81年全日本プロレス「インター・チャンピオン・シリーズ」4月30日松戸市運動公園体育館で閉幕すると3週間のオフを経て、新日本プロレスの「第4回MSGシリーズ」開催中の5月22日、川崎市体育館から「スーパー・パワー・シリーズ」が開幕。
ザ・シーク、ザ・デストロイヤー、リッキー・スティムボート、ジミー・スヌーカ、、ケビン・フォン・エリック、デビット・フォン・エリック、バグジー・マグロー、カール・フォン・スタイガーの外国人レスラーが参加。リッキーは日本陣営として出場。
日本側は既に書いたようにタイガー戸口が新日本プロレスへの参戦を表明してフリーとなり退団。3度目のアメリカ武者修行から天龍源一郎が凱旋帰国。
また、先の「インター・チャンピオン・シリーズ」開催に先立ち8年4か月保持したインターナショナル王座を返上した大木金太郎が日本陣営として全日本プロレスに復帰しました。
シークはこれまでは「世界最強タッグ決定リーグ戦」を除いては1週間前後のごく短期の来日ばかりでしたが、前80年末に主宰していたミシガン州デトロイトの「ビッグ・タイム・レスリング」をクローズしたばかりで、プロモーターを廃業、プロレスラー一本となり長期遠征が可能になりました。
開幕戦、5月22日川崎市体育館(テレビ収録、観衆2,800人発表)大会。メインイベントは鶴田&リッキー組がシーク&Bマグロー組と対戦。1本目は日本組の反則勝ち、2本目はリッキーがBマグローをスクールボーイ(横入り式エビ固め)で丸め込んで、反則含みながら鶴田&リッキー組が2−0のストレート勝ち。
なお、シークは従前より新日本プロレスへ移籍したアブドーラ・ザ・ブッチャーと同じ「吹けよ風、呼べよ嵐」に乗って入場していましたがブッチャーに出て行かれた腹いせか、改めて日本テレビではこの曲を「日本テレビが選曲した極悪レスラーのテーマ」と定義づけています。
凱旋帰国の天龍はセミファイナルで馬場とタッグを組み、デストロイヤー&スタイガー組と45分1本勝負で対戦、天龍がスタイガーをコーナーポスト最上段からの背面飛び式ダイビング・エルボードロップからの片エビ固めで破りました。
スヌーカは飛行機トラブルで日本到着が遅れ、開幕戦には間に合わず。
第2戦、5月23日後楽園ホール(観衆2,400人発表)大会。スヌーカがこの日より参戦。メインイベントは鶴田&リッキー組がシーク&スヌーカ組と対戦。1本目はスヌーカがリッキーをスーパーフライ(ダイビング・ボディプレス)から片エビ固め、2本目はリッキーがスヌーカを回転エビ固め、決勝の3本目は日本組の反則勝ち。
ノースカロライナ州を中心としたNWAミッド・アトランティック地区の黄金カード、リッキーとスヌーカの対戦に後楽園ホールのファンは新しい時代の到来を感じました。
セミファイナルはグレート小鹿&大熊元司組のアジア・タッグ王座にケビン&デビットのエリック兄弟が挑戦。両チームによる同選手権試合は79年6月5日、旭川市体育館以来2年ぶり。
1本目はケビンが小鹿をデビットとのダブル・ドロップキックから片エビ固め、2本目は大熊がケビンをジャンピング・ヘッドバットから片エビ固め。決勝の3本目はデビットがケビンをリフトアップしダウンしたままの大熊に落とし、そのままケビンが大熊を片エビ固めで破り、2−1でエリック兄弟がタイトルを獲得しました。
こちらも世代交代で全日本プロレスは「脱・ブッチャー路線」を目指し若手外国人レスラーが台頭してきました。
第6戦、5月29日大宮スケートセンター(テレビ収録、観衆2,600人発表)大会。メインイベントは鶴田&リッキー組がデストロイヤー&スヌーカ組と対戦、1本目は鶴田がデストロイヤーをドリルアホール・パイルドライバーから片エビ固め、2本目はデストロイヤーが鶴田を足4の字固め、決勝の3本目は空中戦を展開していたリッキーとスヌーカがトップロープ越しに場外に転落し両者リングアウトとなり1−1の引き分けに終わりました。
この時、実況の倉持隆夫アナウンサーは「ブッチャーのような流血だけの悪役と違ってスヌーカは飛び技も使える」と新日本プロレスに転出したアブドーラ・ザ・ブッチャーに対して「恨み節」を喋り一部ファンの顰蹙を買っています。
セミファイナルの馬場&天龍組とシーク&Bマグロー組の45分1本勝負は天龍がBマグローをコーナーポスト最上段からの背面飛び式ダイビング・エルボードロップから片エビ固め。
新アジア・タッグ王者チームとなったケビン&デビットのエリック兄弟はシリーズ最終戦の6月11日後楽園ホールで同王座への挑戦が決まった石川隆士&佐藤昭夫組とノンタイトルの30分1本勝負で対戦し両チームリングアウトの引き分けとなりました。
第9戦、6月2日北海道・美深町営体育館(観衆2,500人発表)で馬場と大木金太郎が恩讐を超えて7年半ぶりにタッグを結成。
馬場&大木組は日本プロレスが崩壊して大木が全日本プロレスのリングに上がっていた73年11月3日、和歌山県白浜会館でディック・マードック&ムース・モロウスキー組を2−1で破って以来のタッグ結成となりました。
シーク&スタイガー組と対戦。1本目は日本組の反則勝ち、2本目は大木が一本足原爆頭突きからスタイガーを体固めで破り、反則含みながら馬場&大木組が2−0のストレート勝ちを飾っています。(この項続く)
ログインしてコメントを確認・投稿する