第332戦、3月19日発売号●【予想】死闘から50年、昭和巌流島の決闘、NWF世界ヘビー級選手権試合、猪木vsストロング小林(74年新日本プロレス蔵前国技館)【正解】NWF王座史上最悪のグダグダ結末に至った経緯、NWF世界ヘビー級選手権試合、猪木vsアーニー・ラッド(74年3月21日現地時間、オハイオ州クリーブランド・スポーツアリーナ)
※参考2019年3月20日発売号は●【予想】アンドレ・ザ・ジャイアント&ダスティ・ローデス&ミル・マスカラス、夢の豪華トリオが実現vsケン・パテラ&プロフェッサー・タナカ&ミスター・フジ組(78年ニューヨークMSG)【正解】シンがNWF王座初防衛に成功、ベルトはカナダへ流出、NWF世界ヘビー級選手権試合、タイガー・ジェット・シンvs猪木(75年新日本プロレス蔵前国技館)この時点での対戦成績は77戦17勝60敗、勝率221。2013年3月20日発売号は初の“鶴龍コンビ”結成で、待望のテレビ初登場!鶴田&天龍源一郎組vsザ・マフィア1&2号(77年ノースカロライナ州グリーンズボロ・コロシアム)
【予想解説】2024年の3月20日水曜日は春分の日にあたり、週プロ発売日は1日前倒しの19日となりました。
予想は2014年3月19日発売号「第1回プロレス大賞・年間ベストバウト」がもたらした明暗」で一度採り上げられており既出ネタにはなりますが、3月19日といえば日本中のプロレスファンが熱狂した猪木vsストロング小林の「昭和巌流島の決闘」以来満50年、閏年であり3月以降は週回りも全く同じ火曜日にあたる為、本件を予想しました。
国際プロレスのエースでありIWA世界ヘビー級王者だったS小林は、2月13日西早稲田の喫茶店「ルナ」で記者会見を行い国際プロレスからの離脱を表明してフリー宣言、全日本プロレスの馬場と新日本プロレスの猪木に挑戦状を叩きつけ、馬場はこれを黙殺しましたが猪木はこれを受けて立ち、3月19日蔵前国技館での対戦を発表。
しかし国際プロレスの吉原功社長は「S小林とは契約がありウチの所属だ。他団体のリングに上がると言うなら違約金が必要である」と主張、そこで猪木vsS小林戦の大会の主催者であった東京スポーツ新聞社、井上博社長の英断により移籍金1,000万円を吉原社長に支払い和解、晴れてS小林は東スポ所属レスラーとして猪木戦に臨むことになりました。
当日は16,500人超満員発表という立錐の余地もない観客が世紀の一戦を観ようと詰めかけました。
レフェリーは清美川、試合は90分1本勝負で行われ、前半はグラウンドの攻防となりましたが猪木のコブラツイストがもつれて両者場外に転落。場外でS小林が猪木の頭部を鉄柱に打ち付け、猪木は額から流血。
血染めの猪木をS小林が怪力のカナディアン・バックブリーカーで担ぎ上げると猪木はコーナーを蹴ってリバース・スープレックスで切り返す。猪木はバックドロップを放ってからジャーマン・スープレックスホールド、これは猪木がグリップしていたS小林の腰の位置が高く、投げ切った時にS小林の125kgの全体重が猪木の首に乗ってしまい、猪木の両足がマットから浮いてしまうという、まさにレスラー生命を賭けたジャーマンになりましたが29分30秒、カウント3が入り、猪木がNWF世界ヘビー級王座初防衛に成功しています。
この一戦を機に新日本プロレスは旗揚げ3年目にして大躍進、翌日は普段プロレスを扱わない報知新聞、スポーツニッポン、日刊スポーツ(当時)、サンケイスポーツ等の朝刊スポーツ紙が1面で大きく報道。
71年12月の猪木日本プロレス除名・追放処分事件から始まった団体分裂騒動で観客動員が落ち込んでいた日本プロレス界が「冬の時代」からようやく脱皮する大きなきっかけとなった試合でした。
【正解解説】予想より2日後の出来事が正解でした(日本時間は3月22日であり実質3日後)。猪木はS小林との激闘を終えると直ちにアメリカに飛び、NWFの拠点であるオハイオ州クリーブランドに遠征し、「黒い毒蜘蛛」ラッドの挑戦を受けてNWFヘビー級王座2度目の防衛戦を行っています。
オーナーレスラーだったジョニー・パワーズは経営不振から前73年、NWFをクローズすることを決意、同年12月10日東京体育館で猪木の挑戦を受けて敗れ、ベルトを明け渡しますが、後に10,000ドル(当時の邦貨約360万円)で新日本プロレスにベルトを売却したとの話が出てきました。
NWFヘビー級王座を失ったパワーズは74年1月31日のクリーブランドの興行でラッドと対戦、そこへオックス・ベーカーが乱入してパワーズに加担したことで観客が暴動を起こし、団体として信用を大きく失墜してしまいました。ラッドをベビーフェイスにして盛り上げていこうという狙いでしたがものの見事に失敗しています。
その状況で迎えた猪木とラッドのNWF世界ヘビー級選手権試合は60分3本勝負で行われました。日本からNET(テレビ朝日)の中継クルーが入り、現地実況録画中継をしています。1本目は15分15秒、ラッドのタックルで両者リング中央で共倒れとなり、両者カウントアウトで1-1。
2本目、5分17秒、ラッドがスパイダーキック(ビッグブート、馬場の16文キックと同じ)から体固め。2−1で勝ったラッドは本部席からベルトを持ち出すと一目散に控室へ戻りました。
しかし猪木は「2フォール負けではないので王座移動はない」と主張、レフェリーはこれを認め控室に帰っていたラッドに試合続行を命じ、カウントを開始。
仕方なくリングに戻ってきたラッド、3本目のゴングが鳴り、8分16秒、猪木がコーナーポスト最上段からのフライング・ニードロップから体固めでフォール勝ちし1−1の引き分けで2度目のタイトル防衛となりましたが、謎の多い試合でした。
猪木からすれば、NWFのベルトを譲渡してもらった手前、ベビーフェイスであるラッドの顔を立ててくれ、と言われ仕方なくこのようなアングルを飲まざるを得なかったと思われますが、観客席からはモノが投げ込まれ観客のフラストレーションがかえって高まりました。この興行が事実上、NWFのラスト興行となった訳です。
パワーズはクリーブランドのマーケットからは撤退、75年にはNWFの元メンバーらと新団体米国版IWAに参加、新日本プロレスに年1回位来日しており、並行して77年位までノースカロライナで規模を大幅に縮小してNWFを存続させていました。
※対戦成績は332戦56勝276敗、勝率169。
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