第295戦、6月28日発売号●【予想】馬場&鶴田組がデトロイト版最強タッグで優勝、タッグトーナメント決勝戦、ランディ・スコット&ジョン・ボネロ組vs馬場&鶴田組他(80年ミシガン州デトロイト・コボ・コンベンションアリーナ)【正解】恩讐を乗り越えた怪力・小林が古巣マットで王座奪取、IWA世界タッグ王座決定戦、マイティ井上&寺西勇組vsストロング小林&永源遙組(80年国際プロレス後楽園ホール※実際は6月29日の出来事!)
【参考】インタータッグ王者の谷津がアマレス全日本大会で優勝!(86年駒沢オリンピック公園体育館)
【予想解説】馬場、鶴田の全日本プロレス師弟コンビは80年「スーパー・パワー・シリーズ」が終わるとアメリカ、カナダ遠征に出発。
まずは6月22日、AWAの本拠地ミネソタ州ミネアポリス・オーデトリアム大会に出場、鶴田がニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座に挑戦し反則勝ちを収めましたが、タイトル移動なし。
馬場はスーパー・デストロイヤーマーク�兇鯒砲辰藤丕廝謄悒咫宍蕾�座4度目の防衛を果たしました。
続いて6月28日にはザ・シーク(エドワード・ファーハット)主宰のデトロイトのNWAビッグタイム・レスリングに参戦、「デトロイト版世界最強タッグ・トーナメント」に出場しています。
他の参加タッグチームはドリー・ファンク・ジュニア&フレッド・カリー組、アブドーラ・ザ・ブッチャー&アーニー・ラッド組、シーク&キラー・ブルックス組、レイ・キャンディ&ボブ・ホワイト組、ジェリー・オーツ&ワイルドマン組、ドン・ケント&エディ・マンスフィールド組(ケントが負傷欠場し、代わりに前の試合で負けたキャンディが急遽、出場)。同地区のUSタッグ王者チームのランディ・スコット&ジョン・ボネロ組はトーナメントをシードされ優勝決定戦に出場。
馬場&鶴田組は1回戦でオーツ&ワイルドマン組を破り、2回戦でドリー&カリー組にリングアウト勝ち。準決勝ではシーク&ブルックス組に反則勝ちで決勝進出。
優勝決定戦に出て来たスコット&ボネロ組は未来日、USタッグ王者チームだといいますが、体格はジュニア・ヘビー級に近く、馬場&鶴田組には通じず、ワンサイドゲームとなりました。7分40秒、馬場の16文キック、鶴田のジャンピング・ニーパットから鶴田がスコットを体固め、馬場&鶴田組が優勝しました。
USタッグ王者チームのスコット&ボネロ組は「ゴング」、「月刊プロレス」などの海外レポートでも見たことがないレスラーでしたが、見る限りは即席チームではない、しかし、実力面ではチャンピオンチームの器には程遠く、日本からはるばる遠征してきた馬場&鶴田組を優勝させる為のジョバーのダミーチャンプだったと思います。
プロモーターであるシークが日本遠征でいつも馬場に稼がせてもらっているのとまた次回呼んでもらおうという下心が見え見えのマッチメイクでした。
優勝した馬場&鶴田組はUSタッグ王座を奪取しましたが、「デトロイト地区で防衛戦が行えない」という理由でベルトを返上しています。シークはこの年にビッグタイム・レスリングをクローズしており、1レスラーとして活躍することになります。
なお、馬場&鶴田組は翌6月29日、カナダ・トロント・メープルリーフガーデンでブルーザー・ブロディ&スコット・アーウィン(ジ・アステロイド、スーパー・デストロイヤー1号)組を2−0のストレートで破り、インターナショナル・タッグ王座を2度目の防衛を果たして、海外遠征を終えています。
【正解解説】内容にいく前に、何故この出来事が「6月28日」の出来事として「プロレス専門誌」に掲載され、世に出て販売されてしまったのか、理解に苦しみます。
単なる誤植か、流さんの勘違いか、故意の日付の改竄なのか、校正のミスか、それをチェックする人材が週プロ内部にもはやいないのか?今回の出来事は80年6月29日に起きています。流さんの間違いという確率は低いでしょう。29日の出来事と書けば良い。
3月31日、国際プロレスの後楽園ホールで行なわれたIWA世界タッグ選手権試合、マイティ井上&アニマル浜口組に新日本プロレスの木村健吾&永源遙組が挑戦した一戦(61分1本勝負)。
5分過ぎ、木村健のプランチャを場外で受けた浜口は後頭部を強打してダウン、立てなくなりました。床溢れていたビールに足を滑らせてプランチャを受け損ねた、という報道もありますが、私はこの日、北側で生観戦しておりその場面を正面から見える位置にいましたが確認出来てないです。
セコンドにリングに上げられた浜口でしたがダウンしたまま動けず、レフェリーの遠藤光男は直ちに試合をストップしないといけない事態でしたが、止めずに、攻撃を加える新日組にカウントを入れるのみ。痺れを切らした新日組が遠藤レフェリーに暴行を加えて11分30秒、国際組の反則勝ちとなり、M井上&浜口組が11度目の防衛を果たしました。
この試合で失神した浜口は脳震盪を起こしており、次期「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」を欠場、ベルトは返上されました。
6月29日、後楽園ホールで行なわれた王座決定戦、新日本プロレス側はジュニア・ヘビー級に専念することを表明した木村健に代わり、元国際プロレスのエースでIWA世界ヘビー級、同タッグ王座を保持していたS小林を投入、永源と組んで新日本代表チームとして出場させると発表。
S小林は、猪木との「昭和巌流島の決闘」から丸6年、北米タッグ王者からも外され、藤波辰巳、長州力の後塵を拝するようになっていました。
S小林は後日この件について「正直、やりたくはなかった、僕は新日本プロレスの役員だったから断ることも出来たんだけど、開き直って逆に対抗戦を楽しんでやろうと思ったね」と心中を語っています。
国際プロレス側もこのシリーズから浜口が復帰していましたが、体調不安もあり代打に実力者、寺西勇を起用、M井上とのテクニシャンコンビで新日本プロレス勢を迎え撃ちました。
国際プロレスのエースでありながら退団して猪木に挑戦して敗れ、団体のイメージを悪くしたとしてS小林に怨念抱くM井上は気合を入れた当たりの強い攻撃を仕掛けていきました。レフェリーは4月に現役を引退して審判部長に就任した山本小鉄。
1本目は13分18秒、フライング・ショルダータックルからサマーソルト・ドロップ2連発でM井上がS小林を体固め。スロースターターのS小林にこれで火が付いたか、2本目は3分50秒、ブレーンバスターからの体固めM井上をフォール。
決勝の3本目、場外乱闘でジプシー・ジョーとロッキー・ブリュワーが乱入、国際勢に手を出しました。その隙にS小林と永源がリングに上がり、4分、リングアウト勝ち。2−1でS小林&永源組が王座獲得。国際勢はレフェリーの小鉄に抗議しましたが、「外国人は新日本プロレスとは無関係」とはねつけて判定は覆らず。
S小林は国際プロレス所属時代の73年4月18日、土浦スポーツセンターでグレート草津と組んで王者だった時代、イワン・コロフ&マッドドッグ・バション組に敗れて王座転落して以来、実に7年2か月ぶりの王座返り咲きを果たしました。
7月15日、富士市吉原体育館で浜口がM井上とチームを復活させてS小林&永源組に挑戦、浜口と永源が1本ずつ取り合い、3本目にS小林のイス攻撃がレフェリーの小鉄に誤爆、新日組の反則が取られ、反則でもタイトルが移動するルールで、M井上&浜口組が王座奪回に成功しています。
※対戦成績は295戦52勝243敗、勝率176。
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