世紀末を迎えた99年、新日本プロレス1月4日東京ドームでは前98年11月、メンバーと軋轢が生じ11月20日横浜文化体育館を最後に新生FMWを退団した大仁田厚が登場、佐々木健介と対戦し体力で圧倒されましたが最後は火焔攻撃を見せて反則負け。
また前98年10月24日両国国技館で猪木が関与して旗揚げしたUFO所属となった小川直也が橋本真也と1年8か月ぶりに対戦、ファスティングによる減量に成功した小川はオープンフィンガーグローブを着用した総合格闘家スタイルに変貌し橋本をパンチ攻撃で圧倒、橋本はやり返すことが出来ず。タイガー服部レフェリーに故意に攻撃を加えて反則負け狙いにいったもののダメージは大きくダウン、5分56秒、ノーコンテストとなりましたが実質は橋本のKO負けという内容でした。
ドームのリングサイド席には漫画「1・2の三四郎」のマスクを被った猪木が観戦しており、大仁田の新日本プロレス登場に強い不快感を現した猪木が小川を焚き付けて大仁田の光を消そうと仕組んだというのが今では定説になっています。橋本vs小川戦は「1・4事変」と言われ26年経過した現在でも語り継がれています。
そんな中、メインイベントでスコット・ノートンを足4の字固めで破りIWGPヘビー級王座を奪回した武藤敬司を新日本プロレスのファンは心の拠り所としました。
1月13日みちのくプロレス後楽園ホール大会でスペル・デルフィンがザ・グレート・サスケ(当時はルードギミックのSASUKE)に対して怒りの感情をぶつけて激しく対立、事の発端は1月10日ニューワールド仙台でサスケがデルフィンが既婚者(早坂好恵とは別の女性)であることをマイクで観客に向けて話したことと言われています。
これによりデルフィン、愚乱・浪花、星川尚浩、薬師寺正人、瀬野優(大王QUÄLLT)、レフェリーの松井幸則が退団することを発表。新団体「大阪プロレス」を設立し4月29日大阪府門真市なみはやドームにて旗揚げ戦を行いました。団体のカラーとしてはルチャ・リブレに吉本新喜劇のテイストをミックスさせた感じでした。
1月31日ウルティモ・ドラゴン率いる「闘龍門ジャパン」が日本上陸興行を後楽園ホールで開催。ウルティモ自身はアメリカで肘の手術に失敗して試合は出来ませんでしたがマグナムTOKYO、ドラゴン・キッド、既に前98年7月にみちのくプロレスに参戦していたシーマ・ノブナガ、ジュードー・スワ、スモー・フジに元武輝道場のTARUを入れたクレイジーMAXがルードとして活躍し従来にないルチャ・リブレスタイルを日本に持ち込みました。
特にマグナムは「TOKYO GO!」(ジョン・ロビンソン)のテーマに乗って躍っての入場で観客を楽しませています。
「闘龍門ジャパン」の旗揚げ戦は昼興行でしたが、ちょうどその日の午後4時4分、体調不良で入院していたジャイアント馬場が入院先の新宿・東京医科大学病院でS字上行結腸癌からくる肝不全の為、61歳で死去。
馬場は前98年「世界最強タッグ決定リーグ戦」12月2日長野県松本市総合体育館と翌3日のツインメッセ静岡の2大会を「風邪をこじらせた」として欠場、12月4日千葉公園体育館には出場、シリーズ最終戦の12月5日日本武道館での馬場&ラッシャー木村&百田光雄組vs渕正信&永源遙&菊地毅組のファミリー軍団対悪役商会の6人タッグマッチ(10分51秒、百田が永源を首固めで破る)が生涯最後の試合となりました。
2月1日夕刻から「馬場が亡くなった」という情報が出回り、急遽全日本プロレス事務所でジャンボ鶴田、三沢光晴、百田光の取締役による記者会見が行われ、馬場の死亡を発表しています。
「巨星墜つ」プロレスファンのみならず日本中が悲しみに包まれています。
2月21日リングス横浜アリーナで前田日明の引退試合が行われました。相手はアトランタ五輪アマレス金メダリスト、「霊長類最強の男」アレクサンダー・カレリンで、前田は裏アキレス腱固めで1ロストポイントを奪いましたが、その後逆転されて判定負けとなっています。
3月6日全日本プロレス日本武道館で鶴田が引退セレモニーを行いました。研究交流プロフェッサー制度によりスポーツ生理学の教授待遇として、オレゴン州ポートランド州立大学に赴任することを明らかにしました。鶴田はスポット参戦となっていた94年10月に筑波大学大学院体育研究科コーチ学専攻に合格し遂に非常勤講師ながら大学教員となっていました。
4月17日日本武道館で「ジャイアント馬場お別れの会」が開催され28,000人のファンが来場、献花台に花を添えて馬場との別れを告げました。
5月2日全日本プロレス東京ドーム大会は「ジャイアント馬場『引退』記念興行」として開催され65,000人超満員発表の観客を動員、馬場の引退セレモニーは『引退試合』として行われ、馬場&ザ・デストロイヤー組vsジン・キニスキー&ブルーノ・サンマルチノ組の時間無制限1本勝負として行われ、デストロイヤー、キニスキー、サンマルチノがリングに登場、ビジョンに映し出された試合映像に合わせて、それぞれが個人を追悼していました。
馬場の死は日記の問題とは直接、関係ないかのように見えますが、日本のプロレス界全体にガバナンスが効かなくなったということだけは言えます。
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