80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」の総括です。
スタン・ハンセンは4度目の新日本プロレス参戦にして初の単独エースでしたが、「ブレーキの壊れたダンプカー」ぶりを如何なく発揮し、己の肉体のみを凶器として猪木に立ち向かい、体力で猪木を圧倒、新時代のトップヒールとしてシリーズを盛り上げました。
最終戦の2月8日、東京体育館で猪木にリングアウト勝ちし、NWFヘビー級王座を奪取、エース合格どころか、新日本プロレス参戦外国人の頂点に立ってしまいました。この時のハンセンの活躍は後の日本プロレス界の流れを大きく変えていくことになります。
ロッキー・ジョンソンは9年2か月ぶり2度目の来日、新日本プロレス初参戦となりました。多くのファンにとって「未だ見ぬ強豪」であり期待は大きかったですが、前半戦のタッグマッチで木戸修に首固めでフォール負けしてから急激に失速。
2月5日、愛知県体育館でハンセンと組んで猪木&ストロング小林組と対戦、場外でハンセンのウェスタン・ラリアートの誤爆により失神、そのまま控室に運び込まれ以後欠場、最終戦を待たずして途中帰国となりました。
北米タッグ王座挑戦のチャンスも棒に振り、アメリカでの活躍ぶりが嘘のような低迷ぶり。開幕戦で見せたドロップキックは見事でしたが、6人タッグであり、真価を見せるところまでには至らず。
当時の新日本プロレスは外国人のビッグネームであってもその良さを発揮させることなく情け容赦なく潰してしまっていた傾向があり、Rジョンソンもそのうちの1人だったと思います。結局、2度と新日本プロレスに呼ばれることはなく、これが最後の来日となってしまいました。
バッドニュース・アレンは新日本プロレス留学生からのヒール外国人として逆上陸してきたレスラーの先駆けでした。やはり野毛道場で基礎をみっちりやっていただけに体力はあり、Rジョンソンの不調をよそに活躍。実質的にヘビー級の2番手となりました。
NWA世界ジュニア・ヘビー級王者として来日したスティーブ・カーンは、基礎のしっかりしたレスリングで実力者ぶりを発揮、藤波辰巳にベルトを明け渡しましたが、当時のアメリカ人レスラーにしては珍しくジャーマン・スープレックスホールドを使いこなし、やはり王者の器に相応しいプロレスラーでした。
ただ、同時期に来日したダイナマイト・キッドの全身全霊の試合ぶりに割りを食った感はありました。
新日本プロレス初参戦のキッドは、国際プロレスとのダブル・ブッキング問題がありましたがやはり、というか新日本プロレスに来日。その思い切った試合ぶりでファンを魅了しました。
高速ブレーンバスター、イギリス仕込みのダブルアーム・スープレックス、ツームストン・パイルドライバー、フィニッシュで多用していたダイビング・ヘッドバットの大技はどれも切れ味抜群で、「ワールドプロレスリング」実況の古館伊知郎アナウンサーが命名した「剃刀ファイター」という形容がピッタリでした。
藤波のWWFジュニア・ヘビー級王座への挑戦は敗退しましたが、「フォール負けしても、商品価値が下がらないどころか、上がる」唯一無二の存在感がありました。(この項続く)
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