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2025年01月12日08:45

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週プロ流智美あの日あの時予想2024年総括(6)

第327戦、2月14日発売号●【予想】鶴田、ニックのAWA世界ヘビー級王座に初挑戦、AWA世界ヘビー級選手権試合、ニック・ボックウィンクルvs鶴田(79年ハワイ・ホノルル・ニール・ブレイズデルセンター)【正解】全く未来予想図になかったプロレスのメッカ・後楽園、ザ・グレート・カブキvsジム・デュラン(83年2月11日全日本プロレス後楽園ホール)

※参考 2018年2月14日発売号は○【予想】今回予想に同じ【正解】ハワイのプロレスの生存が懸けられた真冬の大勝負!(今回予想に同じ)この時点での対戦成績は23戦8勝15敗、勝率348。

【予想解説】「あの日あの時」も連載開始から12年が過ぎ、曜日回り3巡目になると、流石に既出ネタが増えて来るのは仕方ないと思います。既出狙いはやりたくないのですが、実際には既出も予想していかないと当てるのは難しくなって来ています。

前78年12月の世界最強タッグ決定リーグ戦にAWA世界ヘビー級王者、ニック・ボックウィンクルが王者として初めて全日本プロレスのリングに参戦。

ニックはブラックジャック・ランザをパートナーにエントリーしましたがリーグ戦自体は馬場&鶴田組、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスに負け、アブドーラ・ザ・ブッチャー&キラー・トーア・カマタ組とは両チームリングアウト、ビル・ロビンソン&ワイルド・アンガス組と大木金太郎&キム・ドク組に勝ちの4点と不振に終わりました。

12月13日、秋田県立体育館でニックと鶴田が夢のシングルマッチで初対戦し30分時間切れ引き分け。

この時の試合を評価され、鶴田は翌79年2月14日、ハワイ・ホノルル・ニール・ブレイズデル・センターでニックのAWA世界ヘビー級王座に初挑戦しています。

ハワイは力道山がプロレス修行をした場所として知られ、力道山のプロレスの師匠・沖識名もハワイ出身。アル・カラシックが長いことプロモーターを務めており、ニール・ブレイズデル・センターの前身であるHIC(ホノルル・インターナショナル・シアター)で定期戦が組まれていました。

日本プロレスとも親密関係にありカーチス(キング)・イヤウケアを招聘。日本プロレスに来日した外国人レスラーが本土に帰る途中にハワイで試合を行っていました。

カラシックの後を受けてプロモーターとなったのはエド・フランシス(74年6月、国際プロレスに来日、息子のビリー・フランシスは75年5月、79年3月に全日本プロレスに来日)で、PWF会長であるロード・ブレアースはフランシスの元で補佐として仕事をしていました。(ブレアース自体は他にプロサーファーでもあり、サーフィンショップを経営したり、ビーチで貸しボートや貸し浮き輪をレンタルしたり他に仕事を持っていたので、プロレスのプロモーターは主業ではなかった)で、70年代終わり位まではフランシス、ブレアース体制が続いていました。

試合は60分3本勝負、1本目は31分28秒、ニックが足4の字固めで先制。2本目は17分52秒、鶴田がコブラツイストで返し、決勝の3本目は7分32秒、鶴田の反則勝ち。2−1で鶴田が勝ちましたが、ルールによりベルトの移動はなし。

その後鶴田は80年6月22日、ミネソタ州ミネアポリス(反則勝ち)、82年2月4日、東京体育館(両者リングアウト)、83年7月13日、北海道・千歳市スポーツセンター(反則勝ち)とニックのAWA世界ヘビー級王座に挑戦してはルールの壁に阻まれベルトは手に出来ませんでしたが、84年2月23日、蔵前国技館で、自ら保持するインターナショナル・ヘビー級王座を賭けてダブル・タイトルマッチで対戦。32分、バックドロップホールドでフォール勝ちしAWA世界ヘビー級王座を獲得することになる訳です。

セミファイナルでは馬場がカール・フォン・スタイガーに7分32秒、16文キックからの体固めで勝利を収めました。

ハワイのプロレス人気もこの頃は既に下り坂にありフランシスはプロモーションをクローズ。80年代に入ってカラはピーター・メイビア(ザ・ロックことドウェイン・ジョンソンの祖父、82年に肝臓癌の為45歳で死去)がハワイで興行を再開。

メイビア他界後はリア・メイビア未亡人がプロモーター活動を引き継ぎ、78、79年とメイビアが新日本に来日した時に親交を深めた坂口副社長がメイビア未亡人に協力、85年8月のホノルル・アロハスタジアムでのビッグマッチを始め、新日本プロレスとの繋がりが強くなっています。

【正解解説】流さんが好きなフレーズとして「無気力試合」の他に「未来予想図」があります。多分ドリカム直撃世代なのでしょう。

83年「エキサイト・シリーズ」は2月11日後楽園ホールで開幕。馬場は同日(日本時間12日)ミズーリ州セントルイス・チェッカードームで、前82年10月26日帯広市総合体育館でハーリー・レイスに奪われたPWFヘビー級王座に挑む為に渡米(13分4秒、ランニング・ネックブリーカードロップからの体固めでフォール勝ちに王座奪還に成功)、その後もアメリカに残った為、最終戦の3月3日後楽園ホールのみ出場、全日本プロレス旗揚げ以来初の「馬場抜きシリーズ」となっています。

シリーズの主役となったのは凱旋帰国の「東洋の神秘」ザ・グレート・カブキ。81年1月、「高千穂明久はミズーリ川に身を投げて死んだ」とペイントレスラー・カブキに変身、テキサス州ダラスのフリッツ・フォン・エリックのテリトリーでトップヒールとして活躍。

「カブキ」はマネージャーを務めていたゲーリー・ハートのアイデアで、高千穂のカブキは2代目。初代カブキはフィリピン系のレイ・ウルバノでしたが、両眼の下に隈取を施した程度の大人しいペイントでした。

しかし高千穂のカブキは気合の入れ方が違いました。顔一面に施した不気味なペイント、試合中に吹き出す毒霧(グリーンミスト)で全米で大きな話題を集め、その試合ぶりは「ゴング」、「月刊プロレス」など専門誌で報じられ、ファンの間でも「カブキ待望論」が起きていました。 

日本人レスラーが凱旋帰国する時、海外でのギミックそのままでシリーズに出ることは極めて稀でした。

カブキに変身しての第1戦はジム・デュランとのシングルマッチ45分1本勝負で入場時から場内暗転「ヤンキーステーション」のテーマ曲で入場、忍者コスチュームでヌンチャク廻しを披露し、忍者マスクを外すと黒を基調としたペイント。館内からは大歓声。試合はトラースキックからカブキがロープづたいに歩いて、倒れているデュランに正拳突き、5分58秒、片エビ固めでフォール勝ちしています。

※対戦成績は327戦56勝271敗、勝率171。
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