5月27日、大阪府立体育会館ではボブ・バックランドのWWFヘビー級王座にダスティ・ローデスが挑戦する夢の対決、アメリカでは両者ともベビーフェイスであり対戦していない夢の対決がついに日本で、というより新日本プロレスのリングで実現。
バックランドは来日直前の5月19日(現地時間)ニューヨークMSGで1月にノーコンテスト、2月にはリングアウト勝ちとピンフォール決着がついていないケン・パテラとテキサス・デスマッチで対戦、これをクリアすれば王者として日本にやってくることになります。
72年の旗揚げ以来、同年10月に後発団体として旗揚げした馬場の全日本プロレスからは外国人メンバーの顔ぶれで大きく差をつけられていましたが、この「第3回MSGシリーズ」では互角どころか上回ったと言えます。
若さとパワーで優るバックランド、ローデスはこの時は「アメリカンドリーム」としてベビーフェイスですが、かつては「極道」と呼ばれ”ダーティ”ダスティ・ローデスとしてヒールで全米を震え上がらせた実績を持ち、デスマッチの経験も豊富。ローデスが今まで新日本プロレスで見せて来なかった恐い一面を発揮するか?まさに夢の極上対決。
大阪大会ではスペシャルマッチとしてアンドレ・ザ・ジャイアントとスタン・ハンセンのシングルマッチも決定。MSGシリーズの決勝リーグ戦とは別建てで行われる一戦。
前79年5月18日、新潟市体育館で行われた「第2回MSGシリーズ」決勝リーグ戦での両者の初対決。左腕の黒いサポーターに凶器を仕込み、アンドレの額にラリアートを叩き込み、巨体がグラグラッと揺れ動くサマは戦慄を覚えました。
試合は4分24秒、両者リングアウトに終わりましたが、日本のリングで初めてアンドレと対等に闘える外国人レスラーが現れた記念すべき試合でした。78年の第1回大会の決勝リーグ戦ではバグジー・マグロー、ニコリ・ボルコフと対戦していますがいずれも短時間でアンドレにフォール負けしています。
それから1年が経ち、アンドレが獲得出来ていないNWFヘビー級王座のベルトを巻いた実績を引っ提げ、さらに怪物度が増したハンセンの「大巨人食い」が現実のモノになるかも知れません。
6月4日、愛知県体育館では、大阪大会終了時点でのWWFヘビー級王者にハンセンの挑戦が決定。これより4年前の76年4月26日(現地時間)、テキサスからやって来たハンセンは、ニューヨークMSGで時のWWWFヘビー級王者、ブルーノ・サンマルチノに挑戦。
ハンセンのボディスラムでサンマルチノが首の骨を折るというアクシデントが起き、5分10秒、ドクターストップでハンセンの勝利もルールによりベルト移動なし。
病院に運ばれたサンマルチノは第六頸部脊椎骨骨折という重傷と診断されて入院、欠場となりました。
モハメド・アリvs猪木の「格闘技世界一決定戦」に合わせて開催された6月25日夜(現地時間)、ニューヨーク・センチュリー・シェアスタジアムでのビッグマッチの前売券の伸びが悪いとビンス・マクマホン・シニアから懇願されたサンマルチノはムリを押して復帰、ハンセンと対戦。8分、サンマルチノの鬼気迫る攻撃に戦意喪失したハンセンが試合放棄。
1勝1敗で迎えた8月7日、MSGでのケージ(金網)マッチによる決着戦で11分11秒、場外エスケープにより、サンマルチノが勝利を収めました。
76年一杯でWWWFをリリースされたハンセンは翌77年1月、新日本プロレスのマットに初参戦、以後の活躍ぶりは今まで書いてきた通りです。
ハンセンにとっては実に約4年ぶりのWWFヘビー級王座へのチャレンジとなる訳です。
全日本プロレスとの興行戦争ですが、「第8回チャンピオン・カーニバル」が5月2日、後楽園ホールでの追加興行を終えると3週間のオフを経て、5月23日、後楽園ホールから初夏の陣「スーパー・パワー・シリーズ」が開幕。
アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・デストロイヤー、ブラック・テラー(タンク・パットン)、バック・ズモフ、カール・フォン・スタイガーが全戦参加。
NWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスが中盤戦特別参加、ビル・ロビンソンが後半戦特別参加。
東北・北海道を中心としたシリーズで後楽園ホールは開幕戦と6月8日の2回、NWA世界戦は5月26日(実際は27日に変更)秋田県立体育館と5月28日札幌中島体育センター(80年4月に所管が札幌市から北海道に代わり、札幌中島スポーツセンターから正式名称「北海道立札幌中島体育センター別館」に変更された)。都内、大阪、名古屋の大会場の興行開催はなし。新日本プロレスとのニアミスバッティングもありません。
同時期に日本でNWA世界ヘビー級王者レイスとWWFヘビー級王者バックランドがそれぞれ全日本プロレスと新日本プロレスのリングで防衛戦を行う、もはや日本のプロレス界は世界の中心になったと言っていいでしょう。
ログインしてコメントを確認・投稿する