80年2月1日、札幌中島スポーツセンターでスティーブ・カーンとのNWA世界ジュニア・ヘビー級、WWFジュニア・ヘビー級ダブル・タイトルマッチに反則含みながら2−0のストレートで勝利し、ジュニア二冠王となった藤波辰巳は、2月5日、愛知県体育館でダイナマイト・キッドを破りWWFジュニア・ヘビー級王座7度目の防衛に成功し、シリーズ最終戦の2月8日、東京体育館でSカーンのリターンマッチを、こちらも反則含みで2−1で退け、初防衛に成功、ジュニアながら新日本プロレス所属選手としては初の「NWA世界王者」として海外サーキットに出ることが決まったのですが…。
一方で、ダニー・ホッジ、ヒロ・マツダ、ケン・マンテル、ネルソン・ロイヤルが巻いていた「USA」のロゴが入った白地の台座のNWA世界ジュニア・ヘビー級王座のチャンピオンベルトを管理していたオクラホマのプロモーター、レロイ・マクガークが既に同所で同王座決定トーナメントを開催しているという情報が入って来ました。
2月15日に発売された「別冊ゴング」3月号では特集記事「そこが知りたい、問題点をさぐる」の中で「ついにNWAの内紛が開戦、世界ジュニア・ヘビー級王者が近く2人になる!?」としてこの問題を切り込んでいますので、要旨をまとめてみました。
まず、2月1日、札幌大会に立会人として来日した前NWA会長でフロリダ地区を拠点としたCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)代表のエディ・グラハムが「我々はこのタイトルをアメリカと日本のみならず、世界的なタイトルにしたいと思っている。このタイトルをNWAインターナショナル・ワールド・ジュニアヘビーウェイト・チャンピオンとすることにした。」との談話を出しました。
この時点では「NWAインターナショナル世界ジュニア・ヘビー級選手権」という、1つのタイトルに「インターナショナル」と「ワールド」の文言が併存する、まるで現在の新日本プロレスの看板タイトル「IWGP世界ヘビー級選手権」みたいな感じになっていました。
旧来のオクラホマ版NWA世界ジュニア・ヘビー級王座は当初、前王者ロイヤルの引退に伴い、前79年10月にオクラホマで新王座決定トーナメントを開催予定で新間寿営業本部長はそのトーナメントに藤波を参加させたいと表明していましたが、マクガークの右腕としてブッカーをしていたビル・ワットが反逆して離反しトーナメントは一旦、頓挫。
傘下のレスラーを引き抜いて新団体MSWA(ミッドサウス・レスリング・アソシエーション)を旗揚げしオクラホマで興行を開催、実質的にマーケットを乗っ取った形になりました。
ワットは空気になっていたNWA世界ジュニア・ヘビー級王座決定トーナメントを開催しましたが、途中から、マクガークはマーケットの大半は手放したものの、NWA世界ジュニア・ヘビー級王座の管理権は自分がまだ所有していると主張、ワットに対抗して王座決定トーナメントを開催すると発表しました。
Eグラハムと一緒に日本に来ていたマツダが説明する。「Sカーンはワット主催のトーナメントに勝ち進んで優勝したんですよ。ところがマクガークが途中から王座決定トーナメントをやると言い出した。マクガークは自分の娘婿であるブライアン・プレアーをチャンピオンにしたかったのですが、ブレアーは11月28日(79年)にトーナメントでSカーンに負けています。
ところが、マクガークはブレアーが負けたところから新たにトーナメントを始めてしまった。ブレアーとSカーンでは実力が全然違う。我々も『これはおかしいのでは?』と思ったが『オクラホマのことなので勝手にやらせておこう』となった。Sカーンの方が真のNWA世界ジュニア・ヘビー級王者である。」
フロリダを主戦場にしているSカーンがオクラホマでワットの主催するトーナメントに優勝、その決勝戦が、この時の「別冊ゴング3月号」では12月10日、カリフォルニア州サンディエゴ・スポーツアリーナでチャボ・ゲレロを破って王座に就いた、となっていますが、後の記録では日付は合っていますが、場所はマイアミビーチになっています。
マクガーク主催のNWA世界ジュニア・ヘビー級王座決定トーナメントはこの記事が書かれた(80年2月4日)時点では準決勝まで進んでおり、前出のブレアーを初め、トミー・ギルバート、レス・ソントン、ロン・スターの4選手が残っているとのことに。
締切後の2月11日、オクラホマ州タルサで決勝が行われ、Rスターがソントンを破って優勝、NWA世界ジュニア・ヘビー級王者を名乗るレスラーがもう一人出てきた訳です。(この項続く)
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