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2025年05月16日06:09

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【特別編】前田日明のYouTubeにおける問題提起について(33)

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03年11月3日新日本プロレスは横浜アリーナ「YOKOHAMA DEAD OUT〜死線を越えた闘い〜」を開催しました。観客は12,500人満員発表でしたがアリーナの中段、スタンドには空席が目立ち、何とか1万人超えを発表出来た感じです。

メインイベントから後ろ3つは新日本軍vs真猪木軍三番勝負と題して10月13日東京ドーム大会でのイリミネーションマッチで真猪木軍に軍配が上がりましたが、新日本軍のリベンジマッチとして組まれました。

セミ前は新日本軍、中西学&西村修組と真猪木軍、ボブ・サップ&中邑真輔組のタッグマッチ30分1本勝負。中西はマッケンローでサップを倒すと「ホーッ!」という野人の雄叫びからダイビング・ラリアット、サップのバックを取ってジャーマン・スープレックスホールド狙い、これは中邑がカット。

西村も入って中邑に卍固め、中西はサップをアルゼンチン・バックブリーカー。西村は卍固めを解くと得意の逆さ押さえ込みにいきましたがこれを中邑がワキ固めで切り返し西村はギブアップ、真猪木軍の先勝となりました。

セミファイナルは新日本軍、永田裕志と真猪木軍、鈴木みのるのシングルマッチ30分1本勝負。後に長きに亘り因縁の抗争を展開する両者初のシングル対決。

10月13日東京ドームでのイリミネーションマッチ、新日本軍に1人残された永田はサップ、鈴木の連携殺法を受けて最後は鈴木の卍固めの前に屈辱のレフェリーストップ負けを喫し、シングルで是が非でも借りを返したいところです。

序盤から永田は鈴木の右腕を攻撃。鈴木はゴッチ式パイルドライバーからスリーパー・ホールド、永田はバックドロップからエクスプロイダー、この頃の鈴木はプロレスに戻ってきたばかりで受け身がまだ上手くなってなかったです。

永田のキック、鈴木の張り手、意地のぶつかり合い、永田の腕への蹴りが上回った。永田はショルダー・アームブリーカーから腕ひしぎ逆十字固め、更に、猪木がアンドレ・ザ・ジャイアントをギブアップさせた馬乗り式腕固め。

この時は「白眼」は確立されていませんが絞め続け鈴木がレフェリーの呼びかけに反応しなかった為にレフェリーの海野宏之は試合をストップ、13分30秒、永田のレフェリーストップ勝ちを宣告しました。これで新日本軍と真猪木軍は1勝1敗。

メインイベントは三番勝負大将戦、真猪木軍、高山善廣の保持するIWGPヘビー級に03年度G1クライマックス覇者、新日本軍、天山広吉が挑戦。

高山の膝蹴りに天山は懐には入れず。天山はTTD(テンザン・ツームストン・ドライバー)で反撃、モンゴリアンチョップからアナコンダバイスへ。高山はこれをクリアすると三角絞め。天山はロープへ。高山はロープの反動を利したフロント・スープレックス3連発、天山は倒れ込んでのヘッドバット、モンゴリアンチョップからノーモーションでのヘッドバット、これは高山の顔面を直撃。

勝機と見た天山はTTD2連発からコーナーポスト最上段に登りムーンサルトプレス。27分26秒、体固めで天山がフォール勝ち、天山はカナダから凱旋帰国した95年2月4日札幌中島体育センターで橋本真也に23歳で初挑戦以来、8年9か月を経てIWGP初戴冠となりました。

さて03年12月31日の大晦日は日本テレビ、TBS、フジテレビの民放3局が格闘技戦の中継番組で仁義なき視聴率戦争を展開することになります。

前年までの「INOKI BOM-BA-YE」の好視聴率と興行の成功を受けて各テレビ局が放映権の獲得に動きました。

02年までは8月28日国立競技場で行なわれた「K−1Dynamite!」の大成功にみられるように、K−1を運営するケイ・ワンとPRIDEを運営しているドリームステージ・エンターテインメント(以下DSE)は協調体制を敷いていました。

しかし03年に入ると1月10日にDSE社長である森下直人氏がホテルの一室で女性関係のもつれから自殺、K−1も脱税で摘発された石井和義館長が全役職を辞任、証拠隠滅教唆容疑で逮捕される事態が起きると、これまで信頼関係を結んでいた人物が同時に消えたことで、K−1とPRIDEも関係は大きく一変しました。

PRIDEはDSE常務だった榊原信行が代表に就任、K−1は石井館長のアドバイザー的存在だった谷川貞治が後を引き継ぎFEGを設立してK−1を運営することになりましたが、以前からK−1の下に置かれる現状に面白くなかったDSEはK−1を出し抜こうと目論み始め、これまで独占していたK−1を他局でも放送されていたことに面白くなかったフジテレビと組み、K−1からは谷川が引き継いだことに反発した川又誠矢率いる反谷川グループを抱き込むことに成功。

川又は石井館長の側近でしたが、谷川を後継にされたことに反発しミルコ・クロコップを抱き込んで、ミルコと吉田秀彦を中心とした新格闘技イベントの旗揚げを画策していた。ミルコの引き抜きを知った谷川は榊原に抗議するも、榊原は受け付けず、これでK−1とPRIDEのの信頼関係が崩れ、熾烈な仁義なき戦いへと突入しました。

そしてこの年の大晦日も猪木がPRIDEののエグゼクティブ・プロデューサーを務めていたこともあって、DSE主宰により「INOKI BOM-BA-YE 2003」をさいたまスーパーアリーナで開催しフジテレビが放送する段取りとなっていました。

対するK−1も「K−1Dynamite!2003」をナゴヤドームで開催しTBSが放送することになっていました。ところが反谷川の川又が新日本プロレスの取締役でありUFO、ケイダッシュの社長だった川村龍夫と組んで「INOKI BOM-BA-YE 2003」を日本テレビで放送することを進めたためPRIDE側と対立。

DSEと川又一派が仲間割れとなり、川又一派はミルコだけでなく藤田和之や小川直也、そして新日本プロレスの関連法人だった猪木事務所を抱きこんでかねてから計画していた新会社設立計画を進め、新会社ケイ・コンフィデンスの主催で神戸ビックウイングで「INOKI BOM-BA-YE 2003」の開催を発表。

川又一派は本イベントが成功した暁には新は日本テレビによる定期放送がスタートすることも視野に入れて莫大な放映権料がケイ・コンフィデンスに入る契約を結び、そのうち何パーセントかのフィーが猪木事務所に入ることになっていました。

川又一派と決別したDSEは11月9日のPRIDE−GP決勝戦、東京ドーム大会で統括部長の高田延彦がマイクを持つと「今日この会場には、私の師匠である猪木さんが来てません。なぜこの世界格闘技史上歴史に残る空間に、あの人は来てないんですか? 猪木さんはPRIDEに背を向けてしまったんでしょうか!?私は、あえて一言だけ言います。去る者は追わず!」と猪木のPRIDE追放を宣言、「大晦日、一番高い山(フジテレビの意)からも参戦します!」とタイトルを「PRIDE男祭り」に改め、さいたまスーパーアリーナで開催することを発表しています。(この項続く)
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