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2025年04月30日06:01

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【特別編】前田日明のYouTubeにおける問題提起について(17)

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前01年の橋本真也のZERO-ONE旗揚げに次いで02年は武藤敬司が新日本プロレスを退団して全日本プロレスに移籍と90年代の「ドームプロレス」で興行人気を支えた武藤、蝶野正洋、橋本の「闘魂三銃士」は袂を分かつことになり、黄金期を築いていた新日本プロレスは斜陽化していきました。

団体分裂騒動が受身の問題提起都は直接関係ないと思われる向きもあるかと思いますが、団体分裂による団体の細分化、運営会社の弱体化がリング禍に繋がっているからこそ、ここに時間を割いて書いている訳です。

02年は「格闘技ブーム」が顕著に現れた年でした。93年スタートしたK-1と97年に高田延彦vsヒクソン・グレイシーから闘いの歴史が始まったPRIDE。キックボクシング、空手、カンフーなど立ち技系格闘技最強を決めようというK-1はフジテレビの放送を通して勢力を強めており、PRIDEも「グレイシーハンター」と言われた元UWFインターナショナルの桜庭和志という新しいスター選手が台頭、スカパーのPPVは毎回売上好調でフジテレビでも放送されビッグビジネスに成長していました。

6月23日さいたまスーパーアリーナで行なわれた「PRIDE21」では高山善廣がドン・フライと壮絶なノーガードの殴り合いを展開、1ラウンド6分10秒、殴り勝ったフライがTKO勝ちしましたが、高山はプロレスラーの打たれ強さ、超人ぶりを立証しましたが、脳に相当なダメージは負ったと思われます。

8月28日PRIDEを運営するドリームステージ・エンターテインメント(DSE)が運営、TBS主催のプロレス界がなし得ていない国立競技場に進出、「Dynamite!」を開催し91,107人(超満員発表)の大観衆を動員しました。

当時はDSEとK-1を主宰する石井和義館長の正道会館は提携関係にありました。石井館長は大会総合プロデューサーを担当。

メインイベントは桜庭がミルコ・クロコップと対戦、2ラウンド終了後右眼下底骨折の疑いで桜庭のTKO負け。

第7試合に組まれた92年バルセロナ五輪柔道金メダリスト、吉田秀彦はホイス・グレイシーと総合格闘技デビュー戦を行い、1ラウンド7分24秒、袖車を決め、レフェリーに「落ちたぞっ!」とアピールしレフェリーが試合をストップし試合終了となりました。ホイス陣営は吉田のアピールに虚偽があると抗議しましたが判定は覆らず。

第6試合、K-1からPRIDEに進出したボブ・サップがブラジリアン柔術のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦、力任せの打撃とプロレス流のボム系の大技で体格的に細いノゲイラを圧倒しましたがノゲイラは徐々に自分のポジションを取り、2ラウンド4分2秒腕ひしぎ十字固めで逆転勝ちしています。

試合前のセレモニーには猪木およびグレイシー一族の長、エリオ・グレイシーが登場し、聖火台に点火して大会が開会されました。

00年8月にPRIDEのエグゼクティブ・プロデューサーに就任した猪木は第5試合終了後上空1万メートルからパラシュートで降下して恒例の「ダーッ!」のパフォーマンスを披露しています。

翌02年8月29日新日本プロレス日本武道館大会では青山学院大学レスリング部主将だった中邑真輔がデビュー、 安田忠夫と対戦し4分26秒、フロント・ネックロックでギブアップ負け。

さらに8月30&31日の両日は武藤の全日本プロレスが日本武道館で創立30周年記念興行「王道新世紀」を開催、武藤とK-1の石井館長との提携路線から待望のビル・ゴールドバーグが初来日しています。

人気が徐々に落ちてきたとは言え、プロレス界にはまだまだ勢いはあった時期と言っていいでしょう。

10月6日水道橋・東京ドームホテル5階「吉祥」で記者会見を行なった佐々木健介は自身の負傷により11月30日パンクラス横浜文化体育館で行なわれる予定だっ鈴木みのるとのシングルマッチにおける交渉過程において、新日本プロレスに対する不信感を募らせ辞表を提出、退団を表明しました。

新日本プロレスでは10月14日東京ドーム大会を目前に控えての退団発表だけに5月に退団した長州力とその前に退職した永島勝司により設立が噂された新団体に引き抜かれたと考え、長州、永島を非難、これに対し10月8日に記者会見を開いた長州は怒りをあらわにしています。

11月17日横浜アリーナで全日本プロレスとK-1のコラボイベント「WRESTLE-1」が開催され、マーク・コールマン、ケビン・ランデルマン、サム・グレコらがプロレスをするという異色のイベントで注目を集め、武藤ルートからZERO-ONEの橋本真也をブッキング、ジョシー・デンプシーを撃破。

メインイベントはWCWパワープラントプロレス経験のあるサップとグレート・ムタが対戦、6分53秒、サップがダイビング・ヘッドバットからの大河勝利を収めました。

11月24日東京ドームでの「PRIDE23」で高田延彦が引退、高田引退試合の対戦相手は95年8月18日UWFインターナショナル東京ベイNKホールで「高田さん、僕と真剣勝負をして下さい!」とアピールしたかつての愛弟子、田村潔司でした。

田村はUインターが推し進めていた新日本プロレスとの対抗戦路線に背を向け、翌96年には前田日明のリングスに移籍、膝の故障で動きが悪くなった前田に代わり日本側エースとして活躍。

そのリングスもこの02年2月15日横浜文化体育館大会を最後に活動を休止、前田はロシア、オランダから外国人格闘家を発掘し日本で試合をさせていましたがPRIDEに選手を続々と引き抜かれてしまい、91年5月の旗揚げから月1回放送していたWOWOWがUFCに鞍替えして放送を打ち切られたのが致命傷となりました。

さて、新日本プロレスから旅立った永島と長州は新団体設立のためにスポンサーを探し、古くからの長州のタニマチで北海道を中心に事業を展開していた大星企業グループの代表である福田政二の協力が得られることとなり、02年11月12日にファイティング・オブ・ワールド・ジャパン(WJプロレス)を設立、福田が代表取締役社長、永島が専務取締役、長州が取締役に就任した。WJプロレスの設立によりリキナガシマ企画は活動を停止するしました。

旗揚げ興行前から1億円の資金が用意され、道場の開設、サイパンでの合宿、巡業バスや社長専用車の購入、著名人を招いての屋形船での忘年会などが話題となった。所属選手は新日本プロレスの退団を表明していた佐々木健介、鈴木健三(健想、KENSO)、新日本プロレスを退団した越中詩郎、ノアに所属し、この年アメリカ遠征に出たものの、そのままフリー宣言してしまった大森隆男、SPWFから谷津嘉章、高智政光、宇和野貴史を獲得したほかに、インディー団体の選手を対象に入団者を募り旗揚げの体制を整えました。

また、フロントとしてタイガー服部、保永昇男、マサ齋藤らが名を連ね、選手の獲得に際し支度金とし1人あたり500万円が用意されたといいます。この投資により用意された1億円の運転資金は瞬く間に費やされ、追加支援として福田から1億円を長州、永島に貸し付ける形で資金投入されました。

02年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」最優秀選手賞(MVP)がサップというのも、この年のプロレス界の迷走ぶりをの如実に現していたと言っても過言ではないでしょう。(この項続く)
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