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2025年08月08日07:57

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【特別編】前田日明のYouTubeにおける問題提起について(117)

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14年1月5日後楽園ホールでのプロレスリング・ノア新春第1戦(観衆2,000人超満員発表)大会メインイベントはKENTAに森嶋猛が挑戦したGHCヘビー級選手権試合、21分48秒、バックドロップからの片エビ固めで森嶋がフォール勝ちしベルト移動、新王者になりました。

勝った森嶋は試合後、当時加盟していた「BRAVE」のメンバーを呼び寄せると、マイバッハ谷口、この日からノアに参戦したみちのくプロレスの拳王が乱入、森嶋とともにBRAVEメンバーを痛めつけ、森嶋はBRAVEを離脱、新ユニットの結成を宣告しました。

1月25日、大阪ボディメーカーコロシアム第2競技場(観衆1,200人満員発表)大会メインイベントでは森嶋&マイバッハ谷口組がマイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト組のTMDKを破りGHCタッグ王座を獲得。さらに「NO MECRY」を裏切った大原はじめが加入し。ユニット名を「超危暴軍」としました。

GHCのヘビー級二冠王となった森嶋でしたが2月8日後楽園ホール(観衆1,700人満員発表)で新日本プロレスの永田裕志の挑戦を受け、19分1秒、バックドロップホールドでフォール負けを喫し王座転落、ベルトは新日本プロレスに流失しています。

2月18日、ノアのリングアナウンサー・仲田龍が2月15日、心筋梗塞のため逝去したことが発表されまれました。享年51歳。なお、遺族の意向により葬儀は親族のみによって執り行われ、訃報の連絡も法要後となりましたた。以下がノアよりのリリース。

「弊社リングアナウンサー仲田龍は、2月15日、心筋梗塞のため逝去いたしました。ここに生前のご厚誼に深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。なお、ご遺族の意向により、葬儀につきましては、親族のみにて執り行われ、訃報のご連絡も法要後とさせていただきました。株式会社プロレスリング・ノア 代表取締役 田上明」

仲田リングアナは1962年3月14日生まれ、東京都板橋区出身。中学2年生の時から全日本プロレスのリング屋のアルバイトを始め、高校卒業後、全日本に入社。

入社直後の80年4月2日、木更津市倉型スポーツ会館における百田光雄vs大仁田厚戦でリングアナウンサーとしてデビュー、リングアナのかたわら、リングの設営・片付け・運搬をおこなうリング屋、売店の売り子など複数の仕事を兼務しました。

88年より故・ジャイアント馬場の秘書を務め、和田京平レフェリーとともに「助さん格さんコンビ」としてリング外でも活躍。

馬場死去後の00年6月、全日本プロレスを退職。全日本プロレス若手時代からの盟友である故・三沢光晴とともに、プロレスリング・ノアの立ち上げに尽力。以後、プロレスリング・ノア取締役、渉外部長、リングアナウンサー、ゼネラルマネジャーなどとして団体を支えてきましたが、反社会勢力との交際が表面化し12年9月からは平社員に降格になっていました。

ノアの関係者によると、仲田は12日から連絡が取れなくなり家族が捜索願を出していたが、15日に愛知県内の高速道路サービスエリア内駐車場の車中で死亡しているのが発見されたといいます。

2月22日ディファ有明(観衆1,600人満員発表)大会は仲田氏の献花台が設置され、午後6時から1分間の黙祷が行われました。

ディファ有明大会メインイベントは永田裕志のGHCヘビー級王座に元同王者のKENTAが挑戦、バックドロップホールドで永田がフォール勝ちし、永田が王座初防衛。

3月8日有明コロシアム大会は観衆6,000人発表。12年にブシロード体制に入り業績が上向いてきた新日本プロレスとの提携強化で、ノアの有明コロシアムも徐々に観客が増加してきていました。

メインイベントは永田が杉浦貴の挑戦を受けてGHCヘビー級王座防衛戦を行い、バックドロップホールドでフォール勝ちし2度目の王座防衛を果たしました。

4月30日午後5時より江東区のディファ有明事務所にて、ノアが記者会見を行い、KENTAが4月30日をもって専属所属契約を終了することを発表しました。なお、5月ツアーに関しては5月3日のディファ有明、5月17日後楽園ホールの2大会に出場。記者会見には丸藤正道取締役副社長、KENTAが出席。コメントは以下の通りです。

KENTA「まずはずっと支え続けてきてくれたノアファンの方々に感謝の気持ちを述べたい。約14年間、ありがとうございました。なかなか勝てなかった日々もチャンピオンとして防衛してた日々も、ファンの皆さんの存在があって、ここまでこれたと思ってます。

皆さんの存在なしにはなし得なかったこともたくさんあります。そういった日々を思った時に今回の決断というのは、簡単なものではありませんでした。今年33歳という歳になり、環境を変えて新しいことに挑戦するには今しかないんじゃないかという気持ちが出てきました。

しかし、ノアの再建を目指してやってきて、途中で投げ出すような形で自分の新しいことを挑戦することが本当に正しいことなのかとても悩みました。しかし、いろいろ考えて、自分の中で出した答えは、人生は一度しかないということでした。今回の申し入れに快く送り出してくれた田上(明)社長、丸藤副社長に心から感謝してます。

選手、スタッフのみなさんにも感謝してます。またこれから新しいところでしっかり自分自身ベストを尽くして、少しでも恩返しできるようにしたいと思ってます。約14年、本当にありがとうございました。

(今後については?)今の段階では言えないですけど、またはっきりとしたことが決まったら、あらためてご報告させていただきたい。(以前から海外に興味があるという話をしてたが?)そのへんに関しても今の段階でお話できることはないので、また改めてご報告できる時がくればご報告したい。

(ノア再建への思いは?)そういった気持ちでやってきたのも本物。ただ33歳という歳をいろいろ考えて、悩んで出した答えなので。すべての方に理解していただくのは無理だと思うけど、自分自身はすべてのことに真剣に取り組んできたつもりでいます。(葛藤は?)この答えを出すまでにはいろいろありましたし、簡単な決断ではなかったです。

(いつごろからこの決断はあった?)はっきりした明確なことは覚えてないですけど、常に自分の中でどこかにはあって。それが大きくなってきたということですね。(ノアラストマッチは5・17後楽園だが?)あと5・3ディファ有明と後楽園があるので、感謝の気持ちを込めてしっかり自分の出せるモノを出したい。後楽園に関して言えば、ほかの選手は思い入れのある選手ばかり。しっかりといつも通りベストを尽くしたい。

(NO MERCYはどうなる?)改めて話し合いの場を持つつもりですし、みんなそれぞれ意見があると思うので、それをふまえた上で。ボク個人としては一度壊してもいいんじゃないかなと思ってます。

(退団の申し入れはいつ行った?)今月の半ばぐらいだったと思います。(どういう形がノアファンへの恩返しになる?)自分を貫くというか、自分らしくいるってことが恩返しになると思ってます。(夢に傾いたのは今年1月にGHCから陥落したことがきっかけ?)そうですね。そういった気持ちは事実あったかもしれません。

(残る選手たちにメッセージを?)ボクから偉そうにメッセージなんてありませんが、今まで誰かが抜けた時にはボク自身もより気合いを入れてがんばってきましたし。ボク自身も代わりなんて誰でもいるという気持ちで必死こいてやってきた。誰かが抜ければ誰かが出てくると思います」

KENTAはこの時点でWWE入りが濃厚とされていました。
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