルマッチ。鶴田とシンはシンが新日本プロレスから全日本プロレスに移籍して来た年の81年11月4日、松本市総合体育館で初対決。鶴田の反則負けとなっていますが、ファンの記憶にあるのは馬場が参加しなかった83年「エキサイト・シリーズ」開幕戦2月11日、後楽園ホールと最終戦3月3日、同所での2連戦(最終戦のみ馬場が出場、上田馬之助をアームブリーカーからレフェリーストップで破る)。
いずれもテレビ収録マッチのメインイベントでしたが、開幕戦ではシンの反則攻撃の前に鶴田がサードロープに方足が宙吊りとなり19分29秒にリングアウト負け、最終戦は17分36秒にシンがレフェリー暴行による反則負けと1勝1敗で決着はついていません。
とは言え、日本武道館という大会場で全日本プロレスのエースである鶴田が扱いの落ちたシンと後ろから4つ目でノンタイトルで対戦しなければならなかったのかは非常に疑問で、ジャイアント馬場がジャパンプロレスの長州力、谷津嘉章に気を使ったか、鶴田に「集客力なし」と烙印を押してしまったのか、あるいは次期シリーズは主役にするからという輪番制マッチメイクなのか?
試合は案の定凡戦となり、大きな見せ場もないまま凶器を持ち出したシンがレフェリーにも凶器で暴行を加えて7分52秒、反則負け。本当にこれでいいのか?と思わせる内容と結果でした。この日はハーリー・レイスも参戦しており、5月24日沼津市民体育館で両者反則で決着のつかなかったインターナショナル・ヘビー級選手権試合の再戦でもいいですし、あるいはミル・マスカラスとの82年7月30日川崎市体育館でのUNヘビー級選手権試合で、クリーンファイター同士の両者の対戦では珍しい流血戦の末、両者リングアウトの引き分け、さらに5分間の延長戦を行い、時間切れとなった試合のインターベルトを賭けての再戦でも良かったと思います。
新設「世界ジュニア・ヘビー級王座」初代王者決定戦日本代表決定戦第3戦、全日本プロレス代表、渕正信とカルガリー・ハリケーンズ代表、ヒロ斉藤の一戦は場外乱闘から先にリングに戻った渕にH斉藤がエプロンからレフェリーの死角を突いての椅子攻撃、リングインしたH斉藤がジャーマン・スープレックスホールド。12分53秒、カウント3が入りH斉藤が難敵の渕、小林邦昭から2勝を挙げて日本代表に決定。渕は1敗1両リンと小林と相星で終わりました。
レイス&マスカラスと高野俊二が異色トリオを結成、異色トリオと言えば聞こえはいいですが員数合わせのマッチメイクと言っていいでしょう。タイガーマスク&マイティ井上&ロッキー羽田組と対戦、10分20秒、レイスが羽田をこのシリーズ日本初公開した、ブレーンバスターの体勢に担ぎ上げてからトップロープに一旦相手の腹部を打ち付けてそのまま後方に投げ捨てる二段式ブレーンバスター(バーティカル・スープレックス)からの体固めで羽田をフォールしました。
レイスは馬場のこのマッチメイクに嫌気が指したか、あるいは好条件に折れたか、このシリーズの後、全日本プロレスのリングを去り、WWFのリングに登場します。WWFでは「元NWA世界ヘビー級王者」を名乗ることは許されず、王冠とマントを着用した「キング」というギミックを与えられます。全日本プロレスのリングに参戦するのはこの時から3年後の89年4月まで待たなければなりません。
また、マスカラスもこのシリーズを最後に73年10月以来、13年間参戦した(75、84年は来日なし)全日本プロレスのリングから姿を消しました。91年12月にW★INGプロモーションが招聘するまでの5年間は来日がありませんでした。
ジャパン対国際血盟軍、寺西勇&栗栖正伸組と阿修羅・原&鶴見五郎組は9分10秒、原がヒットマン・ラリアットから栗栖を体固めに決めて国際血盟軍の勝利。
全日本対ジャパンのタッグ対決が2試合、サムソン冬木&ハル薗田組vsアニマル浜口&小林組は9分14秒に浜口がフライング・ネックブリーカードロップからの体固めで薗田を降しました。グレート小鹿&大熊元司組vs保永昇男&笹崎伸司組は7分56秒、大熊がジャンピング・ヘッドバットから笹崎を体固め。キャリア2年足らずの笹崎では海千山千の曲者、極道コンビの相手をするにはまだまだ荷が重かったです。
第1、2試合は全日本対ジャパンのシングルマッチ、小川良成と仲野信市の対戦は4分19秒、ジャーマン・スープレックスホールドで仲野の完勝、第1試合は百田光雄が佐々木健介をドリルアホール・パイルドライバーからの体固めでベテラン百田に軍配が上がりました。
新日本プロレスの「IWGPチャンピオン・シリーズ」との興行戦争ですが、後楽園ホールは全日本5月18日が2,100人、新日本(2回)が5月16日開幕戦2,050人、5月19日、ベースボールマガジン社主催興行が2,450人。愛知県体育館は全日本5月19日7,100人、新日本6月17日10,550人。札幌中島体育センターは全日本5月30日が6,800人、新日本6月6日が5,320人。大阪城ホールは全日本6月5日が7,200人、新日本6月12日が13,200人。全日本6月12日、日本武道館が11,500人、新日本6月19日、両国国技館が11,080人。
東京の大会場は日本武道館(定員14,214人)と両国国技館(定員11,000人)の違いはありますが私は両方行っていますので水増しを勘案しても僅差で新日本の勝利。札幌中島体育センター以外は新日本が大勝したと言っていいでしょう。新日本の年間最大のイベント「IWGP」のブランド力が上回ったということです。
全日本プロレスは豪華メンバーを集めても、それを活かすマッチメイクは再考しなければならない時期に来ていました。
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