84年全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」第16戦の12月9日兵庫県姫路市厚生会館(観衆3,600人発表)大会から前日の愛知県体育館で試合に乱入した剛竜馬が出場、ラッシャー木村とのタッグでグレート小鹿&渕正伸(正信)組と対戦(30分1本勝負)し、15分、R木村がラッシング・ラリアットから渕を体固めで破りました。
R木村の馬場への反逆、ヒールターンは自分を頼って一緒にUWFを退団した剛に仕事にあぶれないように配慮したモノかと思われます。
マイティ井上にとってはストロング小林同様「国際に後ろ足で砂をかけて出ていった」不快な存在である剛が全日本プロレスに後から来たのは面白くない一面はあるでしょうが、これで国際プロレス勢はUWFに残ったマッハ隼人と新日本プロレスでストロング・マシン軍団のマネージャーとして売れだしていたショーグン・KYワカマツこと若松市政以外は全日本プロレスのリングに上がることになった訳です。
この日井上は、タイガーマスク要員としてメキシコEMLLから参戦したツタンカーメンをモチーフとしたマスクマン、エル・エヒプシオとシングルマッチで対戦、9分34秒、サマーソルト・ドロップからの片エビ固めで快勝しました。
シリーズ最終戦は12月12日神奈川横浜文化体育館(テレビ収録、観衆6,100人超満員札止め発表)大会。蔵前国技館がこの年の大相撲秋場所を最後に老朽化により閉館、翌85年初場所より両国の新国技館で開催されることになり使用出来ず、横浜文体に最終戦を持っていましたが流石に超満員札止めとなり、ギッシリと客席が埋まりました。私は会場で生観戦しています。
井上はセミ前に出場しタイガーマスクとのタッグでピラタ・モルガン&エヒプシオ組と対戦、12分13秒、タイガーマスクがエヒプシオをジャーマン・スープレックスホールドで撃破。
井上は新日本プロレスで言えば初代タイガーマスクのパートナー、星野勘太郎的ポジションと言えました。
セミとメインは公式戦、まずセミファイナルでは9点同士のドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスとハーリー・レイス&ニック・ボックウィンクル組の豪華対決。
公式戦は77年の「世界オープン・タッグ選手権」から前83年まで6年連続45分1本勝負でしたが、この年から30分1本勝負に変更され、あっという間に時間切れ引き分けに終わり、ファンクス、レイス&ニック組共に10点で公式戦を終了し、メインイベントの結果待ち。
メインイベントは前年度優勝チームで10点のスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ組と9点の鶴田&天龍源一郎組。前年度と同じカードが最終公式戦でした。
鶴龍コンビはブロディへダブル延髄蹴りから鶴田が卍固め。そこへハンセンが入り鶴田めがけウェスタン・ラリアット!天龍が救援に入り鶴田の頭を下げた為、ハンセンのラリアットは天龍を直撃、天龍はダウン。超獣コンビは2人がかりで試合権利の鶴田を攻撃し、ツープラトンのハイジャック式パイルドライバー狙い、制止に入ったレフェリーのジョー樋口をハンセンが殴り18分47秒、超獣コンビの反則負け。
鶴田&天龍組が初優勝を果たしています。鶴田&天龍組はこの年の9月3日広島県立体育館でブロディ&クラッシャー・ブラックウェル組を王座決定戦で破り、馬場が返上したインターナショナル・タッグ王座を獲得、最強タッグ優勝と併せてタッグ二冠に輝きました。
タイガーマスク&井上組の試合の前にはR木村がタイガー・ジェット・シンと合体、鶴見五郎を混じえたトリオで馬場&佐藤昭雄&マジック・ドラゴン組と対戦、シンも最強タッグのパートナーだったマイク・ショーと「動きが鈍い」などとこき下ろし、同士討ちを繰り返した揚句、仲間割れしリーグ戦を途中棄権していました。
8分3秒にR木村がMドラゴンをブルドッキング・ヘッドロックからの体固めでフォールし、シン&R木村&鶴見組が勝利を飾っています。
R木村、鶴見、剛のユニットは「国際血盟軍」を名乗ることになり新たに菅原伸義(アポロ)が加入。これで全日本プロレスは井上、メキシコ遠征中のウルトラセブン、冬木弘道の本隊、アニマル浜口、寺西勇のジャパンプロレス軍団と元国際勢が3派に分かれて抗争を展開することになりました。
また、長州力&浜口&谷津嘉章組のジャパンプロレス勢がついに全日本プロレスのリングに登場、石川敬士&小鹿&大熊元司組と対戦。新日本プロレスのリングで見慣れていた長州でしたが全日本プロレス勢と相対すると意外なほど小さく感じました。
長州&浜口と小鹿&大熊は79年8月26日日本武道館での「プロレス夢のオールスター戦」で対戦していました。試合は12分11秒、長州がリキラリアットからの体固めで大熊を破り、ジャパン勢に軍配が上がっています。
小林邦昭と寺西勇も出場し国際血盟軍の剛&菅原組と対戦、剛は79年9月デビューの菅原、80年5月デビューの冬木とは入れ違い、10分56秒、小林が菅原をフィッシャーマンズ・スープレックスホールド(網打ち式原爆固め)でフォール。この日はジャパン勢が2戦2勝。
横浜文化体育館はさながらオールスター戦のような豪華さで蔵前国技館が使えないなら日本武道館でも満員に出来る編成。ジャパンプロレスの参戦が割と急に決まった感があり、日本武道館を押さえることが出来なかったと思いますが翌85年からは「世界最強タッグ決定リーグ戦」の最終戦は日本武道館に移ることになります。
翌12月13日は後楽園ホールでジャパンプロレスの「創立1周年記念大会」が開催されました。創立1周年というのは代表の大塚直樹が新日本プロレスを退職してジャパンの前身である新日本プロレス興行を設立して1周年という意味です。
井上はセミファイナルで渕正伸(正信)と組んで浜口&谷津組と対戦。かつての和製ハイフライヤーズ、ナニワブラザーズとしてアジア・タッグ王座、IWA世界タッグ王座を保持した元盟友の浜口と反対側のコーナーで再会しました。
浜口は国際プロレスが崩壊する前の最後の3シリーズ、肝炎に罹り欠場していますからリング上で顔を合わせるのは3年9か月ぶり。
井上が巧みなグラウンドでの足攻めで谷津の動きを封じ込めデスロック、下になりながら井上の顔面を張る谷津に張り手で殴り勝つ好ファイト。渕もジャパン軍のハイスパートに誘発されたか激しい攻撃を見せ谷津に延髄斬り、コーナーポスト最上段からのミサイルキック、場外に落としてイス攻撃。
さらに場外での渕が谷津をドリルアホール・パイルドライバーの体勢に捉えると井上がエプロンから谷津の両足を抱えて2人がかりのハイジャック式パイルドライバー、普段全日本プロレスのリングでは見せない攻撃です。
試合は11分28秒、浜口が渕を谷津とのダブル・ネックブリーカードロップからブロックバスター(サモアン・スープレックス)で体固めに降し勝利。試合後にマイクを持った浜口は「井上ーっ!いつでもどこでも1対1でやってやるぞーっ!」とアピール。
浜口にとっては離れていた間、全日本プロレスの中堅としてくすぶっていたかつての先輩の魂に火を付ける為のマイクだったように思います。
ログインしてコメントを確認・投稿する