至宝であるIWGPヘビー級王座を全日本プロレスの三冠ヘビー級王者小島聡に奪われた新日本プロレスは小島の初防衛戦の相手に中邑真輔をぶつけてきました。
05年3月26日両国国技館(観衆9,000人満員発表)大会で小島と中邑のタイトル戦が実現(三冠ヘビー級王座は賭けられず)。この試合もロングマッチとなり、小島はCCD(コジ・クラッシュ・ダイナマイト、エメラルド・フロウジョンとファルコンアローの合体風の技)からフォール。カウントは2。
小島がラリアットにいきましたが中邑はカウンターの膝蹴りで迎撃しシャイニング・トライアングルも決まらない。立ち上がった小島は後頭部へラリアット、さらに前からのラリアットにいきましたが中邑はこれをかわして飛びつき式三角絞め、下からの腕ひしぎ逆十字固めに移行、小島は中邑の顔面を踏みつけて脱出しました。
55分経過、小島はバックドロップ3連発からフォール、中邑はカウント2でキックアウト。小島はギロチンチョークで絞め落としにかかりますが中邑は体勢を入れ換えて飛びつき式腕ひしぎ逆十字固め、これを逃れた小島に中邑は追い打ちの三角絞めも決まらない。両者決定打に欠け、60分時間切れ引き分けとなり小島が初防衛を果たしています。
2月20日両国国技館で小島に屈辱のKO負けを喫した天山広吉は、すんなりリターンマッチの権利は与えられず、この日次期挑戦者決定トーナメントに出場し1回戦で中西学をアナコンダクロスで破り、決勝では1月4日東京ドームでの巴戦で天山から裏STFでギブアップ勝ちを奪い1回戦シードとなった蝶野正洋と対戦、アナコンダクロスで蝶野からギブアップを奪い返して勝利。5月14日東京ドームでメインイベントの小島vs中邑戦終了時点での王者に挑戦する権利が与えられています。
この年は00年以来、5年ぶりに「ヤングライオン杯争奪リーグ戦」が復活、この日優勝決定戦が行われ、後藤洋央紀が高阪剛主宰のアライアンス所属の総合格闘家、伊藤博之と対戦、ゴー・トゥー・ヘブン(変型アングルスラム、ブルー・ウルフのモンゴルスラム、ノアの杉浦貴のオリンピック予選スラムと同類の技)からの片エビ固めで後藤が優勝を飾りました。
この年より4月に「春のG1」として「NEW JAPAN CUP」がスタート、G1クライマックスはブロック別総当たりリーグ戦ですがNJCはトーナメントで争われ、4月24日大阪府立体育会館で行なわれた優勝決定戦では棚橋弘至が中西をスリングブレイドからの体固めで破り、記念すべき第1回大会を制しました。
5月14日土曜日東京ドーム「NEXESS」は観衆35,000人満員発表、過去最低の動員を更新。満員というのはアリーナの座席をかなり減少させたことによるものでした。
この日はダブルメインイベントとして行われ、ダブルメイン第2試合はIWGPヘビー級王者、全日本プロレスの小島に天山が挑戦。(三冠ヘビー級王座は賭けられず)。前回、スタミナ配分に失敗した天山は慎重な滑り出し。
小島がCCD、ローリングエルボー、後頭部へのラリアット、天山はダウン。小島がフォールにいくも天山はカウント2でクリア、ならばと正面からのラリアット、天山もTTD(テンザン・ツームストン・ドライバー)でお返し、負けじと小島もCCD。
ラリアット狙いで突進してきた小島をカウンターのボディへのパンチで食い止めると顔面へのパンチからムーンサルトプレス、小島はカウント2で変えします。
勝機と見た天山は小島を担いでTTD、膝を立てるのではなく、そのまま尻餅をついて倒れる変型、19分34秒、片エビ固めで天山がフォール勝ち、至宝IWGPヘビー級王座奪還に成功しています。
ダブルメイン第1試合はノアの三沢光晴が登場、高校生の頃憧れていた藤波辰爾とタッグを結成、ブラック・ニュージャパンの蝶野&獣神サンダー・ライガー組と対戦、ノアの本川越ぺぺホールアトラス大会を終えてからドームに駆けつけた三沢。
ライガーは上半身裸のバトルライガーで三沢とも激しくやり合います。藤波がライガーにドラゴンスリーパー(飛龍裸絞め)、三沢もドラゴンスクリューを出してファンサービス、最後は藤波がライガーに絡みついてグラウンド・コブラツイストでカウント3。藤波&三沢組が完勝しています。
1月4日の東京ドームでメインを張った中邑&棚橋はこの日はセミファイナルに出場、保持していたIWGPタッグ王座防衛戦で中西&ケンドー・カシン組と対戦、中邑がカシンを腕ひしぎ逆十字固めでギブアップさせ、3度目の防衛に成功しました。
この観客発表に新日本プロレスは東京ドーム興行から撤退すべしの声が強くなり、また、テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送打ち切り説が頻繁に出ていたのもこの時期でした。
三沢の出場は結果的にノアの好感度を上げただけで集客に影響なく、対戦相手チームにジュニア・ヘビー級のライガーがいたことから試合の勝敗も見えており、興行のカンフル剤とはならず。
ここはトリプルメイン(ゲストの三沢の扱いを悪くは出来ない)として中邑vs棚橋の再戦が良かったと私は思います。IWGPタッグ王座の防衛戦は他の会場でも十分でした。
全日本プロレス、ノア頼りで東京ドーム大会を開催しても不入りだった新日本プロレスをオーナーの猪木が快く思う訳がありません。強権発動を実施して草間政一社長を1年もしない5月26日に解任してししまいました。
娘婿(当時)のサイモン・ケリー猪木を代表取締役社長としました。サイモンは外国人であるところから部内昇格で取締役の山中秀明に代表権を付与し、代表取締役副社長に選任しています。
6月には団体として初のイタリア遠征を敢行。「ワールドプロレスリング」がイタリアでも放送されていたことから実現しました。
最終戦の6月5日ミラノ・マツダパレスでは天山はスコット・ノートンをムーンサルトプレスからの片エビ固めで撃破しIWGPヘビー級王座初防衛を果たしています。
7月18日札幌月寒グリーンドームで猪木事務所の藤田和之が天山のIWGPヘビー級王座に挑戦。膝蹴りの連発で13分59秒、片エビ固めでフォール勝ち、同王座3度目の戴冠を果たしています。勝った藤田は1週間前の7月11日にこの世を去った橋本真也の遺影が飾られている本部席まで行き、橋本の象徴とも言えた2代目IWGPヘビー級のベルトを置くと手を合わせて一礼、リングを降りました。
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