80年新日本プロレス「第3回MSGシリーズ」第36戦、6月4日、愛知県体育館(観衆11,000人超満員発表)大会。
この日は決勝リーグ戦最終日、先ずはセミ前に行われた坂口征二とストロング小林の公式戦45分1本勝負から振り返りたいと思います。名古屋大会はノーテレビであり、6月6日付(5日発行)の「東京スポーツ」から試合レポを引用。
『何とか優勝戦線に踏みとどまりたい坂口と少しでもポイントを伸ばしたい小林、元北米タッグ王者同士はスタートから気合の入った攻防となった。坂口のヘッドロック、首投げに小林もカウンターパンチ。
5分過ぎ、小林が勝負に出た。パンチ、キック、チョップを坂口の喉元に集中、怒った坂口がボディに膝蹴り、場外に落ちる小林、坂口の猛攻が始まった。
必死に逃げた小林は再び場外戦。場外で机に叩きつけられた小林はロープ越しに坂口に頭突きを三発、ダウンした坂口を頭突き、サバ折りと攻め立てる。
一度はピンチに陥った坂口だが、リングに上がるとジャンピング・ニーアタックで活路を開き、アトミック・ドロップで小林を爆沈、優勝戦線に加わる貴重な白星を挙げた』
11分52秒、坂口が体固めでかつての北米タッグ王座のタッグパートナー、S小林にフォール勝ちし32点で公式戦全日程を終了、スタン・ハンセンと同点となり、メインイベントの猪木vsアンドレ・ザ・ジャイアントの結果待ち。
S小林は9戦2勝6敗1分、失点33、12点で決勝リーグ戦を終えました。上位陣には長州力との両者リングアウト以外は全敗。無冠の扱いはこんなものなのでしょうか…。しかし好調ぶりは巡業に同行していた記者からも伝達され、本人のモチベーションは高く内容は決して悪くはなかったかと。難点を挙げれば、試合運びが単調だったと思います。
メインイベントは決勝リーグ戦45分1本勝負、最終公式戦、33点の猪木vs30点のアンドレの対戦。猪木が反則かリングアウトでも勝てばアンドレは脱落、引き分けならアンドレ、スタン・ハンセン、坂口の3人が同点で並びます。
アンドレがフォール、リングアウト、反則で勝てばアンドレが1位、猪木が2位で翌6月5日、蔵前国技館での優勝決定戦は名古屋と同一カードになり、ハンセン、坂口は脱落となります。
手四つの攻防から始まりアンドレはヘッドロックから首投げで猪木を投げつけてからアームロック、リストロックと痛めつけていきます。
猪木はジャンプしてのフライング・ヘッドシザースで反撃、アリキックを見せるがアンドレは「効かない」というジェスチャー、猪木の胸板に逆水平チョップ、ヘッドバット。場外に一旦エスケープして呼吸を整えてリングインする猪木。
上がってきた猪木をアンドレはボディスラム、ロープに飛ばしてからカウンターのビッグブート、これは猪木がかわしてドロップキック。2発目、これはアンドレがはたき落とす。
10分過ぎ、アンドレが猪木をコーナーポストに飛ばしてショルダータックル、これを読んでいた猪木はコーナーを背にして両腕でロープを掴み、ジャンプしてのダブルキック、ダウンしたアンドレ、猪木は素早くコーナーポスト最上段からフライング・ニードロップを一撃。
フラリと立ち上がったアンドレの首と股に猪木が手を回すと次の瞬間、信じられないことが…。猪木がアンドレの今シリーズ増量して265kgとなった巨体を気合一番、ボディスラムで叩きつけました。
NWA世界ヘビー級王者であるハーリー・レイスがアンドレをボディスラムで投げた写真が「ゴング」のグラビアを飾りましたが、怪力タイプでもない猪木がアンドレをボディスラムで投げたのは特筆すべき出来事でした。
11,000人の大観衆は騒然、カバーに入った猪木でしたがアンドレはカウント2で跳ね上げ、猪木は勢いで場外に吹っ飛ばされました。これを追うアンドレ、場外乱闘となり、11分56秒、両者リングアウト。猪木は35点で1位確定、アンドレは32点でハンセン、坂口と同点2位。
6月5日、蔵前国技館での優勝決定戦は1位が猪木、2位のアンドレ、ハンセン、坂口の3人で抽選による優勝決定戦進出者決定トーナメントを行い、トーナメントの覇者が猪木と優勝決定戦で対戦することになりました。
猪木vsアンドレ戦、坂口vsS小林戦の間のセミファイナルはボブ・バックランドのWWFヘビー級王座にハンセンが挑戦した61分1本勝負。バックランドとハンセンは同じ1949年生まれで72年にテキサス州アマリロのドリー・ファンク・シニア、ドリー・ジュニア、テリーのファンク道場に入門、この2人に翌73年、中央大学を卒業したジャンボ鶴田が全日本プロレスから武者修行で合流、3人が同期生となります。
「鶴田が日本から送られて来たインスタントラーメンを3人で分けて食べた」というのは良く知られたエピソードです。
バックランドはアマリロからミズーリ州セントルイスのNWAセントラルステーツ地区を経て78年にWWWF入り、2月20日、ニューヨークMSGでスーパスター・ビリー・グラハムを破り第8代WWWFヘビー級王者となり、ベビーフェイスの王者として安定した人気を誇っています。
一方のハンセンはアマリロを巣立った直後、バックランドより先に76年にWWWF入り、4月26日、MSGでブルーノ・サンマルチノの首の骨を折るというアクシデントを起こしてしまいました。
一躍全米にその名が知られたもののWWWFでは「下手くそ」の烙印を押され同年末でリリース。ビンス・マクマホン・シニアが次の働き場所として斡旋してきたのが新日本プロレスのリングでした。
77年1月、新日本プロレスのリングに初参戦、79年からその存在感を発揮し始め、80年2月8日には東京体育館で猪木にリングアウト勝ちしNWFヘビー級王座を獲得、新日本プロレスのナンバーワン外国人の座に登りつめました。
紆余曲折を経て同じリングに立った二人がベルトを賭けて相まみえることになりました。
ゴングと同時にハンセンがバックランドのボディにキック、ボディスラム、エルボードロップ、バックランドはハンセンの2発目のエルボーをかわすとドロップキック連発、バックランドはヘッドロックから首投げ、ハンセンはボディへパンチを見舞い、ロープに飛ばしてカウンターのキチンシンクを2発。
ボディスラムに来たところをバックランドは回転エビ固め、カウントは2。ハンセンはヘッドシザースを見せて首筋にエルボー、立たせてからブレーンバスター、カバーにいったハンセンをバックランドは下から首固めで丸め込むもカウント2。
ハンセンはカウンターのエルボー、バックランドもハンセンの135Kgの巨体を高々と担いでハイアングル・アトミック・ドロップ、しかしこれはカウント2でクリア。さらにドリルアホール・パイルドライバー狙いにいくがハンセンはリバース・スープレックスで切り返します。
ハンセンの強烈なエルボーバット、バックランドはたまらず場外に転落、ハンセンはバックランドの首根っこを押さえつけて鉄柱へ、だがこれをかわしたバックランド、逆にハンセンを鉄柱へ叩きつけられたのはハンセンの方。
これで流血したハンセン。そこへハンセンのセコンドにいたハルク・ホーガンが入ってきました。素早くリングに上がったバックランド。ホーガンはハンセンにブルロープを渡しました。
血を見て狂ったハンセンはブルロープでバックランドの首を絞め上げる、公開絞首刑、明らかに反則だ。14分44秒、ハンセンの反則負けが宣告され、バックランドが王座防衛に成功しています。
公式戦外の試合は藤波辰巳&長州組がダスティ・ローデス&チャボ・ゲレロ組と対戦したタッグマッチ30分1本勝負は10分48秒、藤波がチャボを回転エビ固めで破り、ホーガンは木戸修に3分27秒、体固めでフォール勝ち。
ウィリエム・ルスカはティト・サンタナを8分40秒、回転エビ固めで降し、2月5日の愛知県体育館大会に続きサンダー杉山が特別出場、星野勘太郎と組んで木村健吾&永源遙組と対戦、14分9秒、星野が木村健を回転エビ固めでフォールし星野&杉山組の勝利。
バッドニュース・アレンは小林邦昭を8分、体固めで破りました。
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