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2025年03月25日07:14

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【特別編】マイティ井上さん追悼(61)

85年8月19、20日の両日にかけて、ネバダ州ラスベガスのデューンズ・ホテルにおいて、85年度のNWA総会が開催され、会長にはカンザスのボブ・ガイゲルが再任され、第一副会長には馬場が再任されています。

ビンス・マクマホンによる全米プロレス界制圧が着々と侵攻する中、NWAはノースカロライナのジム・クロケットが中心となり、AWAのバーン・ガニアと手を組み「プロレスリングUSA」なるプロジェクトを始動させ対抗措置に出ましたが、ハルク・ホーガンを抱えるビンスのWWFの勢いはとどまるところを知らず、NWA、AWAは苦戦を強いられました。

8月22日神田にある専修大学の神田駿河台校舎において、ジャパンプロレスから長州力社長、大塚直樹取締役、専修大学からはレスリング部監督だった松浪健四郎が出席、84年ロス五輪グレコローマンスタイル90kg級日本代表の馳浩(当時24歳)のジャパンプロレス入団の発表記者会見が行われています。

馳は61年5月5日富山県小矢部市出身、石川県の星稜高校時代からレスリング部主将として鳴らし、専修大学に進学。ロス五輪に出て卒業後は母校の星稜高校で古文の教師をしていましたが、松浪→長州ラインでジャパンプロレスへの入団が決定。

ジャパンプロレスは同時期に、ノンキャリアではありますが、高校で柔道をしていた福岡県出身の佐々木健介(当時19歳)も入門を果たしており、生え抜き新人が2人入門。このあたり、長州、大塚が描く「完全独立」へ向けての動きの一つと言えます。

馳は翌8月23日後楽園ホールで行われた全日本プロレス「決戦!ダイナマイト・ウォーズ」開幕戦でリングに立ち、観客に挨拶をしています。

「決戦!ダイナマイト・ウォーズ」の参加外国人は前半戦特別参加がスタン・ハンセン、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、テッド・デビアス。後半戦特別参加がハーリー・レイス、1週遅れての参加がキラー・トーア・カマタ、全戦参加予定がタイガー・ジェット・シン、キラー・ブルックス、マーティ・ジャネッティ、ティム・ホーナー、ミグエル・ペレス・ジュニア。

なお、ブルーザー・ブロディの新日本プロレス移籍に伴い空位になっていたPWF世界タッグ王座につきましては、パートナーのハンセンがデビアスを指名、ハンセン&デビアス組が王座決定戦を闘うことなく第2代王者チームに認定されています。

「決戦!ダイナマイト・ウォーズ」開幕戦は8月23日後楽園ホール(テレビ収録、観衆3,400人超満員発表)大会。この日はジャパンプロレスへの売り興行。私はこの興行は観に行きました。

マイティ井上はグレート小鹿組とベテランチームを結成、ラッシャー木村&鶴見五郎組の国際血盟軍と対戦、8分38秒、チェーンを持ち出した鶴見が反則を取られ、井上&小鹿組の反則勝ちとなっています。

当日はダブルメインイベントとして行われました。ダブルメイン第2試合はテリー・とハンセンの遺恨試合60分1本勝負。テリーの復帰後はこれが初対戦となりました。

試合はテリーがハンセンをドリルアホール・パイルドライバーに抱え上げましたがハンセンがこれをリバース・スープレックスで返してテリーは場外転落。ハンセンもこれを追って場外へ。コーナーポストにかけてあったブルロープを持ち出したハンセンはテリーの首を絞め上げた状態でリング内へ。

そこへハンセンのパートナーであるテッド・デビアスが乱入し2人がかりでテリーを攻撃、9分58秒、テリーの反則勝ちが宣せられています。

ダブルメイン第1試合は2か月半ぶりの一騎討ちとなる長州とシンのシングルマッチ60分1本勝負。前回6月5日の愛知県体育館での4年ぶりの対戦は僅か5分49秒でノーコンテストに終わっており、長州としては完全決着といきたいところ。

長州はシンをコーナーに詰めてストンピングの嵐、劣勢になったシンでしたが、セコンドにいたキラー・ブルックスに合図をするとブルックスが何かをシンに手渡し。シンに渡されたのはパウダーで、長州が顔を近づけて来たのを見計らって、顔面めがけてパウダー攻撃。目を押さえてダウンする長州。

6分59秒、長州の反則勝ちとなりました。長州は試合を優勢に進めながらもシンに逃げられてしまいました。

セミ前に組まれたのは馬場&ドリー&天龍源一郎組の日米師弟トリオがブルックス&ジャネッティ&ホーナー組と対戦。10分23秒、ドリーがホーナーを後方回転エビ固めで破り馬場&ドリー&天龍組の勝利。

デビアスは開幕戦で、ジャパンのベテラン、寺西勇とシングルマッチで対戦。僅か1分33秒にパワースラムからの体固めでワンサイドの勝利を飾りました。

石川敬士&大熊元司&ハル薗田組vsキラー・カーン&谷津嘉章&アニマル浜口組は11分2秒、谷津がワンダー・スープレックス(フロント・スープレックス)から薗田を片エビ固めで破りジャパンプロレス軍に凱歌が上がっています。

「ヒットマン」阿修羅・原はこの日はジャパンプロレスの栗栖正伸とのシングルマッチ、2分19秒、ヒットマン・ラリアットからの体固めで秒殺勝利。

8月28日、東京・赤坂プリンスホテルにおいて日本テレビの「全日本プロレス中継」が10月19日放送分から従来の毎週土曜日午後5時30分からの60分枠から、毎週土曜日午後7時からの60分枠のゴールデンタイムへの復帰が発表されました。

「全日本プロレス中継」は実に6年半ぶりのゴールデンタイム復帰となり、テレビ局の番組編成の中で、ゴールデンタイムを一度撤退した番組が復帰するというのはあまりなく、快挙と言っていいでしょう。

記者会見には全日本プロレスから馬場、鶴田、天龍、タイガーマスク、ジャパンプロレスから長州、谷津、小林邦昭が出席しています。

日本テレビの岩渕泰男常務取締役編成局長は会見の席上「視聴率は20%以上が目標、最低でも15%以上」と馬場に激を飛ばしています。20%以上目標というのは後発のテレビ朝日「ワールドプロレスリング」が初代タイガーマスクブームにより常時22〜23%を稼ぎ出していた82〜83年前半の数字が根拠になっていると思われます。この時期での最大視聴率は83年2月11日放送の猪木vs国際軍団の2度目の1対3変則タッグマッチの25.9%でした。

「全日本プロレス中継」は72年10月7日に第1回目の放送がスタート、7、14日は馬場が外国人招聘ルートを確保すべく旗揚げ前に渡米した時のハワイでのザ・シーク戦、テキサス州アマリロのTVスタジオでのザ・プロフェッショナル(マスクマン、ハーリー・レイスが正体と言われ、当時はまだ日本プロレスが存在し芳の里社長と遠藤幸吉取締役がNWAのメンバーだった為配慮され、両腕の刺青でレイスとわかってしまうので赤の全身コスチュームで変身した、とされる)戦、ペンシルバニア州ピッツバーグでのブランク・ホルツ戦が放送されました。

第3週の10月21日、町田市体育館における旗揚げ前夜祭(メインイベントは馬場&サンダー杉山組vsブルーノ・サンマルチノ&テリー・ファンク組)を生中継し事実上のスタートを切りました。

しかし、土曜日午後8時はTBSの怪物番組と言われた「8時だヨ!全員集合」が同時間帯の視聴率のトップに君臨、NETは「人造人間キカイダー」、「デビルマン」を放送、7時30分からの「仮面ライダー」の流れから男の子のファンを他局に逃さない連携を敷いており、「全日本プロレス中継」は10%台前半にとどまりました。

また、4月〜9月のプロ野球シーズンは巨人戦中継が優先され、放送時間帯が深夜(関東地区は午後11時45分から)に移行されることもしばしばありました。

75年に入ると「視聴率男」と言われた萩本欽一による「欽ちゃんのドンとやってみよう!」がフジテレビ系列でスタート。「欽ドン!」は午後7時30分からの90分放送で早く放送を始めることで「全員集合」の視聴者を取り込むことを狙いとし、ドリフターズに対抗しました。

そんな中、79年3月31日三条市厚生年金福祉体育館からの生中継(第7回チャンピオン・カーニバル公式戦、馬場vsディック・スレーター、鶴田vsキラー・トーア・カマタ、アブドーラ・ザ・ブッチャーvsドスカラスを放送)を最後にゴールデンタイムから撤退を余儀なくされ、翌週4月7日から毎週土曜日午後5時30分からに放送時間帯が変更されました。同時に「全国31局」が謳い文句だったネット局数も減少。全日本プロレスが見られなくなった地域も出て来ています。

82年1月1日付で全日本プロレスの社長となった日本テレビより出向の松根光雄氏は、視聴率を稼げない馬場に事実上の引退勧告をしていましたが、オーナーである馬場は抵抗を見せました。

83年2月に「東洋の神秘」ザ・グレート・カブキが凱旋帰国。カブキブームを巻き起こし、全日本プロレスも業績がよくなって来ました。そこで松根社長は日本テレビと連携し、従来の「全日本プロレス中継」とは別建てで土曜日午後7時30分からの「土曜トップスペシャル」で全日本プロレスの試合を放送。

第1回の放送は2月26日で前日の愛知県体育館から鶴田vsトミー・リッチのUNヘビー級選手権試合、カブキvsタイガー・ジェット・シン、大仁田厚vsドスカラスのNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級選手権試合の3大決戦に加え、2月11日、ミズーリ州セントルイス・チェッカードームからのレイスvs馬場のPWFヘビー級選手権試合、リック・フレアーvsブルーザー・ブロディのNWA世界ヘビー級選手権試合の二元中継を放送。もちろん全国ネットで、「全日本プロレス中継」のレギュラー放送がなくなった地区にも放送されました。

第2回は9月3日、8月31日、蔵前国技館からテリー・ファンク引退試合(&ドリー・ファンク・ジュニア組vsハンセン&テリー・ゴディ組)、ブロディvs鶴田のインターナショナル・ヘビー級選手権試合、チャボ・ゲレロvs渕正伸(正信)のNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級選手権試合を中心に放送。

第3回は番組としては初めての生中継、12月10日、愛知県体育館から馬場&ドリー組vsハンセン&ブロディ組の世界最強タッグ決定リーグ戦公式戦、鶴田vsフレアー、カブキvsバリー・ウィンダムを放送。

84、85年も定期的に放送され、着々と実績をあげてきました。85年3月9日両国国技館からの生中継ではザ・ロード・ウォリアーズという「テレビ向け」のビジュアルを持つスター選手が出現、長州らジャパン軍団の参戦で陣容も強化され、ゴールデン「昇格」が決まったものです。

馬場は会見の席上、旗揚げ記念日にあたる10月21日に両国国技館を開催し、メインイベントは世界マット史上初となるNWA世界ヘビー級王者リック・フレアーvsAWA世界ヘビー級王者リック・マーテルのダブル・タイトルマッチを開催することを発表しています。

第6戦、8月29日宇都宮・栃木県体育館(テレビ収録、観衆5,200人超満員発表)大会。テレビ中継のゴールデンタイム復帰決定効果か、会場にも熱気が溢れていました。

井上は薗田&T後藤とトリオを結成、ジャパンプロレスの小林邦&保永昇男&新倉史裕組と6人タッグマッチで対戦、11分51秒、薗田が新倉をフライング・クロスアタックからの体固めに決めて全日本チームの勝利となっています。

メインイベントはドリー&テリーのザ・ファンクスとPWF世界タッグ王者チームであるハンセン&テデビアス組がノンタイトルで対戦。デビアスはハンセンと組んだことで師匠であるファンクスを敵に回すことになりました。

試合はテリーとハンセンがリング下でやり合っている間にリング上ではドリーがデビアスをテキサス・クローバーホールドに捕らえました。しかし、場外でテリーをカウベルで殴り倒したハンセンがリングに入ってこれをカット。さらに2人がかりでドリーを痛めつけ、13分42秒、ハンセン&デビアス組の反則負けが宣せられています。

セミファイナルは鶴田&天龍の鶴龍コンビがシン&ブルックス組と対戦、鶴田がブルックスをコブラツイストに捕らえてギブアップを迫るも、コーナーにいたシンが入ってきて凶器で鶴田の喉元を一撃、助けに入った天龍、止めに入ったレフェリーにも凶器攻撃を加え、9分49秒、鶴田&天龍組の反則負勝ちに終わりました。

セミ前に組まれたのは長州&谷津嘉組vsジャネッティ&ホーナー組の一戦。こちらは4分27秒、長州がホーナーをリキラリアットからの体固めに決めてジャパン軍団がスッキリと勝っています。

この日より出場のザ・グレート・カブキはジャパンのベテラン、寺西とのシングルマッチが組まれましたが、寺西のセコンドにはKカーンと浜口がついており、一緒にリング内に上がったまま降りようとせず、ゴングと同時に3人がかりでカブキに攻撃を加え、55秒、寺西の反則負けとなりました。

Kカーン、浜口、寺西はカブキを袋叩きにしてリングから去りましたが、リング上に1人ダウンして残されたカブキを全日本勢が助けに入って来ましたが、「助けに来るのが遅い」とばかり、天龍にアッパーカット、薗田の顔面には毒霧を吹きかけて1人で退場しています。「カブキご乱心」!

馬場&石川敬士組vsR木村&鶴見組は石川が馬場に向けて鶴見を飛ばすと、馬場はエプロンから鶴見にカウンターの16文キック、8分58秒、石川が鶴見をエビ固めに丸め込んでカウント3。馬場&石川組が勝利を飾りました。

「孤高のヒットマン」原はこの日はかつて国際プロレスでコーチだった浜口とのシングルマッチ。連日、5分以内の秒殺勝利を続けていた原でしたが、手の内をよく知り尽くされている浜口相手だとそうはいかず、必殺のヒットマン・ラリアットを決めたものの浜口に場外戦に持ち込まれて9分59秒に両者リングアウトの引き分けに終わりました。

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