97年にはもう一つ日本プロレス界の流れを変える出来事がありました。ウルティモ・ドラゴンがメキシコで設立したルチャドール養成学校「闘龍門」が5月11日メキシコシティ・アレナ・ナウカルパンで旗揚げ興行を行っています。
ウルティモは96年に闘龍門を設立。半年に1度、生徒を募集して一定期間のトレーニング受けてプロテストに合格した練習生がメキシコでデビューしていた。ウルティモは身長が規程に届かず新日本プロレスの入門テストを落とされた経験から受験資格として身長制限は設けていませんでした。
ウルティモはこの日、自主興行「闘龍門」を開催、1期生黒木克昌(マグナムTOKYOちあち)、大島伸彦(シーマ・ノブナガ、CIMA)、諏訪高広(SUWA)、藤井達樹(スモー・フジ、ドン・フジイ)がデビューしています。
アレナ・メヒコのルチャリブレスクールをモチーフとして作られた闘龍門は日本のプロレスの制度に革命を起こしました。プロレスは「新弟子として入門するもの」ではなく「お金を払って教わりデビュー出来るもの」という選択肢も出来ました。闘龍門の旗揚げによりレスラー人口は増加、身体の小さいプロレスラーが増えていきました。
身体の小さなプロレスラーが増えること自体は悪いことではありませんが巨体のプロレスラーと対戦することもあり、身長差のある相手からボム系の大技を食らうと脳震盪などのダメージは同程度のサイズのプロレスラーと対戦した場合よりもさらに強烈なものになっていきます。
また、97年3月25日には日比谷ラジオシティにて屋台村出身の高木三四郎が新団体DDT(ドラマチック・ドリーム・チーム)を旗揚げ、野沢一茂(NOSAWA論外)、三上恭平(MIKAMI)、佐々木貴が初期メンバーでした。
98年は1月4日新日本プロレス東京ドームで長州力が引退、藤田和之、吉江豊、高岩竜一、飯塚高史、獣神サンダー・ライガーとの5人掛けで飯塚に膝十字固めで敗れた以外は全勝の4勝1敗でした。
4月4日東京ドームで猪木が引退試合を行い、ドームの新記録70,000人超満員札止めの大観衆を動員、猪木は対戦者決定トーナメントを勝ち上がってきたドン・フライを4分9秒、コブラツイストでギブアップ勝ちし、有終の美を飾りました。
FMWは前97年より登場した冬木弘道がマッチメイクの主導権を握り「エンターテインメント路線」に変更、95年5月5日川崎球場で一度引退した大仁田厚は限定復帰していましたが、新生FMWは何かと対立していくことになります。
4月30日横浜文化体育館大会からディレクTVによるPPV放送が開始されメインイベントはハヤブサがミスター雁之助を破りWWA世界ブラスナックル&インディペンデントワールド世界ヘビー級王座の二冠王座を獲得。大仁田は冬木とストリートファイト・ランバージャックデスマッチで対戦、自身の得意技であるサンダーファイヤー・パワーボムでフォール負けを喫しました。
エンターテインメント路線は「素人を登場人物としてリングに上げる」という危険な域に足を踏み入れざるを得ないものでした。
翌日の5月1日には全日本プロレスが創立25周年記念大会、として東京ドームに単独初進出、58,000人の大観衆を動員しています。
メインイベントは馬場が「今、ウチが用意出来る最高のカード」三沢光晴に川田利明が挑戦した三冠ヘビー級選手権試合が組まれ、28分5秒、ハイアングル式パワーボム(ラストライド)からのエビ固めで川田がフォール勝ちしベルト移動。
王座転落した三沢は膝の治療の為、2シリーズ欠場し、8月22日後楽園ホールでの「サマー・アクション・シリーズ2」開幕戦から復帰しますが、この時馬場から現場責任者を任されてましたが、三沢が馬場にスケジュール面の不満をぶつけたからだと言われています。
実際に、東京ドーム大会の僅か半月前の4月15日日本武道館で当時「世界一過酷なリーグ戦」と言われた「チャンピオン・カーニバル」優勝決定戦(三沢が秋山準を破り優勝)が行われており、選手の疲労はピークに達していたのです。
現場責任者となった三沢はジュニア・ヘビー級の実力者だった小川良成をパートナーに指名しヘビー級の中で闘わせることにしています。
10月24日後楽園ホール大会、1週間後に三冠ヘビー級選手権試合を控えた王者小橋健太(6月12日日本武道館で川田を破り王座獲得)が挑戦者三沢とタッグで前哨戦。小橋&新崎人生組vs三沢&大森隆男組がメインイベントで対戦、この試合で小橋は三沢をアルゼンチン・バックブリーカーに担ぎ上げてから勢いをつけて頭からリングに落とす新兵器「バーニング・ハンマー」を出して三沢からフォール勝ちしました。
シリーズ最終戦10月31日日本武道館で行なわれた三冠ヘビー級選手権試合は壮絶を極めました。三沢はエプロンで小橋をリバースフルネルソンに捕らえると断崖式タイガードライバーで場外マットに叩きつけていきます。タイガードライバー'91も小橋はカウント2で返して見せます。
三沢が小橋へタイガースープレックス、ランニング・エルボー。いずれもカウント2で返した小橋がロープにつかまりながら立ち上がったところへ三沢がエルボー、小橋も剛腕ラリアットを出し相打ちとなりましたが、すかさず三沢はエルボーから左右のエルボーを打ち込み、うつ伏せに倒れた小橋の体を返して押さえ込み43分29秒、三沢が片エビ固めでフォール勝ちしタイトルを獲得に成功しました。
試合後三沢は控室で長時間大の字になり、ようやく起き上がってから乾杯の記念撮影となりました。
10月11日東京ドームで行なわれた「PRIDE4」で高田延彦がヒクソン・グレイシーと再戦を行いました。今度は1ラウンド10分でしたが1ラウンド9分30秒、腕ひしぎ十字固めでまたしてもギブアップ負けとなっています。
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