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2024年02月29日09:45

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週プロ流智美あの日あの時予想2023年総括(52)

第321戦、12月27日発売号●【予想】鶴田、ドリー・ファンク・シニアメモリアルナイトで馬場と組んでインタータッグ再挑戦、インターナショナル・タッグ選手権試合、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組vs馬場&鶴田組。(74年12月26日、テキサス州アマリロ・スポーツアリーナ)【正解】悲劇の一家を統率した元祖・鉄の爪の日本ラストマッチ、鶴田試練の十番勝負最終戦、vsフリッツ・フォン・エリック(79年1月5日全日本プロレス川崎市体育館)

【参考】2017年12月27日発売号は急きょ「プロレス大賞」が新設された意外な真相、第1回東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」(74年12月27日)

2017年12月27日発売号、第16戦の予想は●たけしプロレス軍団登場、イヤーエンド・イン国技館。(87年新日本プロレス両国国技館)※対戦成績は16戦5勝11敗、勝率313。

【予想解説】72年9月、全日本プロレス旗揚げ準備の為渡米した馬場は外国人ブッカーの窓口をテキサス州アマリロのファンク・シニアに全面依頼、当時のNWA世界ヘビー級王者はドリーであり、やはりNWA世界チャンピオンを抱えているプロモーターはNWA内部でも発言力があり「ファンク王朝」と呼ばれていました。

ファンク・シニアも馬場を全面的に大歓迎、10月21日、町田市体育館での前夜祭でスタートを切る「旗揚げジャイアント・シリーズ」にはテリーをブッキングした他、ジェリー・コザック、ダッチ・サベージを送り込みました。またシリーズ終盤戦にはファンク・シニア自ら全日本プロレスマット視察を兼ねて特別参加しています。

同年10月31日に中央大学レスリング部の鶴田友美が「全日本プロレスに就職します。」という有名なセリフを残して全日本プロレス入団記者会見を行いますが、鶴田は国内で馬場、マシオ駒らに基本的なプロレスの手解きを受けた後、73年3月、大学卒業後はアマリロのファンク一家に預けられ、ドリーもNWA世界ヘビー級王者の多忙なスケジュールの間隙を縫って鶴田の指導に当たりました。

馬場の誠実な人柄か、同行していた日本テレビの原章プロデューサーの豊富な日テレマネーが目的だったかはわかりませんがファンク・シニアは馬場を可愛がり、翌73年2月に8月の年次総会を待つことなく、馬場をNWAのメンバーに推薦、臨時総会において満場一致で馬場のNWA加盟が決定しました。

同年5月24日、カンザス州カンザスシティでドリーは当時ファンク・ファミリーの一員だったハーリー・レイスに敗れ4年3か月の長期に亘って保持したNWA世界ヘビー級王座から転落。

ドリーへの慰労を兼ねたパーティーの余興でファンク・シニアは酒に酔った状態でゴードン・ネルソンとスパーリングを行い(レス・ソントンが相手だった説もあり)、心臓発作を起こし6月2日に54歳の若さで急死。修行中だった鶴田もその場に居合わせています。

ファンク・シニアは全日本プロレスにとって大恩人。翌74年12月26日、テキサス州アマリロスポーツアリーナで追悼興行「ドリー・ファンク・シニア・メモリアルナイト」が開催されています。

この記念すべき大会で馬場&鶴田組はドリー&テリーのザ・ファンクスの保持するインターナショナル・タッグ王座に挑戦。馬場&鶴田組にとっては73年10月9日、蔵前国技館における鶴田の凱旋帰国第3戦で1−1から61分時間切れで引き分けた、「鶴田の出世試合」以来2度目の挑戦でした。

1本目は20分47秒、馬場が河津落としからドリーを体固め。2本目は12分12秒にテリーがダブルアーム・スープレックスから馬場を体固め。決勝の3本目は12分12秒にドリーが鶴田を回転エビ固めで破り、2-1でファンクスが王座を防衛しています。

馬場が亡くなるまで港区六本木の全日本プロレス事務所の社長室にはファンク・シニアの遺影が飾られていました。

【正解解説】年度最終号は年末年始合併号であり、昭和の時代は年末年始は馬場、猪木、藤波辰巳らの海外遠征を除いて、事実上休みでありこの時期の「東京スポーツ」も各団体の新春シリーズの展望記事が中心でネタ不足なのは間違いないところです。

「あの日あの時」で年跨ぎして新年のネタを採り上げたのは過去1度、82年1月1日、新日本プロレスの元日決戦の後楽園ホールからタイガーマスクvsダイナマイト・キッドのWWFジュニア・ヘビー級王座決定戦があり、それでもかなり先日付の話だとは思いましたが、今回は1月5日のネタ。逆に新年第1回発売号に持ってきた方が、しっくりきます。

前回に引き続き、2024年4月5日日本公開予定の映画「アイアンクロー」煽りが流さんの琴線を刺激したか、2週連続のエリック登場。

馬場、猪木の2週連続は珍しくなく、特に話題豊富な猪木に関してはそれ以上連続して採り上げた時もありましたが、外国人レスラーで2週連続採り上げられたのはエリックが初でした。

現役として8回の来日のうち7回が特別参加の超大物(唯一、全戦参加が73年4月の日本プロレス最後のシリーズ「アイアンクロー・シリーズ」だが全6戦で終了)、テキサス州ダラスを牛耳るNWAビッグタイム・レスリング(後のワールドクラス・レスリング)の代表プロモーター兼トップレスラー。

現役としての最後の来日は79年1月、全日本プロレスの「新春ジャイアント・シリーズ」。当初は1月2日の開幕戦から1週間の特別参加予定でした。しかし家族に不幸があり2&3日の後楽園ホール大会を欠場、3日の後楽園大会ではバロン・フォン・ラシクとの「爪コンビ」で馬場&鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦と発表されていましたがラシク&キング・イヤウケア組に挑戦者チームが変更されています。

エリックは1月5日、川崎市体育館から出場、鶴田試練の十番勝負最終戦の相手、まさにラスボスに相応しい対戦者でした。試合は60分3本勝負、1本目は5分53秒、エリックがアイアンクローから体固め、2本目は3分23秒、エリックがロープに逃げた鶴田にアイアンクローを離さず、抗議していたセコンドの大仁田厚にアイアンクローをかけて、リングに強引に引きずり入れ、さらに攻撃を加えて鶴田の反則勝ち。

決勝の3本目は1分5秒、アイアンクローに来たエリックを鶴田がかわし、マットに腕を打ち付けたエリックをジャンピング・ボディプレスで押さえ込んだ鶴田が片エビ固めでフォール勝ちし、2−1で鶴田が十番勝負最終戦を勝利で締めくくり、10戦4勝2敗4分で終了しています。

日本ラストマッチとありますが、実際は1月8日の福生市民体育館まで出ており、ラシクと組んで鶴田&ザ・デストロイヤー組に2−1で敗れた試合が日本における最後の試合となっています。

※対戦成績は321戦55勝266敗、勝率171、2023年度の年間対戦成績は52戦7勝45敗、勝率134。
          (完)
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