85年8月2日の札幌大会で痛めていた右肘の負傷箇所をさらに悪化させた鶴田は、出場予定だった「サマー・ドリーム・フェスティバル」第2戦となった8月3日青森県営体育館大会を欠場して東京に戻りました。
信濃町の慶應義塾大学付属病院で診察を受けた結果、右肘は「変型性肘関節症急性悪化」、「遅発性尺骨神経麻痺」と診断され、入院、手術を行うことになりました。
鶴田は8月5日に手術を行っていますが、同日大阪城ホールで行われる予定だった長州力との初のシングルマッチは中止になりました。
後日談ですが、この時の手術前の血液検査で鶴田がB型肝炎のキャリアであることが判明しています。
この長州vs鶴田の大阪城決戦はノーテレビと発表があり、大学4年生だった私は夏休みを利用して2月21日(長州vs天龍)、5月13日(長州vsスタン・ハンセン)の同所でのジャパンプロレス自主興行に続いて3度目の遠征を試みました。
8月2日の札幌大会がテレビ中継されたのが3日の土曜日、4日日曜日深夜の夜行バスで大阪に向かっており、日曜日は東京スポーツが休刊日、インターネットのない時代ですから鶴田手術の情報を知らず、会場に着いて「鶴田欠場」の貼り紙を見てガク然とさせられましたがチケットも事前にジャパンプロレスから郵送にて購入しており、観戦する以外に選択肢はありません。
会場のアリーナ席の最後方に「投票箱」が設置してあり、この日出場予定の天龍源一郎、キラー・カーン、谷津嘉章、ジャイアント・キマラの4選手の中から投票で1位となった選手と長州がメインイベントで対戦することになりました。
入口で配られた投票用紙に記入し、投票。私は最初は天龍とも思いましたが2月21日同所と6月21日日本武道館で半年間に2回、シングルで対戦しており、谷津との対戦に1票入れました。
同じ考えの人が多かったようで結果は谷津が1,726票、天龍が1,584票、キマラが760票、Kカーンが421票となり谷津が1位となってメインイベントで長州との同門シングル対決を行うことになりました。
それにしてもこの日の主催者観客発表は7,900人でしたが、4選手の得票の合計が4,491票であり、後の3,409人は無投票だったのか、それとも観客が水増し発表だったのかは不明ですが、おそらく一定の無投票の人はいたにせよ、後者であった確率が高いです。
シリーズ第4戦8月5日大阪城ホール(観衆7,900人発表)大会。鶴田欠場は当日まで発表されていなかったにも関わらず、長州力vs鶴田という切り札的なカード投入でも前売チケットが伸びず満員にはなりませんでした。
1週前の7月28日の日曜日には新日本プロレスが2度目の大阪城ホール大会を開催し、猪木vsブルーザー・ブロディの運命の対決第2弾をメインに、藤波vsジミー・スヌーカ、ザ・コブラvsヒロ斉藤のNWA世界、WWFジュニア・ヘビー級ダブルタイトルマッチという手薄になった陣容ながらも現時点で出来る総力をあげたラインナップで13,740人超満員発表の観客を動員しました。
ジャパンの大会は月曜日ということもありましたが、ジャパンと全日本プロレスの連合軍で半年間に4回も大阪城ホールでの興行を開催しており、徐々に観客動員も落ちて来ていたのは仕方なしかと思われます。
メインイベントでは観客投票によって決められた長州と谷津嘉章のシングル対決。長州と谷津は新日本プロレスでは谷津の国内デビュー戦(81年6月24日、蔵前国技館&猪木組vsスタン・ハンセン&アブドーラ・ザ・ブッチャー組)は同じリング(長州はIWGPアジア・ゾーン予選で木村健吾を破る)に上がった後は谷津は次のシリーズには参加せずアメリカに戻り、11月の「第2回MSGタッグ・リーグ戦」には両者はタッグを組んでの参加。
82年3月6日大田区体育館での「第5回MSGシリーズ」創立10周年記念興行で両者の公式戦でのシングル対決が1度だけ実現。11分52秒に両者リングアウトで引き分けています。長州はこのシリーズ、体調不良でリーグ戦を途中棄権。シリーズ終了後のドバイ遠征でも不調は続き、自らの環境を変える為にメキシコヘ遠征に出て、10月に凱旋帰国。藤波に噛み付いて「革命戦士」として一躍スターダムへと踊り出ました。
一方の谷津は82年の「ブラディ・ファイト・シリーズ」まで出場していますが、フロリダのヒロ・マツダの元で再修行に出発。長州とはすれ違いになりました。谷津はフロリダからテキサスへと転戦し83年10月の「闘魂シリーズ」に凱旋帰国。長州率いる維新軍のメンバーとなり共闘。以後は反対側のコーナーに立つことはありませんでした。
試合は長州が圧倒、サソリ固めで痛めつけ、リキラリアットで谷津は場外に転落。上がって来たところをごぼう抜きのようなバックドロップ一閃、とどめはリング中央でのリキラリアット。16分、長州が谷津を体固めに決めてフォール勝ち。
試合後、長州はマイクを持つと「もう馬場、猪木の時代じゃないぞ、俺たちの時代だ!」とアピールしました。長州の「俺たちの時代」発言は日本プロレス史に残る名言となりました。週刊ゴングではこの発言を機に誌上で鶴田、藤波、長州、天龍の頭文字を使った「鶴藤長天」(かくとうちょうてん、格闘頂点との語呂合わせ)時代の到来と喧伝しています
また、この日のメインイベント、長州力vs谷津戦のメインイベント終了後、突如として8月1日両国国技館まで新日本プロレスのリングに上がっていたスーパー・ストロング・マシンがリングに上がり、長州に対戦表明をしています。
マシンは前84年8月24日新日本プロレスの「ブラディ・ファイト・シリーズ」開幕戦の後楽園ホール大会に、上半身にアメフトのプロテクターを着けてその上から白いTシャツを着用。スキー帽で顔をスッポリ被ったマスク姿で「謎のマスクマン」として、マネージャーのショーグン・KYワカマツと共にリングに現れ、猪木ヘ対戦表明。
8月31日南足柄市総合体育館大会に再び姿を現し「ストロング・マシン」を名乗りました。9月7日福岡スポーツセンターで猪木とのシングルマッチで「デビュー」を果たし、猪木の卍固めに捕らえられてもはや逃げ道なしと思われたところ、ワカマツが乱入してノーコンテスト。この日2人目のマシンが登場して「増殖」と話題を集めました。
ストロング・マシン1&2号は、9月13日山口県宇部市俵田翁記念体育館大会から試合に出場、中堅、若手とのタッグマッチで連勝を重ねましたが、シリーズ最終戦の9月20日、大阪府立体育会館を最後に長州以下維新軍を含む全13人が新日本プロレスを退団してジャパンプロレスの前身である新日本プロレス興行に移籍。マシンはジャパン勢とは1シリーズの半分以下も一緒になっていません。
10月の「闘魂シリーズ」からマシン軍団はシリーズフル参戦となり、選手層が大幅に薄くなった新日本のリングの主軸となり毎週のようにテレビマッチに出場。11月の「第5回MSGタッグ・リーグ戦」にもエントリー。
85年1月の「新春黄金シリーズ」からはマシン軍団は4人に増殖。しかし、マシン軍団は2号(力抜山)がノータッチ・トペ・スイシーダを初期に乱発したせいで膝を痛めて動きが鈍くなり、3号はヤス・フジイ、4号がヒロ佐々木と三流以下であり、猪木、藤波、木村健吾ら新日本のトップどころと対戦する時に試合を作らねばならないのは1号しかおらず、マシン軍団が増殖し、試合カードが上の方で組まれるにつれて1号のストレスは増すばかり。
ワカマツもフレッド・ブラッシーやグレート・マレンコとは違い、元々強かったレスラーが年を取ってマネージャーに転向した訳ではなく国際プロレスの最下位レスラー。イザという時に役に立つ訳ではありません。
そんなマシン1号の転機となったのが4月18日の両国国技館での藤波戦。マスクの中身はストロングスタイル嗜好の実力者。藤波と技と力で勝負したいとばかりワカマツの介入を拒否。
しかしマシン1号のピンチと見るや、ワカマツがエプロンに現れて藤波にパウダー攻撃。これを藤波がかわし、パウダーはマシン1号を直撃。すかさず藤波が久しぶりのドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)でマシン1号からフォール勝ち。試合後、マシン1号とワカマツは仲間割れとなりました。
次の「IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ」でマシン1号はワカマツと離れて行動していくことを宣言。5月13日、大分県立総合体育館から「スーパー・ストロング・マシン」に改名。ですが5月17日、熊本県立総合体育館大会のテレビ生中継で、藤波に「お前、平田だろ!」と正体暴きをされてしまいました。
マシンはこのシリーズ、アンドレ・ザ・ジャイアント、ボブ・バックランド、ペドロ・モラレスと言った世界の強豪とシングルマッチで対戦するまたとない機会に恵まれましたが、マシンを「裏切り者」としてアンドレのマネージャーについたワカマツに試合を壊されてばかりで藤波の「お前、平田だろ!」発言と合わせてマシンのストレスは強くなる一方…。
直近のシリーズ「バーニングスピリット・イン・サマー」ではワカマツが先シリーズ休みだったマシン2&3号を引き連れて裏切り者マシンに制裁を加えるというマッチメークが6月28日、品川プリンスホテル・アイスアリーナ、7月5日、富士急ハイランド大ホール、12日、後楽園ホールと毎週テレビマッチで組まれました。
7月19日札幌中島体育センターでマシンは待望の藤波のWWFインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦しますが、マシン軍団とワカマツの乱入により試合をぶち壊されてノーコンテストとなり涙を飲みました。
最終戦となった8月1日新日本プロレス2度目の開催となる両国国技館ではマシン3号とのシングルマッチが組まれ、僅か1分28秒、エビ固め(スクールボーイ)で丸め込んで勝利も、マシンが「これ以上、新日本プロレスにいても自分を活かす場所なし」と判断したのはやむを得ないと思います。もちろん、新日本プロレスと関係が悪化していたジャパンプロレスの会場に来場しリングに上がったということは新日本プロレスからの離脱を意味します。
ジャパンプロレス大阪城ホール大会セミファイナルではKカーンとキマラの大型同士のシングルマッチが組まれました。試合はスケールの大きなぶつかり合いとなりましたが、Kカーンのダイビング・ダブルニードロップをキマラがかわし、リング下から椅子を持ってKカーンを攻撃し9分37秒にKカーンの反則勝ち。
セミ前に組まれたのは天龍&石川敬士組vsジ・アラスカンズA&B組。第3戦の8月4日、大和市車体工業体育館でKカーン&アニマル浜口組と対戦しKカーンのダイビング・ダブルニードロップの前にAがあっさりフォール負けをし期待外れに終わったアラスカンズはこの日も5分42秒、石川のサソリ固めにAがギブアップ負け。「第2のロード・ウォリアーズ」とは程遠いチームでした。
小林邦昭の持つNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座に新倉史裕が挑戦した同門同士のタイトルマッチは11分54秒、小林がツームストン・パイルドライバーからのフィッシャーマン・スープレックスホールド(網打ち式原爆固め)で完勝。4度目の防衛を果たしています。
新倉は保永昇男に比べると力量は落ちました。これで小林は8月31日全日本プロレスの「決戦!ダイナマイト・ウォーズ」両国国技館で復帰するタイガーマスクの挑戦を受けることになりました。
第6戦は今シリーズ唯一の東京大会となる8月7日、後楽園ホール(観衆3,200人超満員発表)大会。私はこの興行は観に行きました。
メインイベントはジャパンのエース、長州が「ウガンダの大魔神」キマラと初の一騎討ち。長州とキマラはこのシリーズ第2戦の8月3日青森県営体育館でタッグで一度だけ対戦(長州&谷津嘉章組vsキマラ&キング・コブラ組、10分35秒、長州がKコブラをリキラリアットから体固め)。果たして長州は巨漢キマラを仕留めることが出来るか…。
試合はキマラのコーナーポスト最上段からのダイビング・ボディプレスを長州が自爆させると、リキラリアットから一気にサソリ固め。ステップオーバーに成功しましたが、そこへ青森でキマラと組んで長州に倒されたKコブラが乱入。
2人がかりで長州を攻撃するとキマラは長州を抱えてコーナーに逆さ吊りにして攻撃、6分17秒、長州の反則勝ちとなりました。最後は反則決着となりましたが真っ向勝負のぶつかり合いは見応えがありました。
セミファイナルではジャパン対全日本軍団抗Kカーン&浜口組と天龍&石川組の一戦。石川が相撲タックルで浜口を場外に落としましたが、石川も勢い余って場外転落、そのまま場外乱闘となり14分23秒、浜口と石川が両者リングアウトの引き分け。
セミ前に組まれたのは谷津&寺西勇組vsジ・アラスカンズA&B組の一戦。5分50秒、谷津がギロチンドロップ1発でAを破り谷津&寺西組の勝利。
ジャパン対全日本、NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者、小林邦昭と全日ジュニアの実力者、渕正伸との注目のシングルマッチ。「他所の団体の奴がウチのベルトを持って大きな顔しているのは気に入らない」とばかり、小林邦にターゲットを定めた渕は、前日の8月6日滋賀県大津市皇子が丘体育館での小林邦vsKコブラ戦に乱入。小林邦をイスで襲撃し、試合は7分56秒にノーコンテストとなっています。
試合は前日の経緯からかスタートから喧嘩ムードとなり小林邦が突っかかっていきました。しかし、体格で上回る渕がジワジワとペースを握りました。渕はセコンドのハル薗田を呼び込み、薗田と2人がかりで小林を攻撃、薗田も小林邦にマスクを脱がされた怨みがあり爆発、小林邦は袋叩きにされて13分57秒、小林邦の反則勝ちが宣告されています。小林邦と渕、薗田との間に新しい遺恨が生じるかと思いきや、前々日の8月5日大阪城ホールでのスーパー・ストロング・マシンに次いで新日本プロレスでジュニアのトップとして闘っていた前WWFジュニア・ヘビー級王者のヒロ斉藤がリングサイドに姿を現し小林を挑発。マシンと共に新日本プロレスを離脱することが濃厚となりました。
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