85年全日本プロレス「激烈!スーパー・パワー・ウォーズ」終盤戦、第21戦は4月21日埼玉県大宮スケートセンター(観衆3,300人満員発表)大会。
マイティ井上はタイガーマスク&若手川田利明を加えたトリオを結成しジャパンプロレスの小林邦昭&保永昇男&新倉史裕組と対戦、10分50秒、井上が新倉をジャーマン・スープレックスホールドでフォールしています。
メインイベントは馬場&鶴田組の師弟コンビがスタン・ハンセン&テッド・デビアス組と激突。2日前の4月19日、神戸ワールド記念ホールで鶴田&天龍組と両チームリングアウトのドローに終わってるだけにハンセン&デビアス組は師弟コンビを倒して一気に空位となったPWF世界タッグ王座を狙いたいところです。
現在はタイトルホルダーではないですが、インターナショナル・タッグ王座に通算9年3か月に亘って君臨してきた馬場&鶴田組はチームとしてのキャリアの差を見せつけ、9分35秒、ボディスラム狙いに来たデビアスを鶴田が首固めに丸め込んで馬場&鶴田組が貫禄勝ち。ハンセン&デビアス組は痛い1敗を喫しました。
セミファイナルは全日本対ジャパン軍団抗争、天龍源一郎&石川敬士組と長州力&アニマル浜口組の一戦。長州が石川をロープに飛ばしてリキラリアット狙い。しかし全日本側コーナーに近いロープだった為に、エプロンにいた天龍が石川の身体を押さえてこれを阻止。
怒った長州はエプロンの天龍に横殴りのリキラリアット、そのまま場外乱闘となり、13分56秒、両チームリングアウトの引き分けに終わっています。
セミ前は谷津嘉章&栗栖正伸組vsディック・スレーター&ロン・バス組。スレーターとバスはバスが初来日した77年2〜3月の「エキサイト・シリーズ」で一緒に参戦しています。試合は13分14秒、スレーターが栗栖をコーナーポスト最上段からのダイビング・エルボーバットから体固め。
第23戦、4月23日、神奈川県相模原市立総合体育館(テレビ収録、観衆5,500人超満員発表)大会。この日はジャパンプロレスへの売り興行でした。
井上は&川田とのタッグでvs小林邦&保永組との対戦で10分11秒、小林邦がフィッシャーマン・スープレックスホールド(網打ち式原爆固め)で川田を破っています。タイガーマスクは膝の負傷の為、欠場しています。
メインイベントではついにジャパンプロレスの総帥、長州がリック・フレアーの保持する「世界最高峰」NWA世界ヘビー級王座へ挑戦。こちらの試合は日テレジータスの「プロレスクラシック」でも放送されており、現在でも視聴は可能です。
長州の直線的な攻撃をのらりくらりと受け流すフレアー。ロープに飛んでのヒップトス(腰投げ)の応酬からもつれて両者場外へ。長州は鉄柱攻撃からリングへ生還しようとしましたが、フレアーが長州の足を引っ張って離さず、21分4秒、両者リングアウトの引き分けとなっています。長州の初挑戦はドローに終わり、ベルト移動はありませんでした。
セミファイナルはKカーン&谷津vsハンセン&デビアス組。12分34秒、ハンセンがウエスタン・ラリアットから谷津を片エビ固めでフォール。大物を相手に「勝たないけれども負けないレスラー」になっていた谷津はジャパンプロレス移籍後初のピンフォール負け。相手がハンセンなのでこれはやむ無しかと思われます。
セミ前には鶴田&天龍組の鶴龍コンビが登場、スレーター&ボブ・ブラウン組と対戦、11分36秒、鶴田がBブラウンをブレーンバスターから体固めに決めて盤石の勝利。メインでフレアーが長州と引き分けたことで、翌4月24日、横浜文化体育館では鶴田がフレアーのベルトに挑戦することになりました。
第24戦は4月24日神奈川県横浜文化体育館(テレビ収録、観衆4,400人発表)大会。私はこの興行は観に行っています。
井上はベテラン、Bブラウンとのシングルマッチで5分55秒、回転エビ固めで井上が勝利を収めています。
メインイベントでは鶴田がフレアーの保持するNWA世界ヘビー級王座に挑戦。鶴田の同王座挑戦は前84年5月22日、田園コロシアムでケリー・フォン・エリックに挑戦して1−1から両者リングアウトで引き分けて以来11か月ぶり。試合前に鶴田は前日、長州がフレアーに初挑戦して両者リングアウトに終わったことから「初挑戦と17回目の挑戦との差を見せつける」とコメントして物議をかもしました。
鶴田は海外修行時代の73年5月20日、ニューメキシコ州アルバカーキでドリー・ファンク・ジュニアの同王座に挑戦したのを皮切りに、ジャック・ブリスコ(3回)、テリー・ファンク(1回)、ハーリー・レイス(7回)、フレアー(3回)、ケリー(1回)と過去16回挑戦実績がありますが、「挑戦回数の多さは自慢にはならない、ベルトを奪うと言わなきゃ駄目だ」という批判が浴びせられました。
つまり「俺は長州とは違って世界戦の闘い方を熟知しているから勝てる」あるいはAWA世界ヘビー級王者になった実績がありますから、「俺は世界を知っている、長州は世界を知らない、俺の方が有利だ」と言いたかったんではないかと思います。
試合は鶴田がバックドロップを決めるもフォール成らず、ロープ際で放ったブレーンバスターで両者場外へ転落。鶴田はフレアーを鉄柱に打ち付けてリング内に入ろうとしましたが、フレアーは鶴田のトランクスを掴んで離さず26分1秒、両者リングアウトの引き分けに終わりました。フレアーは2試合連続両リンで防衛に成功しています。
セミファイナルは馬場&石川敬士組がハンセン&デビアス組と対戦、8分28秒、ハンセンがウエスタン・ラリアットから石川を体固めに決めてハンセン&デビアス組が完勝。
セミ前は前84年10月に失踪し、4月3日山形県体育館での石川vs長州戦に突如として姿を現し、長州を襲撃、4月19日の神戸ワールド記念ホールでも乱入して長州に宣戦布告をした阿修羅・原が実に半年ぶりの試合出場、天龍源一郎とのタッグで長州&アニマル浜口組と対戦するというカードが組まれました。
先に入場していた長州と浜口は2人がかりで原に襲いかかり殴る蹴るの集中攻撃。原はリング下から椅子を持ち出すと何とパートナーの天龍を椅子で一撃。マイクを持つと「おい!俺一人でやってやる」と天龍との共闘を拒否すると控室へ戻ってしまいました。
ゴング前だったので試合放棄にはならず、試合不成立、全日本側の控室からこの日第6試合に出場していた大熊元司が急遽呼ばれ、天龍のパートナーを務めることに。大熊は既にリングシューズを脱いでおり、裸足で闘うことになりました。
長州&浜口は大熊にツープラトンのハイジャック式パイルドライバー、長州がリキラリアットを決めて僅か1分27秒、大熊を体固めで降しジャパン軍の圧勝に終わっています。
原は控室でインタビューに答え「天龍はライバルの長州を俺に横取りされて面白くないんだろう、だけど乱闘を黙って見てるようなパートナーはいらない。俺は全てを敵に回す。一人で闘っていく」と宣言、全日本本隊から離れることを示唆しています。
リングには姿を現したものの、タッグパートナーである天龍源一郎に牙を向いて一人で闘うと宣言した阿修羅・原ですが、「ヒットマン」と名付けられました。
多少シチュエーションは異なりますが、これは前84年2月3日に新日本プロレスの札幌中島体育センターで起きた藤原喜明の雪の札幌長州襲撃事件が元ネタではないかと思われます。
藤原は「テロリスト」として商品価値が上がり、前座からメインイベンターにまで昇り詰め、UWFでトップになりましたが、長州襲撃で話題を集めたのは原も同じでした。後はそのチャンスをモノに出来るかは本人次第…。
シリーズ最終戦、4月25日千葉県木更津市倉形スポーツ会館(観衆3,100人発表)大会。言うまでもなく、82年1月15日、スタン・ハンセンが全日本プロレスに引き抜かれ、初(正式には再)参戦を果たした会場です。
井上&渕正伸(正信)組vs小林邦&新倉組は10分23秒、渕が新倉をバックドロップからの体固めで破り、井上&渕組に軍配が上がりました。
メインイベントでは全日本プロレストップ3が揃い踏み。馬場&鶴田&天龍組とハンセン&デビアス&Bブラウン組との対戦、8分6秒、天龍がBブラウンを延髄斬りからのエビ固めでフォールし全日本最強トリオが最終戦を飾っています。
セミファイナルはジャパン対国際血盟軍、長州&Kカーン&谷津嘉章組vsラッシャー木村&鶴見五郎&剛竜馬組の一戦、13分28秒、長州がリキラリアットからの体固めで剛からフォール勝ちを奪い、ジャパン軍も最終戦白星で終えました。
NWA世界ヘビー級王者、フレアーはセミ前に出場、ノースカロライナでは旧知の間柄であり、全日本でも82年6月の「エキサイト・シリーズ」終盤戦でタッグを組んだスレーターと組んで浜口&栗栖正伸組と対戦。
フレアーの初来日はこれより12年前の73年6月の国際プロレス「ビッグ・サマー・シリーズ」。この時に浜口と対戦しており、久々の対戦。新日本プロレス出身の栗栖とは初顔合わせとなりましたが、このクラスを相手だと余裕綽々のフレアーが12分5秒、足4の字固めで栗栖からギブアップを奪い、役者の違いを見せつけています。
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