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2024年02月23日10:36

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週プロ流智美あの日あの時予想2023年総括(46)

第315戦、11月15日発売号●【予想】猪木、初来日の野獣バーナードに屈辱の反則勝ち、猪木vsブルート・バーナード(68年日本プロレス後楽園ホール)【正解】年末タッグの巨大な副産物はテリーの大ブレーク、「世界オープン・タッグ選手権」カード発表(77年11月16日全日本プロレス六本木事務所)

【参考】2017年11月15日発売号は選手名鑑号特別編成につき休載。

【予想解説】「狂える野獣」ブルート・バーナードは新日本プロレスへは75年1月に初来日を果たしています。バーナードと言えばスキンヘッドで唸り声を上げ、ヨダレをたらしながら反則ファイトをする老レスラーというイメージが強いですが、猪木も「一目置いていた」大物と行っていいでしょう。

バーナードは1921年カナダ・ケベック州モントリオール出身(生年については諸説あり)、地元トロントのプロフットボールチームで活躍した後、プロモーターのジャック・ブリットン(ジノ・ブリットの実父)にスカウトされ56年に地元のケベック州にてプロレス入り。デビュー当時はジム・バーナードの名義で活動し、57年にはトロントのメープルリーフ・ガーデンやニューヨーク・MSG出場を果たすなど出世。

62年にアメリカ東部地区でブルート・バーナードと改名し、スキンヘッドの野獣スタイルに変身。全身無毛の怪奇派スカル・マーフィとタッグチームを結成、その凶悪ファイトで全米各テリトリーを席巻しました。

マーフィとのタッグは63年5月16日には設立間もないWWWFでバディ・オースチン&グレート・スコット組からUSタッグ王座を奪取、同年11月14日にゴリラ・モンスーン&キラー・コワルスキー組に敗れるまで半年間王座を保持しました。シングルプレーヤーとしては、63年7月20日、メリーランド州ボルチモア・スポーツアリーナにてブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦して敗れています。

その後マーフィと共に各地を転戦、フロリダでは64年1月28日、タッグトーナメントの決勝でヘイスタック・カルホーン&ドン・カーチス組を破り、空位となっていたフロリダ版NWA世界タッグ王座を獲得、デューク・ケオムカ&ヒロ・マツダ組のオリエンタルコンビともタイトル防衛戦を行いました。

66年にはマーフィと共にオーストラリアに遠征、ジム・バーネットが主宰していたワールド・チャンピオンシップ・レスリングに参戦し、7月15日にマーク・ルーイン&ドン・デヌーチ組から豪州版IWA世界タッグ王座を奪取、2週間後の同月29日にルーイン&ベアキャット・ライト組に敗れ王座を明け渡すも、8月には奪還に成功しています。

その後、マーフィとのコンビを一時解消してアメリカに戻り、67年3月にテキサス州ダラスにてフリッツ・フォン・エリックからNWA認定USヘビー級王座(ダラス版、後のアメリカン・ヘビー級王座)を奪取、同王座の2代目王者となりました。同年8月には同じ野獣系でこちらは全身剛毛のブル・カリーを破り、テキサス・ブラスナックル王座も獲得しています。

68年11月、日本プロレス「NWAチャンピオン・シリーズ」に初来日。11月8日、後楽園ホールでの開幕戦でメインイベントに登場、ジョー・スカルパ(チーフ・ジェイ・ストロンボー)と組んで馬場&猪木組のBI砲と対戦、1本目、8分20秒、体固めで馬場をピンフォールし、観客とテレビ視聴者を驚かせました。2本目は5分15秒、猪木がスカルパをアバラ折り(コブラツイスト)でギブアップさせイーブンとなりましたが、決勝の3本目は3分、外国人組がリングアウト勝ちし2−1でBI砲を破っています。

翌週の11月15日には後楽園ホールで猪木とシングル初対決が実現(45分3本勝負)、1本目は4分58秒に両者リングアウト、2本目は2分45秒に猪木が反則勝ちを拾いましたが、バーナードの喧嘩ファイトの前に猪木は防戦一方でした。

「人間サイレン」と言われる「ウヮーウヮーウヮーウヮー!」と独特の奇声を発しながらの、ギクシャクと歩いて入場するパフォーマンスも怪奇派ムードたっぷりで、ヒール人気を博し、12月1日、仙台・宮城県スポーツセンターにおけるセミファイナル、ロニー・メインと組んでの猪木&大木金太郎とのタッグマッチで、角材で大木の耳を削ぐという日本マット史上に残る戦慄の「大木金太郎耳そぎ事件」を起こしてます。(実際は大木が角材で殴られる直前に頭を動かしたことによるアクシデント)。試合は1本目は12分52秒、両チームリングアウト、2本目は2分7秒に猪木がアバラ折りでメインをギブアップさせて2−1で猪木&大木組の勝利。

12月3日、大阪府立体育会館では後半戦より特別参加したNWA世界ヘビー級王者ジン・キニスキーとのタッグで馬場&猪木組のBI砲のインターナショナル・タッグ王座に挑戦、1本目は19分31秒、馬場が外国人組に反則勝ち、2本目は8分13秒、馬場がバーナードを片エビ固めに決めて2−0のストレート勝ちで馬場&猪木組のBI砲が10度目の王座防衛に成功。NWA世界ヘビー級王者キニスキーが参戦してくるまではシリーズのエースだった訳です。

シリーズ最終戦の12月13日、後楽園ホールでメインと組んで馬場&猪木組のと対戦。1本目は17分3秒に日本組の反則勝ち、2本目、4分34秒、猪木がこの時試合では初使用となる新兵器卍固めでバーナードをギブアップさせ2−0でBI砲が勝利を収めました。バーナードは猪木の最初の「卍固めの犠牲者」として日本プロレスの歴史に名を残すことになりました。

【正解解説】これより2年前の75年12月に開催された「オープン選手権」は史上空前ともいうべき豪華20選手が参加して行われましたが、参加選手が多過ぎた為にマッチメイクに苦労し、課題も多く残りました。

20選手もいると2週間の日程で総当たりリーグ戦は無理、トーナメントにしてしまうと負けたらその選手は終わりになってしまうのでカードの幅が広がらず「夢の祭典」には相応しくない、ということを受けて、ファン投票により20位までのランキングを決め、1位だった馬場が東の横綱、2位だったドリー・ファンク・ジュニアが西の横綱、という風に大相撲の番付方式を採用、上位陣同士、下位同士による公式戦に絞り、さらにファン投票で見たいカードを公募し、その上位カードを優先して組んでいくやり方でした。

大相撲形式であれば、毎日公式戦を組まないと整合性が取れませんが、そうでもなく、公式戦にあぶれた選手のタッグマッチなど消化試合が毎日組まれました。

しかし何と言ってもハーリー・レイス、ダスティ・ローデス、バロン・フォン・ラシク、大木金太郎、ミスター・レスリング(ティム・ウッズ)、アントン・ヘーシンクの6選手が途中棄権し帰国、全日本プロレスの「お荷物」となっていたヘーシンク以外は非常に勿体なく、負傷その他の理由はありますが、最初から1週間の契約だったと思われます。途中から来日したパット・オコーナーがすんなり後半の公式戦をこなしているのも違和感がありました。

馬場は77年夏に年末に「世界オープン・タッグ選手権」を行うと発表。これは前76年12月8日、新日本プロレスの坂口征二から「シングルの日本選手権は難しいがタッグなら日本選手権が開催出来る可能性がある、ウチは私と小林(ストロング)さん、全日本プロレスは馬場&鶴田組、国際プロレスからはラッシャー木村&マイティ井上組に出て来て欲しい」と発言があり、それに対する馬場の回答でした。

馬場は「参加選手が多いなら組ませてしまえばいい」と自信満々にコメント、「オープン選手権」での反省点(勿論、それを大きく上回る成功はありました)を活かし、参加全9チームによる総当たりリーグ戦を行うことになりました。

参加チームはドリー&テリー・ファンクのザ・ファンクス、馬場&鶴田組、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組、ビル・ロビンソン&ホースト・ホフマン組、大木&キム・ドク組、R木村&グレート草津組、ザ・デストロイヤー&テキサス・レッド(レッド・バスチェン)組、天龍源一郎&ロッキー羽田組、M井上&高千穂明久組の9チームが参加。

最終戦は12月15日、蔵前国技館で行われ、公式戦最終試合のファンクスvsブッチャー&シーク組でブッチャーがテリーの左上腕にフォークを突き刺す残虐なシーンがありましたが、テリーは耐え抜き、最後は、シークの凶器攻撃がレフェリーに誤爆、14分40秒、ドリーの反則勝ちでファンクスが優勝。

試合後、負傷した左腕を三角巾で吊りながら目に涙を浮かべて優勝の喜びを全身で表現したテリーのベビーフェイス人気が爆発した記念すべき試合でした。

2023年8月23日、79歳で亡くなったテリーが大ブレイクしたのがこの「世界オープン・タッグ選手権」でした。

しかし、引用されている77年11月18日付(17日発行)の「東京スポーツ」は世界オープン・タッグ選手権のカード発表には違いないですが、公式戦ではなく「夢のシングルマッチ」のカード発表の時のモノでした。

※対戦成績は315戦55勝260敗、勝率175。
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