mixiユーザー(id:21258650)

2023年12月11日12:14

505 view

ストロング小林さん追悼(591)

そして、この80年新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」では新日本プロレスを旗揚げ創生期から支えてきた山本小鉄の引退記念シリーズとして行われることが決定しています。小鉄は今シリーズ全戦参戦します。小鉄のシリーズフル参戦は76年1〜2月の「新春黄金シリーズ」以来4年ぶり。

小鉄引退に関しては本日記でも度々触れていますが、後から入ってきた坂口征二との不仲説、また真面目で勤勉な努力家、練習好き、練習には厳しいが人情家で涙もろい、といった表の顔とは別に、日本プロレス時代から新日本プロレス旗揚げ時期にかけて一緒だった豊登の影響からか、無類のギャンブル好きが講じて借金を重ね、巡業の売上現金をに手を出したことが露見、猪木の逆鱗に触れ、現役として第一線を退かざる羽目になったという話もありました。

小鉄は現役として第一線を退くことを受け入れる代わりに野毛の「道場長」としてのポジションを手に入れることを主張、猪木はこれを認めた訳です

また、若手ヘの「小遣い」、食事を奢るなどのお金を全て会社ヘ経費申請していたところなども、猪木、坂口に嫌われていた要因でした。

76年から試合数が激減し、後輩だった木戸修、永源遙、小沢正志、藤原喜明らに負け、リーグ戦などの本場所では途中棄権ばかりの小鉄でしたが、77年12月5日、岡崎市民体育館でのテレビマッチ、星野勘太郎と組んで、長州力、木戸組と45分3本勝負で対戦、1−1から時間切れ引き分けになった試合ではテレビでは大幅にカットされていましたが、売出し中の長州から1本奪っています。

また、星野とのヤマハ・ブラザーズで79年1月21日、国際プロレスの後楽園ホールでグレート草津&アニマル浜口組を破りIWA世界タッグ王座を奪取していますので、少なくとも「体力の衰えによる引退」ではないことは明らかと言っていいでしょう。

79年3月16日、那覇市奥武山体育館からのテレビ生中継から「ワールドプロレスリング」のレギュラー解説者として放送席に座りました。これは猪木の「現役レスラーとして技の痛みを伝えられる解説者になって欲しい」と言う要望で実現したものでした。

今回の引退についても猪木から「現役の時と同じだけの報酬を出すから」と言われて、無理矢理引退させられるようなものだったということです。

一般企業の感覚で言えば巡業の売上現金に手を出したのだから、懲戒解雇で即クビ案件で「猪木はなぜ小鉄を切れなかったのか?」と思うのが普通ですが、どうやら小鉄は猪木の「致命的な弱み」を握っていたと言われ、小鉄のことは切ることは出来なかったとのこと。2人共鬼籍に入ってしまい、存命だったにせよ、この内容が表に出ることはないと思います。まあ、興行の世界、清廉潔白な人間などむしろ皆無でしょう。

このあたりのポイントを押さえていくと、これより3年半後の83年8月に起きた社内クーデターで、小鉄が猪木、坂口を追い落とし、自分が社長になることに異様に執着していたのが理解できます。

シリーズ開幕戦が2月29日、後楽園ホール、3月7日、松阪市総合体育館、3月14日、西尾市体育館、3月20日、津山市総合体育館、3月28日、久留米・福岡県立体育館、4月2日、大阪府立体育会館、4月3日、蔵前国技館、最終戦は4月4日、川崎市体育館。

シリーズのタイトルマッチ、ビッグマッチは3月28日、久留米・福岡県立体育館では坂口のWWF北米ヘビー級王座にバッドニュース・アレンが再挑戦。4月2日、大阪府立体育会館では藤波辰巳のWWFジュニア・ヘビー級王座に前王者、剛竜馬が挑戦。

4月3日、蔵前国技館では前79年4月5日、東京体育館大会に次ぐ「4大タイトルマッチ」を開催。スタン・ハンセンに前王者猪木がリターンマッチを挑むNWFヘビー級選手権試合、前日の大阪での藤波と剛のWWFジュニア・ヘビー級選手権試合終了時点での王者に国際プロレスの阿修羅・原が挑戦。

坂口&長州組の北米タッグ王座にはアイアン・シーク&スーパー・デストロイヤー組が挑戦、グラン浜田の保持するUWA世界ライト・ヘビー級王座にはベビー・フェイスが挑戦します。

シリーズ最終戦、4月4日、川崎市体育館ではNWAインターナショナル世界ジュニア・ヘビー級王者マイク・グラハムに前王者藤波が挑戦。山本小鉄引退が行われます。16年に及ぶレスラー生活に幕を閉じることになります。
3 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年12月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31