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2024年09月23日11:02

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ストロング小林さん追悼最終章(811)

81年全日本プロレス「創立10周年記念ジャイアント・シリーズ」第22戦、10月27日北海道・小樽市総合体育館(テレビ収録、観衆4,800人満員発表)大会。

メインイベントは鶴田のUNヘビー級王座に「ロシアの流血怪人」アレックス・スミルノフが挑戦(60分3本勝負)。スミルノフは崩壊した元国際プロレスのレギュラー参戦外国人レスラーの中ではジプシー・ジョー、オックス・ベーカー、キラー・カール・クラップよりポジションは上で79年7月にはラッシャー木村を破りIWA世界ヘビー級王座に就いています。

新日本プロレスとの獲得競争に勝ってスミルノフを獲得した全日本プロレスだけにこの一戦は注目されました。1本目は試合開始のゴングと同時にスミルノフが奇襲攻撃をかけて、鶴田を場外に落として鉄柱に打ち付け、上がって来たところをロープ越しのブレーンバスターからギロチンドロップを決めて僅か45秒で片エビ固めで先制。

しかし、じっくり構えられたら鶴田の方が体力で上回り、2本目はニーアタックに来たスミルノフの蹴り足を捕らえた鶴田がスクールボーイ(エビ固め)で丸め込んでカウント3。決勝の3本目はスミルノフのギロチンドロップをかわした鶴田がロープに飛んでのジャンピング・ニーパット、これが後頭部にヒットし鶴田がエビ固めでフォール勝ち。終わってみれば鶴田の完勝。2−1で6度目の防衛に成功しました。  

「国際プロレスのエース外国人だって全日本プロレスに来ればこんなもの」という馬場のマッチメイクが見て取れる結果でした。

セミファイナルはテリー・ファンク&天龍組vsブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組のタッグマッチ45分1本勝負で、ブロディがキングコング・ニードロップから天龍を体固めで降しました。

第26戦は11月1日後楽園ホール(テレビ収録、観衆2,800人満員発表)大会。メインイベントはブロディのインターナショナル・ヘビー級王座に前王者ドリーが挑んだ60分1本勝負。私はこの興行は会場で生観戦しています。

試合は両者大流血の喧嘩マッチとなり、ブロディの場外でのドリルアホール・パイルドライバーをドリーがリバース・スープレックスで切り返し、そこへブロディのセコンドにいたバック・ロブレイがドリーに手を出してブロディの反則負け。PWFルール適用でベルト移動、ドリーが第12代王者に返り咲きを果たしています。ブロディは24日という短命王者となりました。

セミファイナルは鶴田&天龍組とタイガー・ジェット・シン&上田馬之助組のタッグマッチ60分1本勝負でシンが80年6〜7月の新日本プロレス「サマー・ファイト・シリーズ」以来封印していたコブラシザース(首4の字固め)で天龍をギブアップさせています。

セミ前はアジア・タッグ選手権試合で王者チーム石川隆士&佐藤昭雄組に元国際プロレスの最後のIWA世界タッグ王者チームである阿修羅・原&マイティ井上組が挑戦した60分3本勝負。

1本目は石川と井上が回転エビ固めの掛け合いになり、最後は上になった井上がエビ固めで石川から先制のフォール勝ち、2本目は石川が原を回転エビ固め、決勝の3本目は両チームリングアウトの引き分けとなり1−1で石川&佐藤組が2度目のタイトル防衛を果たしました。この試合は好試合でした。

第28戦、11月4日松本市県営体育館(テレビ収録、観衆3,000人発表)大会。メインイベントは鶴田とシンが初シングルマッチ60分1本勝負で対戦。シンは鶴田をコーナーに逆さ吊りにしてトーキックの連発、これを見かねた馬場が助けに入りましたが、すかさず上田がシンのサーベルを持って入ってきました。

鶴田は起き上がると上田の持っていたサーベルを奪って攻撃、鶴田の反則負けが取られました。 

セミファイナルでは共に次期「世界最強タッグ決定リーグ戦」にエントリーが決定したドリー&テリーのザ・ファンクスvsブロディ&スヌーカ組がタッグマッチ60分1本勝負で初対決、両チームリングアウトに終わっていますが、よもや1か月後、同じ組み合わせの試合で日本プロレス史上に残る大事件が起きるとはこの時は想像もつきませんでした。

シリーズ最終戦は11月5日市原市臨海体育館(観衆3,200人満員発表)大会。メインイベントは馬場&鶴田&原組vsブロディ&スヌーカ&ロブレイ組の6人タッグマッチで1本目は日本組の反則勝ち、2本目は鶴田がロブレイをジャンピング・ニーパットからの体固めで破り、2−0で馬場&鶴田&原組がストレート勝ちを収めました。

なお、この日大木金太郎がマスクドXを破っていますが、これが大木の日本でのラストマッチとなっています。

74年に猪木との一騎討ちで新日本プロレスのリングを湧きに沸かせたストロング小林と大木がほぼ同時期に日本マット界から姿を消した訳です。

新日本プロレスとの興行戦争ですが、後楽園ホールは全日本プロレスが10月2日と11月1日の2回開催で、新日本プロレスは10月9日の1回のみ。

全日本プロレスは10月2日が2,600人で11月1日はインターナショナル・ヘビー級とアジア・タッグの2大タイトルマッチで2,800人といずれも満員発表。新日本プロレスは全日本プロレスの蔵前国技館と重なったのが不運で2,000人、満員発表はしていたものの実際は厳しかったでしょう。後楽園ホールは全日本プロレスの勝利。

蔵前国技館については既に書きましたので割愛致します。翌週も大分でニアミスがあり、全日本プロレスが10月15日大分県立荷揚町体育館大会、鶴田vsスヌーカのUNヘビー級選手権試合をメインに4,200人満員発表。翌10月16日は新日本プロレスが大分県立総合体育館で藤波辰巳vsスティーブ・トラビスのWWFジュニア・ヘビー級選手権試合を開催し、5,500人超満員発表。地元の藤波のタイトル戦を組んで新日本プロレスに軍配が上がりました。

実際は局地戦で負けても4週間スパンで蔵前国技館で2回興行を開催し、2回とも13,000人発表の大観衆を集めた新日本プロレスの圧勝に終わりました。
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