本日12月6日は、2017年に59歳の若さで亡くなられたプロレス観戦仲間、ベルドラゴンさんの誕生日にあたります。
ベルドラゴンさんは全日本プロレス派で、プロレスリング・ノア、ゼロワン、大日本プロレス、DDT、ハッスルの後継団体であるSMASH、WNCなどの団体が好きで、いつも後楽園ホールでは北側最前列に座っていることが多かったです。
サムライテレビの中継ではよく顔が映っていました。
渋谷の道玄坂の一等地で薬局を経営していましたが、亡くなる少し前に経営権を売却し、売却後のオーナーが代わった薬局で勤務薬剤師として働いていました。
ノアのタニマチをされていた方とは同じ渋谷区在住の先輩後輩で、よくノアの解禁前情報を教えてくれたものです。
プロレスファンの中ではよく知られた方だったので顔も名前も知っていましたが、話すようになったのは松永光弘さんが経営されているステーキハウス「ミスター・デンジャー」で会うようになってからですので、時期的には1999〜2000年頃。
実際会って話して見ると気さくで猫を愛しており、心優しい方でした。向こうは全日本プロレス派、私は新日本プロレス派。なのでプロレスでは意見が別れることもしばしばでした。猪木のことは好きではなかったですね。
最近は年に3、4回前後しかプロレスを生観戦しなくなった私ですが、過去チケットゲットが最も困難だった興行は、2002年3月1日、横浜アリーナでのWWF(WWEに改名前)日本公演でした。私はつてを便り、立見ながらこのプラチナチケットを3枚購入することが出来、ベルドラゴンさんと私の知人とで観戦しました。
ベルドラゴンさんは私と私の知人に立見席のチケット代と同額の3,000円のパンフレットを買ってくれたのです。
最近、立憲民主党の塩村あやか議員による「プロレス芸」ポストが世間を騒がせましたが、清濁併せ呑んで観るのがプロレス、みちのくプロレスの「欽ちゃんジャンプ」、宇宙大戦争、DDTのヨシヒコ、大阪プロレスの初代えべっさん(菊タロー)のセクハラなどの「お約束」も楽しんで観ておられました。
ハッスルの後継団体となるSMASHは試合後、新宿FACEの時は歌舞伎町で、後楽園ホールの時は水道場近辺の居酒屋などでアフターパーティーとして打ち上げをやっていましたが、そちらもほぼ皆勤されていました。
選手との交流も深く、大日本プロレスは谷口裕一に信頼されていた他、08年12月、ノアの経営不振から所属選手からフリーにされた菊地毅、後に暴露本を書き早逝した泉田純至からの人望も厚かったです。
またプロレスだけにとどまらず、私がシンガーソングライター、美元智衣さんのファンであることから2013年2月18日、目黒ブルースアレイ・ジャパンでのバースデーワンマンライブに誘ったところ、来て下さいました。
そこで、お願いしてないのに「再出発」、「I MISS YOU」「誰より君が好き」の3つのアルバムを全部購入してくれました。初見のベルドラゴンさんが1回のライブで楽曲を全部気に入ってくれたとは思えず、義理で私の顔を立ててくれたのでしょう。
ベルドラゴンさんはお母様、弟さんと3人で暮らしていましたが、弟さんは顎のあたりにできた骨肉腫で先立たれ、お母様と2人暮らしになり、後年は一緒に、お母様の好きな落語や芝居を観に行っていました。
そのお母様も2016年に亡くなり、お一人になりました。聞いた話によるとお母様が亡くなられてから急に元気がなくなってしまったとのことでした。
最後にお会いしたのは亡くなる年の2017年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会の試合前、ドーム外の敷地内のベンチに座り込み、呼吸を整えていました。
私が「大丈夫ですか?」と声掛けしたところ「年末年始、プロレス10日間連続観戦するので、ちょっとくたびれただけだよ。心配要らない。」と笑って答えていました。
今でも道玄坂の調剤薬局の前を通るたびにベルドラゴンさんの優しい笑顔を思い出します。私もじきにそっちに行きますから向こうの世界でプロレスの話を沢山、しましょう!(完)。
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