09年6月13日プロレスリング・ノア広島県立総合体育館グリーンアリーナ小アリーナで起きた三沢光晴の死亡事故。
直接の死因となったのは齋藤彰俊のバックドロップでしたが、映像を観ていないので写真と臆測になるものの、彰俊が危険な角度で投げたようには思えず、技の失敗やましてや故意ではないでしょう。
受けた側の三沢の身体がダメージの蓄積により本人の意思通りに動いてくれなかったのが原因でしょう。高校時代に器械体操とアマレスの経験のある三沢は受け身を馬場から褒められる程の優れた反射神経を持ち、しなやかな猫のような受け身と評価されていました。
三沢程の受け身の達人であれば、どのタイミングで受け身を取れば良いか身体に滲み込んでいる訳で、本人はしっかり受け身の体勢になっていたと思ったにせよ、実際は取れておらず、頭からマットに直撃してしまい、首に全体重が乗ってしまったのではないかと思われます。三沢の直接の死因は「頸髄断裂」、四天王プロレス時代からの長年のダメージが溜まりに溜まって事故に繋がったと言えます。
加えて、不摂生をしていると思われる体型、三沢は全国にタニマチがおり、スポンサー筋との付き合いやチケットを買ってもらう為のトップセールスとして接待漬けの日々ではなかったかと思われます。
そんなタニマチも玉石混交、質の良いタニマチもいればそうではない人物も…。
三沢の死後、ノアのタニマチだった小田原の成田眞美という女詐欺師、夫は元反社会勢力の幹部、タニマチに多大な人脈を誇っていた永源遙の伝手で業績が低迷し続けていた08年頃の三沢存命中から接近し始めました。
当時のノアは日本武道館の超満員伝説が崩れ、創業メンバーである三沢、小橋建太、田上明、秋山準ら主力が体調に問題を抱えて観客を満足させる試合が出来なくなっており、三沢は森嶋猛にGHCヘビー級王座の座を譲り真ん中位の試合に出ることも多くなっていました。
08年12月31日付で本田多聞、菊地毅、泉田純至、川畑輝鎮、橋誠の5選手とマイティ井上レフェリーが1年間の年間報酬保証条件付でフリー契約となり1年後に契約期間満了により完全フリーとなりました。さらに09年12月31日付で志賀賢太郎がフリーに。
状況悪化の時期に成田夫妻に接触したノア勢は小田原に通い詰めたのでしたが…。
09年9月27日日本武道館、10月3日大阪府立体育会館の三沢追悼興行は超満員になったノアでしたが、その後の観客動員は振るわず、年度最後の日本武道館大会となった12月6日は12,000人発表も満員とは成らず。
新GHCヘビー級王者となった潮崎豪が思うように人気が出なかったか杉浦貴の雪崩式オリンピック予選スラムからの片エビ固めに敗れ王座転落しています。
翌10年になると観客動員はさらに落ち込みを見せ、9月26日日本武道館大会は7,200人発表と過去最低を更新。メインイベントで前王者潮崎をオリンピック予選スラムからの片エビ固めで破り5度目の防衛を果たした杉浦はガラガラの観客席に向かって、「三沢さんのいない武道館はダメですか?小橋さん、秋山さん(欠場中)のいないノアは物足りないですか?今のノアを観て下さい!」と訴えました。
10年は5月24日にノア旗揚げメンバーで04年7月10日東京ドームのビジョンからの映像でビデオレターにより引退を発表した終身名誉選手会長、ラッシャー木村(本名 木村政雄)が誤嚥性肺炎の為、68歳で亡くなっています。
11月8日ノア監査役でGHCタイトル管理委員長だったジョー樋口(本名 樋口寛治)が肺癌の為、東京都内の病院で死去、享年81歳でした。
全日本プロレスのレフェリー時代はレスラーの乱闘に巻き込まれることが多く「失神芸」と揶揄されたことも多かったですが、それは馬場のマッチメイクの問題であり、品格のあるレフェリングは他の追随を許さない、和田京平は樋口の足元にも及ばないと思います。
11年からは会場使用料が1回500万円と言われる日本武道館からは一時撤退、ノアの本社に近い有明コロシアムにビッグマッチの会場を変更しました。
03年4月13日以来、約8年ぶりの開催となった11年3月5日有明コロシアムでのビッグマッチは4,800人発表と厳しい入りで、GHCヘビー級王者杉浦は新日本プロレスからレンタルしてきたジャイアント・バーナードをオリンピック予選スラムからの体固めで降し、9度目の王座防衛、長期政権となりました。
自衛隊でレスリングをみっちりやってきた杉浦は強かったですが、王者としては地味で集客力は今ひとつ、というより90年代の全日本プロレスで闘い抜いてきた三沢、小橋、秋山に比べるのは気の毒というもの。
三沢に代わって社長になった田上は業績が下振れてきた時期に社長になり試合どころではなくなったか前座試合に出ていました。
3月11日の東日本大震災を経て5月8日に2度目の有明コロシアム大会を開催、杉浦は鈴木みのるをオリンピック予選スラムからの体固めで破り、11度目の防衛を果たしましたが、この時も4,400人と不入りでした。
7月10日にも有明コロシアム(観衆4,400人発表)でビッグマッチが開催され、前王者潮崎が杉浦をリミットブレイクからの体固めで破り、王座返り咲き。杉浦は小橋の持つGHCヘビー級王座連続防衛記録13回を1回上回る14度の防衛を重ねています。
8月27日日本武道館では東日本大震災復興支援チャリティープロレス「ALL TOGETHER 」が東京スポーツ新聞社主催、新日本プロレス、全日本プロレス、ノアの3団体が協力して開催され、17,000人超満員札止め発表の大観衆を動員。
メインイベントではIWGPヘビー級王者棚橋弘至&三冠ヘビー級王者諏訪魔&GHCヘビー級王者潮崎がトリオを結成、中邑真輔(新日本)&KENSO(全日本)&杉浦(ノア)組と対戦、棚橋がハイフライフローからの片エビ固めで、かつて新日本プロレスで「タナケンタッグ」として活躍した同期のKENSOを破りました。
セミファイナルは武藤敬司(全日本)&小橋建太(ノア)組がタッグを結成、新日本プロレスのCHAOS、矢野通&飯塚高史組と対戦、武藤&小橋組はムーンサルトプレスの競演を見せ、フィニッシュは小橋が飯塚を体固めでフォールしています。
11月22日ノアのトップ外国人だったバイソン・スミスが遠征先のプエルトリコで急死、享年38歳の若さでした。
三沢の最後の対戦相手となったバイソンは01年にノアの提携先であるミズーリ州エルドンでハーリー・レイス主宰のWLWのキャンプを訪れた三沢の目に留まり同年8月に初来日、以後レギュラー参戦しトップに登りつめました。バイソンは死の2日前の11月20日までノアの「グローバル・リーグ戦」に参加しており、ファンは大きな衝撃を受けています。
12年1月22日大阪府立体育会館では森嶋猛が潮崎をバックドロップからの体固めで破りGHCヘビー級王座獲得。潮崎は王座獲得後、秋山、高山善廣、KENTAと3度の防衛に成功も4度目で失敗、またしても半年間の短命王者に終わっています。
森嶋はこの時の王者時代に「やる気!元気!モリシ!ドント・ストップだ、この野郎!」と決めゼリフを使っていましたが、ノア人気はさらに凋落していったのは言うまでもありませんでした。
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