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2023年12月13日13:20

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ストロング小林さん追悼(593)

大木はこれより12年前の68年1月、同胞の師匠、力道山が亡くなった後、日本プロレスの幹部に冷遇されている、東京プロレス崩壊により日本プロレスに出戻りしてきた猪木より下のポジションになるなど自分に対する扱いが冷たくなったとして体制に不満を抱いていました。

「大木君が、世界もしくはそれに準ずるタイトルを獲得した暁には力道山を襲名させる。」という約束を日本プロレス前社長である豊登と取り付けていた大木は、67年4月29日、韓国・ソウル市奨忠体育館でマーク・ルーインを破り、かつて力道山が保持していたWWA世界ヘビー級王座を獲得。念願の「世界」タイトルを獲得した訳です。

そして、伏魔殿といわれたWWAの本拠地、ロサンゼルスをサーキット、その大木の王座に挑戦したのがマイク・デビアス(テッド・デビアスの父親)でした。

デビアスはこの年の4〜5月に日本プロレスの「第9回ワールド・リーグ戦」に来日、馬場、吉村道明、大木(ソウルでルーインのWWA世界ヘビー級王座に挑戦が決まり、途中棄権)に負け、芳の里、グレート・イトウ(上田馬之助)、ミツ・ヒライ、デューク・ケオムカに勝ちの4勝3敗。扱いとしてはザ・デストロイヤー、ワルドー・フォン・エリックに次ぐ、ダン・ミラーとほぼ同格の3、4番手。1923年12月、ネブラスカ州オマハ出身の42歳と当時としてはロートルの域に達していたレスラー、大木が簡単に負ける相手ではありませんでした。

試合は67年6月30日(現地時間)、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで行われました。当初は大木に挑戦する予定だったのは「海坊主」スカル・マーフィ。マーフィと大木が入場したところでMデビアスが乱入、マーフィに襲いかかり、不意を突かれたマーフィはKOされて退場。

Mデビアスが勝手に挑戦者に変更されて試合のゴングが鳴ってしまいました。Mデビアスのセコンドには何故かカール・ゴッチがついています。1本目は大木が体固め、2本目はMデビアスが体固め、決勝の3本目、ロープに飛んだ大木の足をリング下にいたゴッチが引っ張りました。ダウンした大木をそのままMデビアスが体固めに押さえ込んでカウント3。

2−1でデビアスの勝ちが宣せられましたが、大木とセコンドのミスター・モト(チャーリー岩本)が猛抗議。レフェリーにミスジャッジがあったとしてノーコンテストとなり、タイトルはカリフォルニア州アスレチックコミッショナー預り。大木はベルトを取り上げられてしまいました。

7月14日(現地時間)、同所で大木とMデビアスの間で行われた王座決定戦は1−1からMデビアスがロープを掴んだまま体固め、2−1でMデビアスが新王者になってしまいました。大木のセコンドには日本プロレス入りしたばかりの坂口征二が海外武者修行の為渡米してついており、抗議するも今度は受け入れられず。

力道山を負傷させたこともある、シュートも出来るとされている「海坊主」マーフィがいとも簡単に格下のMデビアスにKOされてしまうのもおかしいです。マーフィは最初からダミーで出てきたに過ぎない。

珍しいのはゴッチがアングルに加わっていることで、こう言ったヒールギミックを忌み嫌い、そのために干されても自分の尊厳を守ることを優先するゴッチですが、この件に関しては日本プロレスがプロレス入りした坂口の専任コーチをゴッチに依頼しており、その後、この年の秋から「ゴッチ教室」のコーチとして69年まで日本プロレスと長期契約を結んだことで、大木の「力道山襲名」を阻止しようとした日本プロレスからの依頼により、渋々ヒールギミックを承諾した、ということでしょう。

豊登は会社の公金横領で追放され、猪木と東京プロレスを旗揚げするも頓挫、当時は国際プロレスにおり、馬場と、日本プロレスに復帰してきた猪木のBI砲路線で売り出し、吉村と共に脇を固めるポジションの大木に馬場、猪木よりも上位概念に来る「力道山」のリングネームを名乗らせる訳にはいかなかったのです。

この年の秋、TBSの国際プロレス放送が決定、吉原功代表は実権を失い経営はTBS主導に。外国人レスラーのブッカーには力道山時代、日本プロレスのブッカーをしていたグレート東郷が就任、吉原と共に旗揚げメンバーで、フロリダから外国人レスラーをブッキングしていたヒロ・マツダはTBSから切られて撤退。

東郷は力道山から多額のブッキング料を得ていたばかりか外国人レスラーのギャラをピンハネしており、力道山死後、日本プロレスから絶縁され、その際手切れ金を受け取っていたといいます。後任のブッカーにはモトが就任していました。

日本プロレスから「力道山襲名」の約束を反故にされ、冷遇されていた大木に声をかけたのが東郷。大木は国際プロレスに入団するつもりで翌68年1月17日、仙台・宮城県スポーツセンターの会場に現れましたが、直前になって「どうしても逆らうことが出来ない勢力」(反社会的勢力)からストップがかかり、大木の国際プロレス移籍話はなくなりました。

それから12年、今回はそういったキナ臭い話はないですが、「国際プロレスアワー」を放送する東京12チャンネル(テレビ東京)主導で話が進められ、「ギャラも東京12チャンネルが払う」ということで吉原代表が了承したものでした。

会見の場にはエースであるラッシャー木村他、主力レスラーも同席。席上、大木は「自分の念願であった日本でのインターナショナル選手権の防衛戦をやりたい。」と抱負を語りました。国際プロレスでは「木村・大木2大エース時代到来!」をアピール。

インターナショナル選手権は日本プロレス崩壊後、認定団体がなくなって大木個人所有のベルトになっていましたが、吉原代表は「ウチは大木君のインターナショナルのタイトルマッチの闘う場所を提供するだけ」とIWAが認定するものではないと控え目にコメント。インターナショナルのベルトに執着心を燃やす馬場に配慮した形になりました。

私個人的には韓国では国民的ヒーロー、英雄志向が強く、子どものファンに優しい大木が馬場や鶴田に急所攻撃を繰り返しやったり、ブッチャー、シーク、カマタらと組まされて似つかわしくないヒールファイトをやらされていることは気の毒で見ているのも辛かったので、国際プロレスヘの入団は良かったと思いました。
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