第300戦、8月2日発売号●【予想】猪木、最後のNWA世界王座挑戦、NWA世界ヘビー級選手権試合、ドリー・ファンク・ジュニアvs猪木(70年日本プロレス福岡スポーツセンター)【正解】総会で投票の過半数を獲得することの価値と是非、NWA総会(74年8月3日ネバダ州ラスベガス・チューンズホテル)
【参考】2017年8月2日発売号はアリ戦の悪評を払拭した猪木会心の格闘技戦、格闘技世界一決定戦、猪木vsザ・モンスターマン(77年新日本プロレス日本武道館)
【予想解説】今回は、猪木vsモンスターマン戦の既出を出してくるかと考えていましたが、8月2日の猪木と言えば、もう一つ後世に残すべき名勝負があるではないか!と思い2度目のドリーvs猪木戦を予想しました。
第46代NWA世界ヘビー級王者ドリーは、69年2月11日、フロリダ州タンパでジン・キニスキーを破り、28歳の若さで王座獲得。同年11月、日本プロレスに初来日。
キニスキーが現役王者の時も日本プロレスには2回来ていますが、NWA世界ヘビー級王座は賭けられず馬場のインターナショナル王座に挑戦しています。これは日本プロレス社長であった芳の里の「日本の王者は馬場、日本に来たら馬場に挑戦するのが筋」との主張があったからと言われています。
ドリーはNWA世界王者として日本を代表する猪木、馬場の連続挑戦を受けることになり、57年10月7日後楽園球場、10月13日大阪・扇町プール特設リングでのルー・テーズvs力道山の2連戦以来12年ぶりのNWA世界ヘビー級選手権試合日本開催となりました。
12月2日、大阪府立体育会館で猪木が挑戦、もし、猪木が勝てば猪木vs馬場のNWA世界戦が実現するかと期待されましたが60分ノーフォールの時間切れ引き分け、翌12月3日、東京体育館で馬場が挑戦、1−1から時間切れ引き分け。
翌70年7月、ドリーは実弟で初来日のテリー・ファンクと共に再来日、この時は先に馬場が対戦、7月30日、大阪府立体育会館でドリーが馬場のインターナショナル王座に挑戦、NWA世界王座は賭けられず。50分超えの大熱戦の末、1−1から両者リングアウトの引き分けとなりました。
空調のない旧府立の暑さとテレビライトの熱で馬場は試合後、脱水症状で意識朦朧となり、思わず「お母さーん!」と言ってしまったのはよく知られたエピソードです。
そして本稿の予想、猪木が8月2日、福岡スポーツセンターでドリーに挑戦。1本目は30分38秒、ドリーがテキサスブロンコ・スープレックス(ダブルアーム)から体固め、2本目は7分4秒、猪木が鮮やかなジャーマン・スープレックスホールドでフォール勝ち、決勝の3本目は60分時間切れとなり1−1の引き分けとなりました。
71年11月の3度目のドリー来日時の12月9日、大阪府立体育会館でドリーと猪木のNWA世界ヘビー級、ユナイテッド・ナショナルのダブル・タイトルマッチが予定されていましたが、猪木が会社乗っ取りを企てたクーデター犯として追い詰められ、12月7日、札幌中島スポーツセンターで馬場と組んでドリー&テリーのザ・ファンクスに敗れインターナショナル・タッグ王座を奪われたのが日本プロレス所属最後の試合となり、
翌12月8日に帰京した猪木は尿管結石を理由に代々木の小林外科に入院、ドリー戦はキャンセル、代打に坂口征二が初のNWA世界ヘビー級王座挑戦を果たし2−1で敗れています。
結局、福岡での一戦が猪木最後のNWA世界ヘビー級王座挑戦であり、両者の最後のシングルマッチとなりました。
大阪の60分ノーフォールも名勝負でしたが、福岡のこの一戦も優るとも劣らない名勝負だったと思います。
【正解解説】こちらは猪木の2度目のNWA加盟申請が反対多数により否決された時のエピソード。初回の73年8月の申請の時のコラムは2016年8月3日発売号に掲載されていますが、年度が変わっており既出ではないです。
74年「サマー・ファイト・シリーズ」中に開催されたNWA年次総会、猪木は7月30日、名古屋市吹上ホールでジョニー・パワーズのリターンマッチを受けてNWF世界ヘビー級王座防衛戦を行い、1−1から反則勝ちで5度目の王座防衛。8月1日には大阪府立体育会館でカール・ゴッチと「実力世界一決定戦二番勝負」の初戦を行い、21分59秒、エビ固めでフォール勝ちするとすぐさま渡米。
8月2日には倍賞美津子さんとの間に長女寛子さんが誕生しています。
前年のNWA加盟申請が否決された後、猪木はロサンゼルスのマイク・ラベール、そしてこの1年で親密関係となったニューヨークのビンス・マクマホン・シニアの協力を取り付け、再度チャレンジ。
親猪木派のラベール、ビンス・シニアは他のプロモーターにも「猪木も我々のメンバーにしよう、その方がメリットが大きい」として働きかけましたが、既に73年2月、ドリー・ファンク・シニアの後押しで年次総会を待たずしてNWAのメンバーとなっていた馬場が「猪木の加盟申請は反対して欲しい」と要請、実際に現金を渡したとも言われています。
馬場の妨害工作が功を奏したか、2度目の猪木の加盟申請も「17対9」のダブルスコアに近い反対多数で否決となってしまいました。
猪木は帰国し「サマー・ファイト・シリーズ」最終戦、8月8日、日大講堂でゴッチとの「実力世界一決定戦二番勝負」第2戦を行い、ハードな移動疲れと加盟否決の心労からか、カッときて特別レフェリーのルー・テーズに手を出しボディスラムで投げようとしたところ、ゴッチに押されて倒れ、大阪と同じ試合タイムの21分59秒、エビ固めで丸め込まれてフォール負けを喫してしまいました。
3度目の加盟申請となった75年は猪木は出席せず、予めロサンゼルスの弁護士を通して「今度加盟を否決したらアンチトラスト法(米国版独占禁止法)で訴訟する」と通告していました。
サム・マソニック大老に代わりに新NWA会長となったジャック・アドキッセン(フリッツ・フォン・エリック)は猪木のNWA加盟申請を条件付で認可。
その時に付せられた3条件� 崘肋譴斑舂匹�し、互いのテリトリーを侵食し合うことなく共存共栄をはかること」�◆崔�木のNWA世界ヘビー級王座への挑戦は1年以上は認めない」��「馬場の全日本プロレスに来日しているレスラーは呼ぶことが出来ない」を聞かされ、「これではメリットがない」と猪木はNWAへの興味を急激に失い、個人加盟のNWAには坂口征二と新間寿がメンバーとなり、76年には新たなる権威、「格闘技世界一」路線へと舵を切っていくことになります。
※対戦成績は300戦52勝248敗、勝率173。
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