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2024年07月25日21:29

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ストロング小林さん追悼最終章(758)

81年新日本プロレス「サマー・ファイト・シリーズ」の振り返りです。

シリーズを通して初の新日本プロレス参戦となったアブドーラ・ザ・ブッチャー。ブッチャーの間合いと流血のプロレスは新日本プロレスのファンにはどう映ったか?

「今までと同じファイトをしていたら私には絶対に勝てない」と猪木に言わしめたブッチャーですが根本的には変わらずで、動きっぱなしの新日本プロレスのリングでは噛み合わず。

バッドニュース・アレンとのタッグでは、アレンが猪木をボディスラムの要領で抱え上げ、投げずに固定しておいてからブッチャーが助走をつけたショルダータックルを猪木に見舞っていましたが、助走のスピードは従来の全日本プロレスでは見られない俊敏さを見せていました。

他は変わりませんが、流血がシーンが大きく減少しました。やはりゴールデンタイム放送であり、タイガーマスクの登場で子供の視聴者をターゲットにしていたことでテレビ朝日の上層部から流血に関してセーブがかかったと考えるべきでしょう。

ブッチャーはフィジカルで勝負するタイプでもなく強い弱いよりファンタジーの世界のプロレスラーになっていたので、ブッチャー単品では観客動員も大きく増えたという結果は残せませんでした。

後日「馬場はスタン・ハンセンを引き抜いて直ぐに一騎討ちで対戦したのに、猪木はブッチャー戦を半年以上引っ張ってカードから新鮮味が失われた」という向きも事実ですが、今シリーズ最終戦の8月6日蔵前国技館でシングルマッチで対戦したとしてその時だけは集客は出来ると思いますが猪木はブッチャーを自分のライバルとして引き抜いた訳ではなく、全日本プロレス潰しと地方巡業底上げが目的でしたから、最初からブッチャーを潰してしまったら高額のトレードマネーの元が取れないということでしょう。

ではブッチャーに美味しいところを持たせてあげて初戦は勝たせるか、というとこれはない。ブッチャーに負けるということは馬場に負けるに等しい、スタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シン等自分と名勝負を作り上げてきた相手以外に反則負け以外で負ける、ということは初期の外国人の人材不足時代ならともかくこの時代の猪木にはあり得ない。

ブッチャーとの契約は年間3シリーズ、15週とのことですので猪木からすれば直ぐにシングルマッチをやる必要はなかったことになります。

マスクド・スーパースターは前80年、11月の「MSGタッグ・リーグ戦」をキャンセルした為79年8〜10月の「ブラディ・ファイト・シリーズ」以来1年9か月ぶりの来日となりましたが、最終戦に猪木と対戦することで実質的にシリーズを通してのエース格でした。

マスクマンで表情が出にくいのが残念な部分もありますがそのクールなマット捌きは実力者ぶりが伝わっており、個人的には78年3月の「ビッグ・ファイト・シリーズ」以来の出来の良さでした。

アレンは今シリーズ、ブッチャーのメインタッグパートナーを務め、ブッチャーを「スピードがあるように見せる」いい仕事をしました。それを猪木に認められたか、8月2日の後楽園ホール大会ではメインイベントで猪木のシングルマッチの対戦相手に抜擢され、猪木は卍固めを出してアレンをギブアップさせましたが、猪木に切り札、卍固めを出させたのはアレンに対する労いの気持ちがあったかと思われます。

ニュージャパンスタイルをブッチャーに理解させるにはアレンは格好のパートナーでした。

NWA世界ジュニア・ヘビー級王者レス・ソントンは前80年11〜12月の全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」にビル・ロビンソンのパートナーとして来日して以来7か月ぶりの来日、その時のパートナーであるロビンソンは奇しくも同時期開催の全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」に来日していました。

ソントンの新日本プロレスへの来日は74年2〜3月の「ビッグ・ファイト・シリーズ」以来7年4か月ぶり。ヤングライオン時代の藤波辰巳とは3月8日、佐賀県唐津市体育館で1度だけシングルマッチで対戦、10分31秒、ソントンが体固めで勝っています。

エルボースマッシュとグラウンド・レスリングをベースとしたパワーファイターであり藤波とはタイプが違いますが、藤波のオールラウンドなレスリングには叶わず、タイトル戦は初戦の7月3日後楽園ホールでは両者リングアウトに持ち込んだものの、再戦となった7月31日大阪・臨海スポーツセンターでは藤波のジャパニーズ・レッグロールクラッチ・ホールド(回転足折り固め)に完敗を喫しました。

ソントンは翌82年4〜5月の「ビッグ・ファイト・シリーズ」にNWA世界ジュニア・ヘビー級王者として新日本プロレスに再来日、このシリーズはタイガーマスクが膝の負傷の為途中欠場、5月12日沖縄・那覇市奥武山体育館では代打の星野勘太郎を13分37秒、カナディアン・バックブリーカーでギブアップさせて防衛しましたが、5月25日静岡産業館(ツインメッセ静岡)では復帰したタイガーマスクに13分39秒、ツームストン・パイルドライバーからの体固めで敗れ、王座転落しています。

同82年10月「闘魂シリーズ」に3度目の新日本プロレス参戦、この時はソントンがウェートオーバーの為タイトル戦から外され10月22日広島県立体育館でノンタイトルでタイガーマスクと対戦しましたが、試合前にメキシコから凱旋帰国した小林邦昭がタイガーマスクをトップロープから引きずり落として波乱の幕開け。

観客の気持ちが小林邦の方に行ってしまい、試合は僅か4分35秒、体固めでタイガーマスクがタイガースープレックスホールド(猛虎原爆固め)でフォール勝ち。試合後タイガー・スープレックスのダメージも見せずスックと立ちあがったソントンにタイガーマスクがキレて蹴りを入れるシーンもありましたが、これはセル(フォールされた側は長々とダウンしてダメージがあった様に見せるプロレスの掟)をしなかったソントンに対し制裁を加えたモノです。

これがソントンの最後の来日となりました。(この項続く)
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