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2024年02月17日10:25

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週プロ流智美あの日あの時予想2023年総括(40)

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第309戦、10月4日発売号○【予想、正解】看板シングル王座を最優先した馬場と、待った猪木、世界ヘビー級選手権試合、カール・ゴッチvs猪木(72年新日本プロレス蔵前国技館)

【参考】2017年10月4日発売号は猪木が「認定団体なしの世界ヘビー級選手権」を強行!(予想、正解に同じ)

2017年10月4日発売号、第5戦の予想は○※対戦成績は5戦1勝4敗、勝率200。

【解説】既出の予想はあまり気が乗りません。この10月4日は猪木vsタイガー・ジェット・シンのNWFヘビー級選手権試合オイルデスマッチ(79年新日本プロレス蔵前国技館)、国際プロレス土曜日夜8時に放送時間帯移行第1弾ビッグマッチ、IWA世界ヘビー級選手権試合、ラッシャー木村vsビッグ・ジョン・クイン(80年国際プロレス近江八幡市立運動公園体育館)、猪木vsマサ齋藤の巌流島決戦(87年新日本プロレス)等有力候補がありました。

実際、ここ2年位は「東京スポーツ」を初めとしたスポーツ新聞にソースが移行し82年以後の出来事はほとんど採り上げることが少なくなったので巌流島はまずなし。猪木vsシンのオイルデスマッチで下書き作ってアップする寸前までいきましたが、思いとどまり、結局は前回と同じ猪木、ゴッチ、特別レフェリーのルー・テーズが揃い踏みしたこの大会に変更し予想が当たりました。第5戦に次いで、2度目も白星。

5回目にしてようやく白星。前年暮れ、社内クーデターを企てたとして日本プロレスを除名・追放処分となった猪木は翌72年1月26日、新日本プロレスの設立を発表しました。

既に猪木の世田谷区野毛の自宅を改装して道場と合宿所を作り、他には山本小鉄、メキシコ遠征から帰国の魁勝司(北沢幹之)と柴田勝久、木戸修、藤波辰巳が参加。

1月29日には道場開きが行われました。3月6日、大田区体育館で旗揚げ興行を行い、5,000人(超満員発表)の観客を動員。

日本プロレスから東京プロレス、国際プロレスと移籍し70年1月に引退していた豊登がサプライズ来場し、「テレビ(放送)がつくまで」と助っ人参戦することを発表しています。

旗揚げ戦のメインイベントは猪木vsゴッチの師弟対決、15分10秒、リバーススープレックスから体固めで猪木がフォール負け。

「旗揚げ戦でエースが負ける」は当時大きな話題となり、その後各団体の旗揚げ戦のモチーフとなって色んな団体の旗揚げ興行で焼き直しして使われています。

テレビなしで旗揚げした新日本プロレスは地方巡業でも苦戦。外国人選手も日本プロレスから「猪木のところに出た選手は使わない」と全米のプロモーターに圧力がかかり、ゴッチがヨーロッパ、メキシコ、アメリカのガルフコースト地区(アラバマ、ルイジアナ、ミシシッピー)等から無名外国人を招聘、大物を呼べるだけの資金もありませんでした。

そんな中、旗揚げ7か月で蔵前に初進出。メインはゴッチの持つ「実力世界一のベルト」世界ヘビー級王座に猪木が挑戦。

この「世界ヘビー級王座」は認定団体のないゴッチの個人所有のベルトで、この試合を単発で放送する東京12チャンネルの解説を務めた東スポの桜井康雄記者が「初代世界ヘビー級王者フランク・ゴッチの流れを組む『実力世界一』のベルト、ゴッチの強さに恐れをなして挑戦者が現れず、ゴッチが今も保持し続けている幻のタイトル」というストーリーを作り上げました。

このベルトはゴッチがオハイオ版AWA世界ヘビー級王者だった時に締めていたものでした。

特別レフェリーはテーズ、試合はゴッチが場外で猪木にジャーマン・スープレックスを放ち、両者後頭部を強打してダウン、テーズの場外カウントが進む中、猪木が間一髪、先にリングに上がり、続いてゴッチも上がりましたが、テーズは猪木の手を上げ、27分16秒、リングアウト勝ちで猪木が師匠ゴッチを破り王座を獲得しています。

猪木は10月9日、広島県立体育館でレッド・ピンパネール(アベ・ヤコブ)を降し初防衛に成功した後、翌10日、大阪府立体育会館でゴッチのリターンマッチを受け、23分12秒、キーロックを丸め込まれてエビ固めで敗れ6日天下となりました。

蔵前と大阪は東京12チャンネルが単発放送。蔵前は当日の午後10時30分〜11時20分まで当日ディレイ放送、大阪は11月6日の午後10時から60分枠で録画中継され、猪木の試合が久しぶりにテレビで流されました。

2023年版の本稿では、同じ72年に無冠で団体のエースとなった馬場と猪木のタイトルに関する考えの違いを書いています。

馬場は全日本プロレス旗揚げに際し、力道山家(百田家)から寄贈されたインターナショナルのベルトを復活させ、新たに「世界ヘビー級選手権」として10戦に亘る王座争覇戦を行い、8勝2分で73年3月に初代PWF世界ヘビー級王者に認定されたのに対して、

猪木はゴッチのベルトは返して73年12月10日に東京体育館でジョニー・パワーズを破りNWFヘビー級王座を獲得するまで、じっとチャンスを待った、という趣旨のことが書かれています。

PWFは全日本プロレスが造ったお手盛りタイトルでしたが、NWFはニューヨーク州バファローを本拠にオハイオ州クリーブランドなどで実際に活動していた団体のベルト。結果論になりますが猪木のNWFはアメリカ北部ローカルとはいえ当時のアメリカのプロレス専門誌にNWA、AWA、WWWFと並んで「世界4大王座」と認められていた国際タイトルでした。

※対戦成績は309戦55勝254敗、勝率178。
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