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2024年06月07日17:56

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ストロング小林さん追悼最終章(710)

81年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」参加外国人レスラープロフィールの続きです。終盤戦1月30日島原市体育館〜2月12日後楽園ホール特別参加がタイガー・ジェット・シン。

シンは先の80年11〜12月「MSGタッグ・リーグ戦」から2シリーズ連続参戦。前回は上田馬之助との凶悪コンビで暴れ回り、8戦4勝1リングアウト勝ち3敗の24点で4位に終わりましたが、公式戦最後にアンドレ・ザ・ジャイアント&ザ・ハングマン組を破り貴重な5点を手に入れ決勝進出を阻止。

追撃戦の12月13日、東京体育館ではスタン・ハンセンとタッグを組み、猪木&ダスティ・ローデス組と対戦、ローデスを流血させて大暴れ、20分46秒、両チームリングアウトの引き分けに終わりました。

今回は80年10月24日、那覇市奥武山体育館で反則勝ちながら猪木から奪回に成功したUWA世界ヘビー級王座のリターンマッチを受けるべく参戦となりました。

終盤戦2月4日大阪府立体育会館〜2月12日後楽園ホール特別参加、新日本プロレス初登場となる「人間戦車」ボビー・ダンカン。

本名ロバート・エルドン・ダンカン、1944年8月14日、テキサス州オースチン出身の当時36歳。ウエスト・テキサス州立大学ではアメリカンフットボールの選手として活躍。ファンク・ファミリーの一員。

大学の先輩であるドリー・ファンク・ジュニアのコーチを受けて66年にプロレスデビューしましたが、67年のNFL/AFLドラフト13巡目(全体331位)でNFLのセントルイス・カーディナルスの指名を受け、68年の1シーズン所属しプロレスは活動休止。退団後の69年からプロレスラー専業となり、テキサスを中心にジョージア、フロリダといったNWAの南部テリトリーを転戦します。

69年4月、24歳の時日本プロレス「第11回ワールド・リーグ戦」。ボボ・ブラジル、ゴリラ・モンスーン、クリス・マルコフら大物に混ざって初来日。馬場、猪木、凱旋帰国した坂口征二、大木金太郎、吉村道明ら錚々たるメンバーと対戦。山本小鉄と大熊元司に勝って2勝ち挙げています。

帰国後はフロリダで頭角を現し、71年7月1日にボブ・ループを破りブラスナックル王座を奪取、ファンク一家のお膝元、テキサス州アマリロ地区では72年にリッキー・ロメロやパク・ソンナンとテキサス・ブラスナックル王座を争い、ヒールのラフファイターとしてメインイベンターに成長。

テキサス州アマリロにおいては同年3月13日にエルパソ、5月16日にオデッサにおいて、ドリー・ファンク・ジュニアが保持していたNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦。

2度目のドリー挑戦の後、同年5月に猪木が抜けた後の日本プロレス「ゴールデン・シリーズ」に2度目の来日、この時はブラジル、ミル・マスカラスの次、前UN王者キング・クローとほぼ同じ二、三番手のポジション、6月8日、仙台・宮城県スポーツセンターではブラジルとのタッグで馬場&坂口組の「東京タワーズ」のインターナショナル・タッグ王座に挑戦し2−1で敗れました。

帰国後もアマリロ、ジョージアに定着、7月9日にはディック・マードックと組んで日本から遠征に来ていた駒厚秀(マシオ駒)&大熊組を破り、ウェスタン・ステーツ・タッグ王座も獲得。73年はジョージア地区にて、ビル・ワットとの大型カウボーイ・コンビで暴れまくりました。

同年11月、ドリーのブッキングで全日本プロレスの「ジャイアント・シリーズ第2弾」に3度目の来日、同シリーズは前半戦がブルーノ・サンマルチノ、終盤戦にフリッツ・フォン・エリックが特別参加、キラー・コワルスキー、カリプス・ハリケーンらと一緒で先のシリーズに凱旋帰国した鶴田友美改めジャンボ鶴田、このシリーズで日本でプロレスデビューを果たしたアントン・ヘーシンクと対戦。

翌74年8月より、グラン・ウィザードをマネージャーに付けてニューヨークのWWWFに進出。トニー・ガレア、ヘイスタック・カルホーン、ラリー・ズビスコ、SDジョーンズなどから勝利を収めた後、11月18日と12月16日にニューヨークのMSGにおいて、サンマルチノが保持していたWWWFヘビー級王座に連続挑戦しました。

11月18日のMSGは初回の猪木戦に敗れ、WWWFにヒール修行に来ていたストロング小林も出場、猪木との再戦が決まり、帰国する前のラストマッチでペドロ・モラレスに敗れています。

以後も75年6月まで、ペンシルバニア州フィラデルフィア、マサチューセッツ州ボストンなどのWWWFテリトリーの中核都市でサンマルチノの王座に何度となく挑戦。

同年7月、全日本プロレスの「サマー・アクション・シリーズ」に4度目の来日、ザ・スピリット(キラー・カール・コックス)、ジェリー・ブリスコ、リッキー・ギブソン、ボブ・レムス(サージェント・スローター)、チャボ・ゲレロが一緒に来日、終盤にはフリッツが特別参加。大型の中堅レスラーとしてしばしばメインイベントにも登場。

76年からはAWAに参戦、ボビー・ヒーナンをマネージャーにブラックジャック・ランザとのカウボーイ・タッグを結成。同年7月23日、イリノイ州シカゴでディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組を破り第32代AWA世界タッグ王座を獲得、以降、翌77年7月7日、カナダ・マニトバ州ウィニペグでグレッグ・ガニア&ジム・ブランゼル組のハイ・フライヤーズに敗れるまで1年近く戴冠を続け、ランザと共にAWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクルのポリスマン的なヒールとなって活躍。

78年にはフロリダ地区でマスクマンのスポイラー2号に変身。同年6月27日、1号のドン・ジャーデンとの「ザ・スポイラーズ」でジャック&ジェリーのブリスコ・ブラザーズからNWAフロリダタッグ王座を奪取。すぐさま素顔に戻り、同年8月30日にジャック・ブリスコを下してフロリダ州TV王座を獲得。10月3日にはコックスと組んでスティーブ・カーン&ジム・ガービン組を破り、フロリダタッグ王座に返り咲き。フロリダではゲーリー・ハートがマネージャーを務め、ダスティ・ローデスやモラレスとも抗争を展開。

79年、キャプテン・ルー・アルバーノを新しいマネージャーとしてWWFと再契約。11月19日、ニューヨークMSGでボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦、出血多量によるドクターストップ負けも双方納得いかず、12月17日同所での再戦が発表されました。

バックランドは初回のダンカン戦が終わると日本へ遠征。11月30日徳島市立体育館で猪木に敗れ王座転落。12月6日蔵前国技館でのリターンマッチでは乱入してきたタイガー・ジェット・シンに猪木が気を取られている隙に背後からアトミック・ドロップの要領で持ち上げて、猪木の急所をトップロープに叩きつけてフォール。

レフェリーのミスター高橋はカウント3を入れ、バックランドの勝ちを宣告しましたが、リング下にいた新間寿WWF会長が「バックランドに明らかな反則行為があった」と主張、協議の結果ノーコンテスト(没収試合)となり、タイトル移動は亡くなりましたが、猪木はこれを潔しとせず、タイトルを返上しました。

12月17日のMSGでは空位となっていたWWFヘビー級王座を賭けて、バックランドとダンカンが王者決定戦を行い、17分18秒、回転エビ固めでバックランドが勝ち王座返り咲きしています。

試合には敗れたものの、以降も約1年間に渡ってWWFをサーキットし、アンドレ・ザ・ジャイアントともMSGをはじめ北東部の各地で対戦。前80年12月29日にはMSGで猪木のNWFヘビー級王座に挑戦、12分47秒、体固めで敗れてました。

同時期にはジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区にも出場して、80年から81年にかけてブラックジャック・マリガンと大型カウボーイ同士の喧嘩試合を展開、同地区認定のブラスナックル王座を争いました。同地区ではジン・アンダーソンのマネージメントのもとレイ・スティーブンスやジミー・スヌーカと共闘、当時ベビーターンしていたリック・フレアーやマスクド・スーパースターとも対戦しています。

WWFとNWAを股にかけて活躍しているダンカンがついに新日本プロレス初参戦、年末に敗れた猪木へのリベンジを狙います。(この項続く)

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