80年3月31日は新日本プロレスの「ビッグ・ファイト・シリーズ」はオフ。この日、後楽園ホールで国際プロレスがワンナイト特別興行「世界4大タイトルマッチ」(テレビ生中継、観衆2,400人満員発表)を開催。
年度末の月曜日開催ということで観客の入りが懸念されましたが、蓋を開けてみれば当日券の売上がグーンと伸びて満員の観衆を集めました。
当日は東京12チャンネル(テレビ東京)が午後7時30分からの90分枠で生中継。
新日本プロレスから所属選手の木村健吾、永源遙、元国際プロレス所属でフリーとして新日本プロレスにスポット参戦していた剛竜馬、新日本プロレスからのブッキングで国際プロレスに初参戦となるジョニー・パワーズが出場しています。
試合が行われた順番に振り返ると、まずはIWA世界タッグ選手権試合(61分1本勝負)、王者チームM井上&浜口組に木村健&永源組が挑戦。新日本ではヤマハよりさらにポジションが下の即席コンビ。
試合開始5分過ぎ位に木村健が場外の浜口にプランチャを放ち、これを受け損ねた浜口は後頭部を強く打って失神、M井上が浜口をリングに押し上げましたが浜口はピクリとも動かず。床に溢れた観客のビールに足を滑らせたという報もありましたがはっきりわからず。
レフェリーの遠藤光男はカウントを入れる訳でもなく立ち尽くして木村健&永源組に注意をするのみ、腹に据えかねた新日本勢が遠藤レフェリーに暴行、11分30秒、王者チームの反則勝ちとなり、M井上&浜口組が11度目のタイトル防衛。
続いて行われた阿修羅・原に剛が挑戦したWWU世界ジュニア・ヘビー級選手権試合(61分1本勝負)で、剛は78年4月の国際プロレス退団来約2年ぶりの古巣登場となりました。
原の入団によるジェラシーも国際プロレス退団の一要因と言われており、剛は原にいいところを取らせずグラウンドレスリングで動きを完封、最後は場外でアトミック・ドロップの要領で担ぎ上げ、本部席にそのまま叩きつける暴挙に出ました。
レフェリーの新日本プロレスの小鉄は即座に試合終了のゴングを要請、14分45秒、剛の反則負けで原が9度目のタイトル防衛も内容ではいいところなし。
次のニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座にこの年の2月に国際プロレスに新入団した大木金太郎が挑戦した一戦(61分3本勝負)は唯一、新日本プロレスとは無関係でした。1本目は10分20秒、ニックが逆さ押さえ込み、2本目は6分34秒、大木が原爆頭突きから体固め、決勝の3本目は2分9秒、両者リングアウトとなり1−1の引き分け。
テレビ生中継はニックvs大木のAWA世界戦までで放送時間が終了しています。
最後のメインイベントはラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座にパワーズが挑戦。61分1本勝負)。両者は東京プロレス時代に何度か対戦していますが、当時は格が違いR木村はパワーズには歯が立たず。
鉄柱攻撃で額を割られて大流血のR木村にパワーズは得意の足8の字固め(パワーズロック)をガッチリ決めて得意満面。足が弱点のR木村は大苦戦、ようやく場外に同体で転落した時にパワーズロックが外れ、R木村はドリルアホール・パイルドライバーを決めてリングに上がり、14分29秒にリングアウト勝ちを拾って5度目の王座防衛を果たしました。
当時のパワーズは79年1月に坂口にもNWF北米ヘビー級王座を奪われ、新日本プロレスのトップ外国人からは外れていましたが、そのパワーズに苦戦してフォール勝ち出来なかったR木村には国際プロレスファンは落胆。
3つのタイトルマッチは国際プロレスの選手の商品価値を大きく下げる内容になってしまいました。
国際プロレスにとって新日本プロレスは全日本プロレス以上に厳しいビジネスパートナーでした。
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