mixiユーザー(id:21258650)

2025年01月13日08:31

338 view

週プロ流智美あの日あの時予想2024年総括(7)

第328戦、2月21日発売号●【予想】馬場、「怪奇派」転向の黒い魔神と一騎討ち。馬場vsボボ・ブラジル(75年全日本プロレス後楽園ホール)【正解】20年も続いた最古の老舗団体が世紀の大分裂&消滅!日本プロレス選手会記者会見(73年2月23日日本プロレス後楽園ホール)

※参考 2018年2月21日発売号は●【予想】日本初のプロレス国際試合3日目で初のタイトルマッチ、世界タッグ選手権試合、ベン&マイク・シャープ兄弟vs力道山&木村政彦組(54年日本プロレス蔵前国技館)【正解】「出し惜しみなし」の3大決戦に大阪城ホールが初の満員!長州力vs天龍源一郎、キラー・カーンvs馬場、谷津嘉章vs鶴田(85年ジャパンプロレス大阪城ホール)この時点での対戦成績は24戦8勝16敗、勝率333。

【予想解説】「黒い魔神」ブラジルは力道山時代の1957年8月に初来日、当時33歳と体力的にもピークにあり、8月14日東京体育館で行われた力道山とのシングルマッチでは双方流血の大激闘、最後はブラジルが試合放棄で敗れましたが、力道山はブラジルのタフネスさに手を焼き、存命中に2度とブラジルを呼ぼうとはしませんでした。

2度目の来日は実にその11年後である68年。6月25日、愛知県体育館で馬場のインターナショナル王座に挑戦、1本目、馬場に場外でのコブラツイストを出して1−1の両者リングアウトに持ち込み、2本目に得意のココバットで馬場からフォール勝ちし、当時日の出の勢いにあった馬場を2−1で破り、王座を奪ってしまいました。

馬場は2日後の6月27日蔵前国技館でブラジルにリターンマッチを挑み、1本目はブラジルのココバットで取られましたが2本目32文ロケット砲、ドロップキックでフォール勝ち。決勝の3本目、馬場の32文でブラジルがロープに首を絡めて身動きが取れなくなりカウントアウト負けとなり馬場がタイトル奪還に成功。2−1で馬場が王座奪回しています。

馬場とブラジルは馬場がアメリカ武者修行時代にブラジルが何かと馬場に気をかけて面倒を見て、馬場との間には強い友情が生まれ、日本ではインターナショナル王座を巡って激闘を展開したライバルでした。

72年12月、馬場退団後の日本プロレス「インターナショナル選手権シリーズ」に来日、12月1日横浜文化体育館で馬場が返上していったインターナショナル王座決定戦を大木金太郎と争い、2−1で勝利、2度目の同王座戴冠を果たしますが3日後の12月4日広島県立体育館での大木のリターンマッチに敗れベルトを明け渡しました。

全日本プロレスを旗揚げした馬場は、早速ブラジルに声をかけ、日本プロレス参戦からわずか2か月というスピードでブラジルは全日本プロレスへ。

翌73年2月27日日大講堂での力道山ゆかりのインターナショナル王座のベルトを復活させた「世界ヘビー級王座争奪戦」十番勝負の最終戦の相手として迎え入れ、2−1で馬場が勝ち、10戦8勝2分の成績で3月16日の「第1回チャンピオン・カーニバル」前夜祭で、ハワイのホノルルを本部に結成されたPWF(パシフィック・レスリング・フェデレーション、太平洋沿岸レスリング同盟、ロード・ブレアース会長)の認定する初代世界ヘビー級王者に認定されました。(74年1月に「世界」の2字は削除)

同年8月「ワールド・チャンピオン・シリーズ」にブラジルは実弟のハンク・ジェームスを連れて全日本プロレスに再来日しますが、前NWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイス、元同王者のドリー・ファンク・ジュニア、パット・オコーナーが同時来日しており、タイトル挑戦の機会には恵まれず。

74年は一度も来日がなく、75年2月の「エキサイト・シリーズ」に1年半ぶりの来日を果たしたブラジルは開幕戦の2月21日後楽園ホールで馬場とノンタイトルのシングルマッチ60分3本勝負で対戦。

これまでオールバックにしていた髪の毛を前に垂らして水を頭から被り、観客席を徘徊しながらの入場、さらに贈呈された花束の菊の花をムシャムシャ食べてしまうという「怪奇派」に変身してファンをビックリさせました。

試合は1本目は9分53秒、2本目は4分15秒、共にブラジルのセコンド、ルーファス・ジョーンズが乱入して2本共に馬場の反則勝ちに終わっています。

ザ・デストロイヤーの著者「マスクを脱いだデストロイヤー」(ベースボールマガジン社2005年発行)によると、当時50歳を過ぎて正統派では売れなくなってきたブラジルが相談をしてきてヒールターンをデストロイヤーが勧めた、とありますが真偽の程は定かではありません。

【正解解説】猪木、馬場が相次いで抜けて窮地に陥った日本プロレスと旗揚げ以来ノーテレビで苦しい闘いを強いられた猪木の新日本プロレス。72年の暮れ、「ワールドプロレスリング」の視聴率低下を受けてNET(テレビ朝日)の三浦甲子二専務は日本プロレスの坂口征二と猪木に「俺が面倒見るからもう、お前たち、一緒にやれ!」と、日本プロレスと新日本プロレスの合併案を持ちかけ、猪木と坂口は銀座のステーキ、すき焼きの「らん月」で会談。三浦専務は芳の里日本プロレス社長にも、新日本プロレスと合併するように説得。

これにより2月8日、新宿・京王プラザホテルで猪木と坂口が出席して記者会見を行い、猪木の新日本プロレスを発展的解消とし、猪木を社長、坂口を副社長とする「新・日本プロレス」の発足を発表、芳の里社長は勇退ということになりました。

しかし、2月16日「ダイナミック・ビック・シリーズ」開幕戦の後楽園ホールで、シリーズオフに韓国に帰っていた大木金が「合併の話は聞かされていなかった。育ててくれた日プロを売るような真似は出来ない」とこれに反対、1年ちょっと前に日本プロレスを除名・追放処分となった猪木と一緒にやるのは抵抗がある人間も日本プロレス内には多く、大木の反対により「新・日本プロレス」計画は頓挫しました。

そのような状況下で行われた2月22日大阪府立体育会館でのインターナショナル・タッグ選手権試合、坂口&大木組vsジョニー・バレンタイン&キラー・カール・クラップ組の一戦はチームワークが上手くいくはずもなく、2−1で敗れ、坂口&大木組は王座転落しています。

本稿ではその翌日の2月23日後楽園ホール大会を報じた「東京スポーツ」を題材にして書かれており、「坂口、大木の話し合い決裂」として坂口、小沢正志(キラー・カーン)、木村聖裔(たかし、健吾、健悟)、大城勤(大五郎)の坂口派4人(レフェリーの田中米太郎も合流)は猪木の新日本プロレスに合流、残った大木派9人、大木、上田馬之助、高千穂明久、グレート小鹿、松岡巌鉄、ミツ・ヒライ、桜田一男(ケンドー・ナガサキ)、羽田光男(ロッキー)、伊藤正男の9人は日本プロレスに残留することになりました。

この時点で大木は「NETには放送を継続してもらうつもり、シリーズが終わったら具体的な行動に移す」と語っていますがNETは「坂口のいない日本プロレスには興味ありません。来週には日本プロレスに対し、3月一杯での放送終了、4月からは猪木、坂口の会社の方を放送します」と日本プロレスに見切りをつけてしまいました。

こうして日本プロレスは下り坂を転げ落ちるように崩壊への道を辿っていくことになる訳です。

※対戦成績は328戦56勝272敗、勝率171。
6 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2025年01月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031