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2025年08月20日07:16

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【特別編】前田日明のYouTubeにおける問題提起について(129)

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故・三沢光晴が創業したプロレスリング・ノアは2016年から2020年までエストビー、リデットエンターテインメント、サイバーエージェントとオーナーを3回変えて体制変更を図りました。

リング上では、2021年2月に「プロレスリングマスター」武藤敬司が58歳でノア入団を果たし、ファン、関係者を驚かせました。

武藤は2002年2月、馬場元子全日本プロレス社長(当時)に乞われる形で新日本プロレスを退団して、小島聡、ケンドー・カシンと共に全日本プロレスへ入団、同年9月30日、同社代表取締役に就任。以後、「明るく楽しく激しく、そして新しい」、「プロレスLOVE」をキャッチコピーにして武藤ワールドのプロレスを展開。

三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座を保持するばかりではなく08年4月27日には古巣新日本プロレスの大阪府立体育会館では中邑真輔を破り、IWGPヘビー級王座を獲得、翌09年1月4日東京ドームで棚橋弘至に敗れるまで王座を保持しました。

10年4月5日変形性膝関節症による右膝関節内遊離体除去の手術を行い成功。全日本プロレスに移籍後初となる長期欠場となりましたが、同年9月10日後楽園ホールでの船木誠勝とのシングルマッチで30分時間切れ引き分けで復帰。

10月24日横浜文化体育館で105Kgまで減量しカズ・ハヤシの持つ世界ジュニア・ヘビー級王座に挑戦して周囲を驚かせましたがカズの巻き投げ固めの前にフォール負けし王座奪取成らず。

翌11年5月29日神戸サンボーホールで「ブードゥーマーダーズ」のリーダーであるTARUが控室でスーパーヘイト(平井伸和)に暴行を働き、平井は急性硬膜下血腫で倒れ意識不明に。

この事件の責任を取って6月7日に全日本プロレスの代表取締役社長を辞任。後任の代表取締役には前出のノアとエストビーをつないだ武藤の側近、内田雅之が就任しています。

しかし、全日本プロレスの経営は厳しく、12年11月、投資会社スピードパートナーズに株式を全部売却。同社代表者白石伸生がオーナーとなり、新法人「全日本プロレスシステムズ」に移行されました。

白石はもともと武藤の旧知関係、つまりはタニマチの投資家でした。全日本プロレスのオーナーとなった白石は「2年以内に東京ドームに進出しなさいと厳命している。3年以内に4大ドームツアーができるようになって、僕のお手伝い終了となる」と最短でのドーム進出をマニフェストとして掲げながらも、

「選手の感情もあるので簡単にはいかないと思うけど、総合格闘技もできてプロレスラーだと思ってる」総合格闘技進出発言を示唆し米国MMAこれまで交流していた新日本プロレスや大日本プロレスとの交流を辞めて鎖国や「ケツ決めのない力と力、心と心の限界値を極限にまで追求する」”ガチンコプロレス”論を掲げたことで、白石の掲げたマニフェストは武藤敬司の理想とするプロレス理念とはかけ離れたもので、極端な方向転換に内田社長も困惑するしかありませんでした。

武藤と白石の亀裂が決定的になったのは2013年3月17日の両国国技館大会、この時も新日本プロレス批判を続ける白石に内田社長が新日本プロレス側に謝罪しました。

これが白石の逆鱗に触れてしまい、内田社長をFacebookで内田社長の取締役時代の過去の失敗を暴露、「両国大会へ来場して挨拶する」でFacebokで予告すると内田取締役は白石にファンからの反発を招くとして反対しましたが、怒った白石はFacebookで内田取締役に対して解任をチラつかせました。

それでも内田取締役が白石に対して会場に出入り禁止を通達して両国大会に臨んだものの、全試合終了後の撤収作業を始めようとしたところで、白石が乱入してリングに上がって挨拶しようとしたが、これまでの発言で不快に思っていたファンからブーイングや怒号が飛び交う、そこでKENSOが現れて「みんなお前が出てくると気分が悪いんだ!お前のいうガチンコプロレス、やってやろうじゃねぇか!」と白石に詰め寄ると、白石は「お前にガチンコプロレスできんのか!?」と問い詰めました。

KENSOは「これから毎日毎日、第5試合でやってやるよ!」と言い返したことで、白石はKENSOにビンタを放ってリングを降りようとしたが、佐藤光留が白石に怒って詰め寄ろうとしたため、スタッフが必死で制止、全日本両国大会は大混乱の中で幕を閉じるも、白石はKENSOを客前で殴打したことでファンからの反発をますます招いてしまいました。

その後も白石はFacebookを通じて新日本プロレスを「WWEや新日本プロレスといった勝ち負けが事前に決まっているケツ決めエンターテイメントプロレス」「道場ではヤラセの練習をしていると」と揶揄し、中邑真輔や永田裕志の引き抜きを示唆。

また長州力に対して「引退詐欺」と批判して白石自ら制裁を宣言、当時フリー参戦していたKENSOも「ガチンコプロレスが出来ない」。さらには馬場がキャッチフレーズにした「シューティングを越えたものがプロレスである」に対して「プロレスは、シュートを超える。しかし、その言葉の裏には、真剣勝負がしたいのに、負けなければならない、明日から(2013年4月18日のチャンピオン・カーニバル開幕戦)からその歴史が変わる、シュート(真剣勝負)が、プロレスを超える!」と極端な持論を展開し一躍注目の的となってしまいました。

現場を無視しての一方的な発言は団体の信用を損なうとして武藤だけでなく内田社長もFacebookを辞めるように注意するが、白石は反発してFacebookでの発言をエスカレートさせていきました。

4月29日の「チャンピオンカーニバル2013」の後楽園ホール大会で行われた優勝決定戦のバックステージでは白石は武藤に対して現場の決定権も自身に移譲するように迫ります。武藤はこれを拒否、激怒した白石は大会終了後すぐにFacebookで内田を社長から解任するとを通告、白石自身が社長を務め、自身の子飼いの部下を役員に据えた新人事を発表します。

白石が一方的決めた人事に武藤も反発し、新たなるスポンサーを連れて全日本プロレスの株式の買戻に動きましたが、白石が応じなかったため交渉は不調に終わり、武藤は不本意ながら投げだす形で退団することを決意して選手やスタッフに退団を呼びかけました。

それに対して白石は武藤に追随しようとする選手に対してギャラを支払わないなど圧力をかけたものの、白石の行状に呆れていたカズ・ハヤシ、近藤修司が追随することをきっかけに、船木誠勝、KAアI、中之上靖文、浜亮太、大和ヒロシや練習生などが武藤に合流を決め、6月30日の両国国技館大会を以て既に全日本プロレスを去っていた武藤を除いて新団体に参加する選手は全日本プロレスを去り、武藤全日本は終焉となりました。

全日本プロレスは残留を決めた諏訪魔、前2012年12月末にノアを退団した秋山準、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志の「バーニング」が中心となり興行開催を継続、武藤と内田は新団体「WRESTLE-1」旗揚げに向けて動きます。(この項続く)

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