第301戦、8月9日発売号○【予想、正解】オホーツク海の夕陽と共に沈んだ国際プロレスの思い出、国際プロレスラスト興行(81年国際プロレス北海道・羅臼町民グラウンド)
【参考】さらば国際プロレス! 北海道の羅臼でラスト興行(予想、正解に同じ)
【解説】今回は予想、正解、参考の3つが全て同じでした。
81年3月28日放送分を以て、東京12チャンネルのレギュラー放送が打ち切られ、74年のストロング小林の退団、TBSの放送打ち切り、大剛鉄之助の交通事故禍のトリプルショック以来のダメージを受けた国際プロレス。
4月18日、後楽園ホールで開幕した「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」には約半年間のオクラホマ、ルイジアナ地区のMSWA(ビル・ワット主宰、後の米国版UWF)での再修行を終えた阿修羅・原が凱旋帰国しましたが、時既に遅し。
国際プロレス最後のシリーズとなった81年「ビッグ・サマー・シリーズ」は7月16日、韮崎市総合運動場体育館で開幕。
ジ・エンフォーサー、ジプシー・ジョー、ジェリー・オーツ、テリー・ギブスが参戦。
当初はジョーの参戦予定はなく、メキシコからMS�機淵┘瓠Ε┘察ΕΕ痢法■唯哭供淵┘瓠Ε┘察Ε疋后砲離泪好�マンコンビの参戦が予定されていましたが、来日がキャンセルとなり、ジョーが前シリーズに続き連続参戦することになりました。
これは国際側の「最後だから、会社に貢献してくれたジョーを呼ぼう。」というジョーに対する配慮とジョーの強い要望の両方が合致したものと言えます。
昔気質の職人肌タイプのジョーは、義理人情に厚い性格で、ある意味、ラッシャー木村と共通したところがあったように思います。
エース格のエンフォーサーは全盛期はギロチン・ゴードンのリングネームで活躍したベテランのヒールレスラーで80年秋、スキンヘッドにアイパッチというスタイルで突如ロサンゼルスマットに現れ、オックス・ベーカーとのタッグでトップを取りました。
ロサンゼルスのプロモーター、マイク・ラベールとの関係から81年1月に新日本プロレスに参戦したばかりでした。
エンフォーサーはこのシリーズ、女性マネージャーのバニー・キャロルを帯同して来日しました。
その後日本では、ジム・ガービンのプレシャスやリック・ルードのメドゥーサ、ランディ・サベージのシェリー・マーテルら女性マネージャーが次々登場します。
バニー・キャロルは映像は見たことありませんが写真で見た限りは結構年齢がいってるなぁ…と思いました。エンフォーサーの奥さんだったそうですから、仕方ないかと言ったところですね。
7月25日、広島・音戸町山口屋音戸店特設リングで国際プロレス最後の新人・秋吉豊幸が冬木弘道を相手にデビュー。
秋吉は「夏のシリーズを最後に国際は解散する可能性が強いのでリングに立たせてやりたい。」という選手会長だったR木村の後押しでデビューしたもので、団体崩壊後はプロレス界から去っています。
8月6日、室蘭市体育館でR木村はエンフォーサーの挑戦を受けてIWA世界ヘビー級選手権の防衛戦を金網デスマッチで行い、7分18秒、逆エビ固めでギブアップさせ、17度目のタイトル防衛をしています。
68年12月の王座誕生以来、13年にわたり国際プロレスの至宝だったIWA世界ヘビー級王座の終焉でした。
8月8日、根室市青少年体育センターでは原&マイティ井上組にオーツ&ギブス組が挑戦した金網デスマッチによるIWA世界タッグ選手権試合が行われM井上がオーツをKOし、3度目の防衛に成功。こちらも69年5月の王座誕生から12年の歴史に幕を降ろしています。
8月9日、羅臼町民グラウンドの大会で、国際プロレスは15年間続いた団体活動を停止しています。
最終戦のメインイベントとなったのは鶴見とギッブスの金網デスマッチで、両者KOの引き分けに終わっています。
8月9日の羅臼町民グラウンド大会の結果は下記の通り。観衆1,100人
15分1本勝負
菅原伸義(5分42秒、片エビ固め)秋吉豊幸
冬木弘道(12分14秒、反則勝ち)ミスター珍
20分1本勝負
米村天心(15分22秒、体固め)高杉正彦
寺西勇(14分59秒、リングアウト)マッハ隼人
30分1本勝負
阿修羅・原(10分23秒、片エビ固め)ジ・エンフォーサー
タッグマッチ45分1本勝負
○ラッシャー木村&マイティ井上(18分17秒、体固め)ジプシー・ジョー&●ジェリー・オーツ
金網デスマッチ時間無制限1本勝負
鶴見五郎(7分25秒、両者KO)テリー・ギブス
国際プロレスは9月25日、負債総額2億5千万円を残して倒産。このニュースは一般新聞にも掲載され、話題になりました。
この後もプロレス団体の崩壊というのは多数ありますが、企業として倒産したのは私の知る限り、この時の国際プロレスと2002年のFMW、2005年の全日本女子プロレスだけです。
吉原社長は「敗軍の将、兵を語らず。15年間、やって来て残ったのは2億5千万の負債だけ。うちには馬場も猪木もいなかった。花と散る!」という言葉を残しました。
グレート草津は前80年7月に右足アキレス腱切断で事実上の引退でフロント職、アニマル浜口は肝炎の為欠場、若松市政は試合が組まれておらず。
団体崩壊後、R木村、浜口、寺西は新日本プロレスへ、原、M井上、菅原、冬木は全日本プロレスへ。鶴見は西ドイツを経て全日本プロレス、M隼人はメキシコを経て全日本プロレス→UWFへ。
若松は80年に地元、北海道芦別町で海外壮行試合をやった時に餞別をもらっている手前、海外に行かない訳にはいかないと自費でカナダ・カルガリーに渡り、マネージャーとして新日本プロレスに参戦。
米村は1度は全日本プロレス入りを決意、M井上、菅原、冬木と共に移籍記者会見の場にいましたが入団せず会津若松でちゃんこ料理店「やぐら太鼓」を開業、フリーとして全日本プロレスの会津大会にスポット参戦。
53歳で持病のある珍とデビューしたばかりの秋吉は引退となっています。(珍は92年FMWで復帰)インディー団体のない時代ですから、上がれるリングは、なかったでしょう。
※対戦成績は301戦53勝248敗、勝率176。
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